17 この身が綻ぶとしても
どうにか、五体満足だ。
シエルの防御結界のおかげか、あるいはとっさに剣での防御が間に合ったか。
とにかく、あの奇術師は跡形もなく消え去ったし、オレの体はダメージを負ったとはいえまだ無事だ。この戦いは勝利と言っていいはずだ。
しかし、少し疲れた。
砕け散った屋上を眺めながら、落下防止のためにつけられているフェンスに寄りかかる。
眼下に見下ろせる道路が、やや赤みを帯びている。
先ほどの爆発を見て、誰かが通報したのだろうか。
幸い、見た限りでは死人は出なかったと思う。しかし、今警察だの消防だのに巻き込まれるわけにはいかない。
せめて、隣に移るくらいのことはしないと。
そう思って、立ち上がる。
「ぐ、が――」
声にならない音が喉の奥から生じる。
全身が、悲鳴をあげるための器官に変貌した。
呻いていないと、身が焼けるような熱さをごまかすことすらできない。
「ごほっ、がはっ――」
何かを、吐き出した。
赤かったのだから、多分血だろう。
『マスター、もう限界ではありませんか』
胸元のシエルの声を聞いて、消えそうな意識に火をつける。
「……問題ない。まだ立てる」
そうだ、熱いだけ。まだ戦える。
大きく息を吸って、足に力を込める。
数歩の助走で、フェンスを越えて、数メートルはあるビルの隙間を飛び越える。
なんだ、思ってたよりも体は動く。これなら次の戦いも問題ないだろう。
風を切り、両の足で着地する。
「――――!」
その瞬間に、体の芯を割るような痛みがした。
痛くて、それ以上の痛みが自覚できないほど痛くなって、ようやく膝をついて、そのわずかな衝撃ですら叫びたいほどの痛みがある。
『先ほどの爆風で脚と腕の骨にひびが入っています。炎熱は炎を操る星の王女には大した効果はありませんが、その衝撃までは防げません』
全身がこんなにも熱いのに、それは焼けたためではなく、痛いだけらしい。
シエルの解説も遠い声にしか聞こえない。
これ以上、この状態ではろくに動けない。
ずっと、この場でうずくまっていたいが、そうもいかない。
「……シエル。変身を解除してくれ」
『推奨はしません。今のままなら魔力によって骨を補強し、屋敷に戻るまでなら可能でしょう。ただし、変身を解除した状態では一歩も歩けず、痛みの減衰も行えません。もしかすれば、誰かが来るまでこの場に倒れっぱなしということもあるでしょう』
シエルの言ったことは確かだろう。
きっと、オレの体は耐えられない。
「でも、もう一度変身しないと。戦えないんだ」
わかりきっている。
白昼夢のように現れたイリスは最後に相手をしてやる、と言っていた。
ならば、オレの次に戦う相手はあの氷狼。
「アイツには、こんな体じゃ決して勝てない」
力の差は理解している。だから、せめて万全でないと勝負にならない。
『…………では、【変身解除】と唱えてください。それだけで一度変身は解除されます』
「【変身解除】」
迷うことなく、シエルの呪文を復唱した。
僅かばかりに残っていた全身の高揚感は、体から熱を奪うような倦怠感に。
でも、そんなことはどうでもいいとばかりに全身の悲鳴がこだまする。脳が、処理しきれない。
意識が欠けた。
体の感覚がない、夢のような世界にいた。
そこには漆黒の外装に身を包んだ男が、悪しき存在から倒れている少年を守るように立ちはだかっていた。
「決しておれぬ希望、正義の味方、参上!」
遠い、誰かの光景を見ている。
記憶になんてないけれど、英雄の記憶だろう。
弱きものを助け、悪を討つ。
身を賭して誰かのために尽くす。
そのヒーローの姿になぜか、魔術師との戦いで垣間見たソレイユの姿がピタリと重なった。
「――――」
体を裂くような痛みで、夢から戻ってきた。
『マスター、ご無事ですか』
痛みとシエルの声で現実だと理解する。
「大丈夫だ」
全身が地べたにはいつくばっている。意識を失って倒れていたのだろう。
肘をつきながら、どうにか上体を起こす。
