15 夜空に舞う翅
『マスター。どうしました、うつむいて』
シエルの声がよく聞こえる。
やるべきことが分かったからか、ぐちゃぐちゃとした気分は消えて、世界も少しだけ明るく見える。
「アンナさん。治療を拒否する、っていうけどシエルはいなくてもソレイユの命に別状はありませんか?」
『マスター?』
オレの提案にシエルは疑問の声を上げ、アンナも驚いた顔をした。
「……すでに大きな傷をふさいではいます。自然治癒の速度を高める以外の意味合いではシエル様の力は不要です」
「なら」
シエルに向けて伸ばした腕を、アンナにつかまれる。
「まさか、今からまた戦いに行くおつもりですか」
先ほどこんな傷だらけのソレイユをつれて帰ってきたばかりだし、アンナが心配するのもわかる。
でも、時間を空けるわけには行かない理由がある。
「今じゃないと、ソレイユが起きてしまう。きっと、起きたら無理を押してでもついてきてくれるだろうけど、これ以上彼女が無理をしたら肉体の限界が来る」
『ですが、あなたが戦いを強行すれば次は、あなたの肉体に限界が来るだけです。わかっていますか、ミタカゲッコウ』
シエルの念を押すような言い方をする理由もよくわかってる。ソレイユのように倒れてしまうことを懸念しているのだろう。
オレなりに戦う方法も考えてはいる。
「だから、シエルの力を借りたい。連戦続きでも、戦闘前に変身すれば最高のコンディションで戦える」
『……確かに、あなたの戦闘スタイルは剣が主体。膨大な魔力を必要ともしませんから、連戦に耐えうる可能性はあります』
頭ごなしに否定されるんじゃないか、と思っていたので、肯定的な答えが返ってくるのは少し意外だ。
「なら」
『ただし、戦闘のたびに変身を解除する前提が付きます』
「痛みのフィードバックが危険だというんだろう。耐えればいい」
さっき一度耐えた。不可能ではないはずだ。
『痛みだけではありません。その傷もまた、あなたの元の体に蓄積されます』
「…………ああ、わかってる」
痛み、というのは肉体の悲鳴だ。皮膚であれ、筋肉であれ、それが傷んでいるから痛いのだ。
そんなこと、見当がついていた。
『一度の戦闘では浅い傷でも、二度目の戦闘では大きな傷に。戦いを重ねれば、さらに致命傷になる。あなたの本体は少しずつ蝕まれていく』
「承知の上だ」
ソレイユも通った道だ。乗り越えてみせる。
『そして、あなたはただの人間。残る三名のDDの幹部の一人一人に打ち勝つことすら、困難です。DDの頂点までたどり着けるかどうかすら怪しい』
「わからないけど、ここまで念入りにシエルが確認するくらいだ、可能性くらいはあるんじゃないか?」
『…………』
シエルから返事はない。不可能、だというならきっと即断するだろう。
「肯定と受け取ろう」
『……逃げればよかった、と後悔しますよ。そして、今からでもソレイユとリアを連れて逃げてもいい』
「ここで逃げたら、ソレイユの笑顔も見れなくなる」
それは、逃げる理由すら失ってしまう。
『あなたは本当に強情ですね、マスター』
シエルが大きくため息をついた。
「なんだ、あきれたのか?」
『苦難の道ですよ』
「わかってる」
オレの返事を聞いたシエルは、吸い込まれるようにオレの手元に収まった。
それをみて、アンナがようやく手を放してくれた。
『……その意思を汲みましょう。あなたがあきらめるまでは付き合います』
ようやく、折れてくれた。
彼女の力を借りられるなら、戦うことができる。
「よろしく頼むよ」
シエルを首から下げる。首にかかるわずかな重みが、ひどく懐かしく感じた。
「ミタカ様。行かれるのですね」
アンナがソレイユの治療の手を止めずに、顔だけこちらを向いた。
アンナにも引き留められるんじゃないかと思ったけど、彼女は立ちふさがるような真似はしなかった。シエルの意見を汲んだのだろうか。それとも、オレを引き留めるよりもソレイユの治療を優先してくれているのか。
「ソレイユをお願いします。少しでも彼女を楽にさせてあげてほしい」
「もちろん全力をつくします」
アンナの言葉が頼もしい。オレがここにいても何もできないけど、アンナが居てくれるなら安心できる。
「じゃあ、行ってきます」
「玄関までお見送りできず申し訳ありません。どうか、お気をつけて」
アンナに見送られながら、居間を後にした。
屋敷の外には、オレが屋敷に入る前と同じように、リアが宙を舞っていた。
「へぇ。ずいぶんと顔つきが変わったじゃない」
けれど、さっきまでと違い暗い雰囲気はなく、にやにやと笑っている。
どうも、リアにまで心配をかけていたことにすら、オレは気が付いてなかったらしい。
「そうかな」
素直に礼を言えばいいのに、自分の口から出たのはそっけない言葉だった。
だというのに、リアは嬉しそうに笑ってくれた。
