11 剣は燃えている
魔術師は訝しんだ。
敵の生体反応が一人消え、身軽になった方が蛇行しながらもこちらに接近する軌道を取り始めた。
転移によって逃げ出したか、透明化を利用した気配の遮断か。
なんにせよ、残った一方が接近してくるのは確か。そして、そちらは魔術師からすれば脅威度が格段に落ちる方だ。
獣との戦闘記録からその少女が【変身】を行っただけの一般人であることも知っている。本来の星の王女の戦闘能力の半分も出せまい。
なぜ無関係な人間が逃げずに立ち向かうのか、彼は少し興味がわいた。
魔術師は森の一部の迎撃機構を停止。即席で用意した木製の椅子に座りながら、臨時の拠点へとその少女を招待することにした。
ほどなく、罠が消えた通りを警戒しつつもその少女はやってきた。
円状の広場の端と端に魔術師と少女は位置している。
二人の間には一切の障害はない。
「ようこそ、偽りの星の王女」
魔術師の挑発じみた歓迎に、少女は眉をひそめた。
「どうして魔法での攻撃をやめたんだ」
「何、君だけなら大した脅威ではない。本物の星の王女が居ないのであれば歓談に応じてやってもいいというだけのことさ」
少女はその言葉を鼻で笑った。
本心で言ったつもりの魔術師の言葉は、少女にはそうは受け取られなかったらしい。
「なに、今は罠の一つもない。なんなら椅子の一つも用意しよう」
パチン、を魔術師が指を鳴らすと近くの樹木が椅子の形に変形した。
だが、少女はそれを一瞥しただけに終わった。
「趣味が悪いにもほどがある。本当に罠がないのか怪しいもんだ」
「なら、君の魔導兵器君にも聞くといい。私の周囲を除けば大した魔力はない。罠にはめるための材料すらないとも」
魔術師が提案すると、少女の胸部の結晶は赤く瞬いた。
『確かに、ディアルクの周囲を除けば大きな魔力の鳴動はありません』
「ソレイユへの不意打ちみたいのはないのか」
『ええ。このような姑息な真似をする人間がいるとは考えていませんでしたから、先ほどは見逃しましたが、前提が違えば問題なく看破できます』
「そうだな、あんなに姑息な人間がいるとは思っていなかったからな」
少女と結晶は、挑発して魔術師を怒らせようとでもしているのだろうか。だが、魔術師にとって弁舌は己の得意分野である。
「そもそも、こちらの仕掛けに気が付かない間抜けだとは思っていなかった。ただの事前準備が姑息に映る君たちの目の悪さを恨んでほしい」
少女の顔は不快に沈むでもなく、平然としている。魔術師が挑発に乗ってこないのも織り込み済みで、うまくいけば儲け、という程度の考えだったのか。
そもそも、森の中の魔法に関して魔術師は一切見破られる心配はしていなかった。DDの中でも、以前の世界でも自然を利用し、溶け込む魔法には彼は最も優れている自信があった。たとえ高位の魔術師でも、彼が念入りに築いた魔法陣を看破するのも容易ではない。
そう、今この場に仕込んである魔法陣でさえも。
彼女たちは知らず知らずのうちに魔術師にその生殺与奪の権利を握られている。この森の中では、罠があることすら、彼女たちは気づけない。
彼にとって万が一のイレギュラーになりかねないもう一人の王女も、森全体の熱源感知に反応はない。透明化の魔法を使ってこの辺りに潜むとしても、現在は魔力の残滓すら存在していないことは確認している。
「ただ、戦いの前に。この茶番劇において、君が私にもたらしたものはあまりに大きい。礼を一つ言わせてもらおう」
この優越感こそが、彼に安心を与え、歓談の余裕すらも生み出す。
「茶番劇?」
少女には聞き覚えのない言葉だったのか、魔術師に問い返す。
「おや、知らないか。この戦いの真実を」
『マスター、あの男の言葉に耳を傾ける必要は――』
「いいだろう、アルカンシエル」
結晶の言葉を遮るように、魔術師のよく通る声が森に響く。
「戦場に立たない君より、その偽物クンの方がよほど『権利』がある。違うかな?」
『…………』
結晶の無言に、魔術師は笑みをこぼす。
「それでいい。さて、君の名前は――いや、『先』にいうのはマナー違反か。あえて『君』で通すとしよう。君は、どこまでこの戦いを知っている?」