問題ない、まだ戦える。
「変身」
現実の体から、虚構の肉体へ。
男の体を捨て、少女の燃えるような力を得る。
痛みは消える。体は元通り、いやそれ以上に動ける。
『……機構回復。戦闘続行は可能ですが、次の戦闘を終えてあなたの肉体が無事である保証はできかねます』
「別に、どれだけ死にかけても変身すればいい。致命傷さえなければ戦うための力は残せる」
変身を解除する時間と、変身しなおす気力。ここさえあれば戦い続けるのはそう難しくない、と今の戦闘で理解した。
『次の戦いを勝利した後、などという遠い未来の話ではありません。次の相手はおそらくあの氷狼。あなたは彼との戦いを無事に終える自信がありますか』
シエルは次の敵を氷狼と決めつけていた。
オレもそうだとは思う。鏡のような姿でオレに忠告を飛ばしてきたイリスは、最後に叩きのめす、と言っていた。
ならば、あの強大であった氷狼が次の相手なのだろう。
きっと、さきほどの奇術師との戦いを終える前なら、やってみなければ、とか。一縷の望みはある、とか。そんな展望を言っていたと思う。
けど、奇術師の決死の一撃を受けた。あの傷をもう一度負えば、今度こそ立ち上がれないだろう。
以前の戦いで放たれた氷弾の雨は、その一つ一つが奇術師の決死の一撃に等しい威力だった。
オレとあの氷狼の実力差は歴然。
この場に至って、死が見えてくる。
おそらくは、勝機など万に一つもあるかどうか。
残りは敗北では終わらず、ただ死ぬだろう。
そんな、終わりが見えてこそ。
「それでも、戦わないと」
その恐怖を、彼女には背負わせられない。
『本当に、あなたは強情で無謀だ』
「そんなのわかってるだろ」
あの屋敷を出た時から、シエルも理解しているはずだ。
『マスター、一つ約束を』
「うん?」
『勝ち目がない、と悟った時はすぐにでも引き返してください』
「心配してくれてるのか?」
『ただ、無意味な戦いをするべきではない、というだけです』
口にしてくれるだけ、何か思うところはある、ということなのだろう。
「分かってるよ。勝ち目がないのに戦うなんてマネはしない」
『……では、向かいましょう。月見ヶ丘はそう遠くない』
ビル街を越えて、住宅地を駆ければすぐにつく。
普段なら公共機関を乗り継いで一時間ほどかかるだろうが、今この姿なら走って20分もかからない。
大きく深呼吸をする。ここからは、相手の本拠地に乗り込むのだから、一切の休憩もできないと思うべきだ。
剣を構え、自分の体がしっかりと動くことを再確認。
「いくか」
大地を大きく蹴って、敵の本拠地へ向けて夜の空へと飛び出した。
郊外の住宅街を駆ける。走れば走るほど、周りの街並みは苔むしていき、日に焼けていき、時を超えたように劣化していく。
住宅の数も減り、廃墟さえ見えてくる。
『時の流れというのは無情なものですね』
ぼそりとつぶやくシエルの声も、この静寂の中ではよく聞こえた。
「中心街の発展とともにどんどん、こっちからは人が減っていったんだ」
以前はオレの家も郊外にあった。しかし、親の転勤の都合と、学校も近いし、施設の面でも便利な中心街である才場の街に六歳になる前に引っ越した。
だから、このあたりの風景はよく知ってるつもりだった。けれど、たった十年くらい前なだけのはずなのに、すっかりさびれ、人の生活もまばらになっていた。
『家というのは、人間が居なくなるだけで、瞬く間に劣化していくものです』
シエルの言葉には、不思議と実感がこもっていた。
もしも、DDの目的とやらが果たされたなら、こんな光景は日常的になって、今まで住んできた街も廃墟だらけになるのだろうか。
そんな光景を幻視して、剣を強く握りしめた。
廃墟すらもない、小高い丘。
中心街の夜景もよく見えるほど、障害物はない。
背の低い草が一面を覆いつくすその中に、敵は四つの足をそびえ、立っていた。
『待ちわびた。本当に永い時を待ちわびたぞ』
獣は少女を歓迎するように、高く吠えた。