「そうよ。さっきの死人みたいな顔からしたら見違えるよう。安心したわ」
顔を見ただけでそこまで言われるほどだろうか。
でも、さっきまでの重たくて、暗い気分は抜けた。
「心配かけたな」
「いいのよ、別に。そんなことより、もう一回聞かせて? あなたはどうしたい?」
真剣な表情のリアをいて、まじめに答えなければならない、と感じた。
あの子の涙の跡を見て、自分がやるべきことも、自分がやりたいこともよくわかった。
「あの子に、ソレイユに笑っていてほしい。だから、あの子を悲しませる元凶を倒してくる」
リアはオレの言うことには驚きもせずただ少し目を細めた。
「シエルが止めなかったんだもの。そんなことだとは思ってた」
『私は止めましたが。このままでは一人でも何かしかねませんから、仕方なく付き合っているだけです』
そんな要注意人物みたいないい方しなくてもいいのに。ただ、シエルには無理を言って手伝ってもらっているのも事実だし、特に否定はしない。
「正直、無事に帰ってこられるなんて思えないけど」
『ええ。私個人としては早々にあきらめても構わないと思っています』
どうも、二人はオレの選択に否定的らしい。
「別に無茶なのはわかってる」
そこまで言うのに、二人はどうしてオレを止めはしないんだろう。
シエルは瞬くだけで、リアはただ微笑むだけ。
「じゃあ、これが最後のお別れにならないように。とっておきのおまじないを教えてあげましょう」
「とっておき?」
「どうしても勇気が出ないとき、心臓に左手を当てなさい。心臓の動く鼓動を感じたら、きっとまだ立ち上がれる証拠だから」
とりあえず、今手を当ててみる。心臓が脈打つのは感じるが、特別何があるとは思えない。
「まあ、おまじないだし、話半分に聞いとくよ。ところで、なんで左手なんだ?」
「左手が勇気の証、って言い伝えがあるの。誰がそんなことを広めたかは知らないけどね」
左手を握ったり開いたりしてみるが、勇気の証っていうのを感じはしない。
「じゃあ、右手は?」
「それは――。気になる?」
「まあ、そんな引っ張られたら気になるけど」
リアはうむ、と一度うなずきながら、こちらに手を伸ばしてきた。
「アンタが帰ってきたら教えてあげる」
そう言いながら、リアは小さな『右手』でオレの頭をなでてきた。
なんとなく振り払う気にもなれず、されるがままだった。
十秒ほど経過して、ゆっくりとリアは離れていった。
「満足したのか」
「今のところは。帰ってきたらまたなでてあげましょう」
別に要求なんてしてない。
けれど、自分が帰ってくることを期待されているのなら、それを突っぱねるほど野暮でもない。
互いに何も言わない時間が少し続いた。
何か別れの言葉でも言おうかと思った。
今まで短い間でも楽しかったとか。そんな言葉を。
でも、きっとそんな言葉は不要だ。
戻ってきてから言えばいい。
だから、背を向ける。
そして、ここで言うべきなのは一言だけ。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい!」
振り返らなかったけれど、なんとなくリアの表情はわかっていた。
きっと、引き留めようとする心と、心地よく送り出そうとする気遣いが入り混じった。そんな表情をしているのだろう。
だから、振り払うように、走り出す。
「『変身』!」
オレは少女の姿となって、屋敷を飛び出した。
「シエル、ディアルクの言葉を覚えているか」
『月見の丘に行け、ですか』
そこで、魔王が待つ、という話だった。
「多分月見ヶ丘のことだと思う。このあたりでそれらしい地名も、まして小高い丘、というのもないし」
『……ふむ』
シエルが一度瞬くと、目前にこの街の地図が浮かび上がってきた。
『それは北東にある、ビル街の先の住宅街を越えた先。この丘で間違いありませんか?』
表示した地図は、月見ヶ丘の部分が赤く照らされていた。
「ああ。間違いないよ」
『……魔術の視点で述べても、彼らがここを拠点にしている可能性は否定できません。おそらく、リアでも同じ情報を持っていれば、同じ結論にたどり着くでしょう』
「なんだ、妙に回りくどい言い回しだな」
『客観的な判断を下した、というだけです』
ずいぶんと近所にある、とは思ったが次元を超える魔法使いたちには些細な事情なのかもしれない。
月見ヶ丘までは電車を使えば一時間くらいか。人が歩く距離にしては長いが、この体でなら大した距離じゃあない。
まして、ビル街を信号どころかその構造ごと無視して飛び越えられる。
まずはどちらへ向かうか、を定めるため近くのビルを駆けあがる。
物理法則なんて無視して、風を切る感覚が実に良い。
そんな悦にほんの少しだけ浸っていると、何か違和感がある。
風を切る音がわずかに右だけ重い。
視線を向けると、闇に紛れた飛来物が目前に存在した。