「お前ら魔王の手下どもがこの世界を滅ぼそうとしている。オレ達はそれを止める。それ以上はないだろう?」
「確かに、戦力差であるとか、君の勝利が絶望的であるとか、その辺りを差し引けば、そういう解釈もあるかもしれない。だが現実的な解釈をしよう」
魔術師が指を打ち鳴らす。彼の前のテーブルに一つの木製の箱と、それを囲うように四本の手が生えた。
「四人の協力者と、たった一つの魅力的な景品。それは何を意味すると思う?」
魔王の四人の幹部と少女たちの持つ次元の鍵をさしている、と少女もすぐに気がついた。
その図式を理解すれば誰であれ、言わんとすることは分かる。
「争奪戦か」
「そうとも。次元の鍵を制したものが、魔王に認められこの世界の支配権を手にする」
その言葉は、すでに魔王の手中にこの世界がある、とでも言うかのよう。
「ずいぶんとなめたこと言ってるじゃないか。皮算用にもほどがある」
「なに、我らにこの世界のあらゆる兵器は通用しない。神に属する者なら抗うくらいはできるだろうが、彼らが人間の味方をすることはない。この世界に生まれた人間に、我らを阻むものはいない」
魔術師の手には、木々で編まれた人形が握られていた。
「故に、我らの敵は我らの世界より来た本物の星の王女のみだった」
それを、ぐしゃり、と握りつぶした。
「しかし、彼女の魔力はフェンリルとの戦いで喪失。万全の状態での戦場への復帰は一月かかる。最後に残ったのは君だけだ」
木の葉が四つの手の中心へと舞い降りた。それは吹けば飛びそうな、あまりにも脆い守りだった。
「フェンリルの奴に星の王女を取られた時は少し慌てたがね。乱入してきた君に興を削がれたのか、あるいは気を惹かれたのか。どちらでもいいが、ようやく私の手番が回ってきた」
最後に、四つの腕のうちの一つが、木の葉ごと木箱を掴み、丸ごと握りつぶした。
「君のおかげで、私にもツキが回ってきたんだ。ありがとう、と言わせてもらおう。私のためにその命を張ってくれて」
不快気に少女は魔術師をにらみつける。その悪感情は、悪辣を悦とする魔術師にとっては愉快でしかない。
「本当に礼をしたい気持ちはあるくらいだ。次元の鍵を差し出す、というなら君を見逃してやってもいい」
「断る」
にべもない少女に、魔術師は分かっていた、と笑みをこぼす。
「だろうね。なら、質問の一つくらいは答えてやろうじゃないか」
「なら、一つ聞かせてもらう」
「好きにしたまえ」
ゆらり、と剣が持ち上がる。
剣の切っ先と、少女の視線が同じ敵を見据える。
「アンタ、どうして次元の鍵ってやつがここにはないのにオレたちを襲ったんだ」
少女はずいぶんと、初歩的なことを聞いてきた。
「まさか、そんなこともわかっていない?」
「そんな挑発はいらない。事実を確認したいだけだ。怨恨なのか、それともいずれ邪魔になるから排除したかったのか。答えたくないならどうでもいいが」
ピントがずれている。魔術師はそう感じた。
なら、わかりやすく、丁寧に教えてさしげるべきだ。
「簡単なこと。私たちには君たちの隠れ家なんてわからない。なら、戦闘要員である君と王女の痛みを訴える声であの妖精を呼びつけてやろうとしただけの話」
少女の眼が見開かれる。それは、人間が持つ四つの感情のうち、もっとも狂暴なるモノに因るのだろう。
その感情を全身で受けるべく、木製の椅子から立ち上がる。
「――初歩的な人質作戦、というやつさ」
その痛みの声が死に至るものであったとしても。その効果は期待できるだろう。
「オマエ……!」
少女から伝わる感情の波が、魔術師には心地よい。
「どんな人間でも、友人の嘆く声には反応せずにはいられない。そうだろう?」
これは前提だ。まっとうな感性を持つ人間ならば誰だって泣いている友人に手を伸ばす。
「あの妖精もまた次元の鍵を持ち得ながら、人間の感性を持ち合わせている。違いないな?」
これは確認だ。たとえ変わった出で立ちでも、あの妖精もまた普通の人間と変わらぬ感性を持ち合わせている。
「そして悲鳴というものは実に人を惹きつける。あの少女が泣き叫ぶだけで、あの妖精は必ずやってくる。自明だな」
これが理由だ。結論として、魔術師の行いはただの合理的な手段を実行したに過ぎなかった。
魔術師は高らかに、自らの主張を謳い上げた。
少女の表情は、感情を通り越して凍り付いていく。
「オマエ、普通の人間の価値観ってやつがないのか」
「まさか。それを理解しているからこそ、ここまで合理的な戦略が選べるのさ」
大地の中に張り巡らされた罠に魔力を通す。これで向こうにはその存在を知られるだろうが、すでに蜘蛛の巣の中。
「一切の容赦なんていらないことがよく分かった」
少女は高く剣を振り上げた。熱く燃える剣は、少女の燃える感情を示しているようだった。
だが魔術師から少女までの距離は20メートル。決して剣が届く距離ではない。
そして、魔術師の仕込んだ魔術は森の中から無数に湧き出せるうえに、接近してくれば大地に仕込んだ魔術で串刺しにする自信が彼にはある。
万全の用意は備えを持って、魔術師としての戦いの準備は整った。
「剣を握る、というのなら、一つ名乗りでも挙げるがいい。それくらいは聞いてさしあげよう」
彼にとって、残すは戦士としての準備のみ。むろん、相手にその意思があれば、と言う程度に過ぎないが。
「名乗り?」
「そう、戦う前の名乗りさ。戦士として剣を握るときでも、魔術師として雌雄を決する時でも、私たちには戦いの前に己の戦うための名前を名乗る儀式がある」
燃える炎の殺意を目の前にしながら、魔術師は余裕ありげに講釈を行う。
「知らないなそんなもの」
「――なるほど、こちらにそんな文化はないか。フェンリルが興を削がれたのもわかる話だ。ならば、戦士として、魔術師として、その先達として、そして黄泉への土産として。私から名乗りを上げよう」
魔術師が指を一度、高く打ち鳴らす。
それだけで周囲の大地が槍となり、木々の枝は棘を成して魔術師の剣がごとく、周囲を漂う。
「我が意思は魔王の意思。かの野望を世界にもたらす、自然の代弁者。四天の頂の一つ、我が名は大地の魔槍を抱く者、ディアルク」
ただの一手で、周囲は魔術師によって支配された。次に手を振るえばすべての意思が少女を貫くべく統一されるだろう。
「さあ、名乗りたまえ。その名乗りは、キミのせめてもの墓標になるだろう」
少女は高く、天を見上げた。
「――オレに、そんな大層な名乗りはない」
「譲れない信念など持ち合わせていない、と」
「だけど。オレたちは違う」
少女は構えた剣を上空へとかざすとともに、その視線を敵へと戻す。
「オレたちの名前は『星の王女』! テメェらの野望を潰す者だ!」
掲げた剣が大きく輝くと、天が輝いた。
「……なに?」
不可能だ。魔術師の前の少女にそんな魔力はない。獣との戦闘記録からも、一度きりの魔力放出が限度なのはわかりきっている。
ならば、その力の正体はもう一人。天が輝いたのなら、その居場所もまた天に。
はるか遠き上空に、先ほど心臓を刺したはずの少女が浮いていた。
「なるほど、木々の探知が届かないはるか上空でこの瞬間を待っていたか」
輝く少女の後ろには大きな炎の花弁が一枚。煌々と輝くそれは、巨大な魔力を有し、魔術師を燃やし尽くさんとしている。
だが、上空100メートルはあろうかというその距離でさえ、魔力の陰りは見て取れる。
あの花弁は十枚で真価を発揮する。
十の花弁から次々に放たれる多種多彩な攻撃方法と戦闘継続力こそがあの少女の真の力。
だが、たった一枚の花弁しか出せないのでは一撃が限度だろう。
「炎天よ――すべてを燃やし尽くせ!」
天に浮かぶ少女の手のひらから落ちる炎の柱は、まっすぐに魔術師へと降り注ぐ。
その限りあるたった一撃で魔術師を滅ぼそうというらしい。
「面白い」
光の束と化した熱の奔流が、上空より来る。
だが、あくまでただの熱量に過ぎない。魔術師の陣地と化したこの領域において、その程度は児戯に等しい。
「土よ、盾となれ」
わずかな詠唱で、大地は隆起し、魔術師の上空には巨大な質量の土塊が生まれる。
「じ、地震……!?」
『違います、彼の魔術の余波にすぎません』
バランスを崩した地上の少女は膝をついた。
降り注ぐ膨大な熱量はわずかに土を溶かすが、それ以上に大地より土が供給されていく。
「ぐ……!」
「……変身すらできないのでは結果は見えていたであろうに、愚かなことだ」
上空の少女の顔は苦悶に歪み、地上の魔術師はつまらなさそうに舌打ちをする。
やがて、その勢いは弱まっていき、一本の熱線ははじけるように、複数の光の束に分かたれた。
その見た目はあまりにも弱々しく、また魔術師などにはとうに狙いが付いていない。
もう上空の少女に力はない。
「これが狙い、というならあまりに稚拙極まり……む?」
注意を目の前の少女に向けようとしたとき、魔術師は森の異変に気がついた。
弱まったはずの光の柱が、広場の周りの木々を燃やしている。
立ち上がった炎の柱は横に広がり、この広場を包むように円を描いていく。
囲まれた、と魔術師が気が付いた時にはすでに遅い。一瞬の間に森に囲まれていたはずの広場は、炎の檻と化していた。
魔術師が用意していたはずの地の利は、一瞬にしてその接続を断たれた。この炎の檻が存在する間、魔術師は森の木々を利用した魔術が使えず、また森の木々の魔力を利用した大地の隆起も使えない。
しかし、同時に不確定要素であった脅威である王女はその力を使い果たした。そして、この魔に満ちた森の中では、炎の檻はわずか十秒と持たないだろう。
だが、そのわずかな時。剣を持つ少女が欲した、自然が存在しない空間が形成される。
――まさか、この片時、一対一を作り上げた程度で、この私を倒せると?
「その傲慢、身を持って償わせてやろう」
魔術師のこぼした言葉を皮切りに、剣が動く。
距離はわずか二十メートルもない。星の王女の脚力であればたった三歩。それだけ踏み込めば少女の剣は魔術師に到達する。
しかし、少女と魔術師の間には致死の罠が3つ。
「ハァ――!」
それを知ってか知らずか、剣を構えた少女が飛び込んでくる。
「よかろう、ならばその命を大地に捧げるがいい」
一歩目で一つ目の致死に至る罠が作動する。
地中より大樹が伸びあがる。確実に、かつ弾丸の速度で死角より少女の『心臓』を狙い打つ。
『左です!』
だが、それは少女の胸中にとっては死角にあらず。
「っらあ!」
その弾丸は一薙ぎで振り払われる。
第一の致死は剣閃によって払われた。
だがそれは魔術師にとって承知の上。これで少女の剣はわずかの間防御力を失う。
第二の致死が少女の足元よりあふれ出す。次の一歩を踏み出せば足元から三本の槍が『心臓』で交差する。
『跳んでください!』
だが少女は足をつかず、天高く飛び上がる。
第二の致死は目標を失い、中空で掻き消えた。
「捉えた!」
代わりに、少女を回避不能な空中へと押し上げた。
「捉えたのはこちらだ、小娘」
土に紛れた、第三の致死。それは出会い頭にこの広場でこの少女を串刺しにするべく放たれた無数の槍。
前後左右に躱す道はなく、下に降りる穴はなく、まして上空にすらそのスキはない。槍の群れが少女の『心臓』へと収束する。
「シエル!」
『制限解除』
死を脱すべく、少女の剣が、赤く燃え盛る。
「炎天開放!」
その刃の籠に向けて、莫大な熱が解き放たれた。
近距離での膨大な熱は、土の槍の悉くを壊し、砕き、粉塵へと返した。
熱の波によって巻き上げられた砂塵が、視界を奪う。
光によって敵を捕らえる人間には暗闇にも等しい空間。
だが、熱によって敵を判断できる魔術師には敵の位置が手に取るようにわかる。
ここで、魔術師は大地に仕込まなかった第四の致死をその手に装填する。
魔力のない、ただの土の矢だ。故に、魔導兵器と言えどもそれを『視る』ことはかなわない。
狙うは脈打ち燃える『心臓』。
魔術師から解き放たれた土の矢は、寸分たがわず少女の体へと吸い込まれる。
タイミングも、位置も、大きさも、そのすべてが目と魔に頼る剣士には観測できない。
ここに、魔術師の仕込んだ致死の魔術は完遂する。
「――ハァ!」
だが、聞こえてきた音は少女の悲鳴ではない。
少女が剣を振り下ろすための掛け声と。
致命となる一撃を剣でわずかにそらす、剣と矢のぶつかり合う音だった。
土の矢はわずかに脇腹を抉ったに過ぎず。
魔術師が、砂塵の中から降りてきた少女と目が合ったときにはその間合いはゼロ歩。
次の瞬間には、魔術師の体に剣閃が刻まれていた。