10 背後に迫る断槍
なぜ次元の鍵がないのに敵が来たのか。
どうして彼女だけが刺されたのか。
疑問は残るが、それよりも体の制御を失い倒れていく少女の方が重要だ。
「ソレイユ!」
全力で駆け出して、倒れこむ少女の体を中空で受け止める。
「ごめん、なさ……い」
抱きかかえられた少女は、そのまま目を閉じる。彼女の腕は体中の力を失ったようにダラリと垂れ下がった。
「ソレイユ! しっかりしろ!」
『マスター、気を失っただけです。幸い臓器をかろうじて躱していますし、応急的に処置をしますから、命に別状はありません』
ソレイユの体からは血があふれているが、少女の息は荒くともしっかりと確認できる。
まだ生きている。
「そうか」
安心した、と息をついた瞬間、足の感覚がなくなった。
『――前に飛ばします!』
体が勝手にシエルの声に従って前方に跳ぶ。
拒否権などなく、体をひねりながら右腕をを地面にこするように無様に転がった。抱きかかえたソレイユに傷をつけなかったのは奇跡みたいな転び方だった。
「お前、何を」
シエルに文句を言ってやろうとして、異変に気が付いた。
蹴りだした大地からソレイユを貫いたのと同じ土の槍が何本も重なるように突き出していた。
もしシエルがオレを飛ばさなければ、あの槍の中で串刺しになっていただろう。
『今、ここは敵の腹の中です。片時も油断しないでください』
森の中から、草木を踏みしめながら近づいてくる人間がいる。
そちらの方を向きながら立ち上がる。
「何者だ」
「一撃で二人とも葬り去るつもりだったが、避けられるとはね」
その人間は草木に紛れるような深い緑のローブで全身を覆っていた。
そのフードの奥の風貌は口元が笑っていながらも、目つきはいら立ちに満ちている。
「オマエがソレイユを刺したのか」
「ああ、一撃で楽に逝かせてやろうと思ったんだが、うまくは行かないものだ」
そんなことがやさしさのつもりだろうか。
怒りのあまり衝動的に蹴りつけたくなったが、今はできない。腕の中で意識を失っているソレイユに無理はさせられない。
ならば、今は冷静になるべきだ。
今すぐ逃げ出してもいいが、目の前の男から一つでも多くの情報を引き出したい。
「オマエもフェンリルの仲間なのか」
「……私が? アイツと仲間だと?」
心まで冷え切ったような、冷たい声だった。
目の前の男は不快そうに、その顔をゆがめた。
「同じDDの一員ではあるがね。あの戦闘狂と仲間と言われるのは心外だ。ああ、君からすれば同じ敵だから何も変わらないか」
「……どういう意味だ」
「さあね。これから死にゆく人間が知る必要はないだろう?」
男が手を振り上げると、周囲の地面から無数の土の槍が飛び出した。
前方も、左右も、背後も。
取り囲む刃の群れが、地上から一切の逃げ場を断っている。
両手のふさがった状態でこの槍の群れを切り開く手段はない。
「抱えた少女ごと死ぬがいい」
ならば、道は一つ。
「死んでたまるか!」
地面を全力で蹴り、刃のない上空へと飛び出した。
森を駆け抜けている。
服の裾が枝に引っ掛かるのがうっとうしいが、現状そんな贅沢は言っていられない。
『申し訳ありません、フェンリルのことばかり気を取られていて別の魔術師が来るとは――』
「いや、過ぎたことは気にしなくていい」
そもそも、オレも考えてなどいなかった。次元の鍵がここにはないから、まだ襲われることはないだろう、なんて楽観視もしていた。シエルを責めるのはお門違いだ。
『フェンリルさえ落とせば十分だった、というのに。余計な邪魔をされたものです』
シエルの言葉もどこか、苛立っているように思える。
だが、そんなものに気を払う余裕はない。ソレイユを抱えたまま、木々を抜けて走る。
抱きかかえたソレイユの治療もしたいし、障害物も多く走るにはおおよそ適していない地形だが、足を緩めてはならない。
なぜなら――。
『右後方に跳んでください!』
シエルの指示に従って迷わずに右後方に飛ぶ。
そして、先ほどまでオレが居た地点には串刺しにするべく放たれた土の槍が何本も刺さっていた。
――今は、敵にこの体を狙われている真っ最中だからだ。
立ち止まらずに、木々の間を再度走り出す。
「おい、このままじゃどうしようもない! 魔法か何かでどうにかならないか!」
言ってる間に、前方から槍が飛来する。
強引に体を倒して、肩に当たるスレスレで回避できた。
こんな芸当は長くはもたない。
『どうにか、と言われても魔法による瞬間移動、高速移動の類はマスターには不可能です』
魔力不足であるとは言われていたのはよく覚えている。あまり期待はしていなかった。
「じゃあ走って逃げるしかないか」
『可能であれば、ですが。気づいていますか?』
ガサリ、と音がして、四方から剣や槍の形状を模した飛び道具が飛んできた。
その飛び道具の隙間に飛び込むようにして回避した。
こちらの体にかするような傷はできたものの、ソレイユの体に傷はない。
「わかってる。あきらかにどこかへと誘導させられている」
先ほどの隙間も狙って作られたものだろう。
だが、あからさまな誘導でも無理に逆らえばこちらの傷が増える。
『厳密には森の外へ逃げないように誘導されています』
森の外に出られないまま逃走劇を繰り広げても、いずれは消耗する。体に毒が回るように、無数の傷が体力を奪っていくことだろう。
「そのくらいならシエルのナビゲートで何とかならないのか?」
この森に来た時と同じように、外へ出る道も指示してくれないだろうか。
『不可能でしょう。外に逃げる、となれば指向性のある移動が必要になりますが、彼の実力なら、数分でこしらえた罠で今の十倍の戦力を用意されます』
「つまり、一直線に逃げれば」
『死にます。一か所にとどまってもやはり串刺しにされるでしょう。現状は蛇行の逃走を維持する必要があります』
前方に、蛇のようにうごめくつたの群れが現れた。
炎熱の剣で切り払うにしても多すぎる。
『左へ行ってください。少々木々が減りますから、罠も緩和されるはずです』
指示に従って左へ飛ぶ。
植生が違うのか、確かに視界が開けて対応しやすくなった。
「それで、あの男は何者なんだ」
『DDの一員でここまでの魔術の使い手と言えば一人しかいません。ディアルクと呼ばれるDD幹部の一人です。土の属性をもち、大地や植物を変形させる魔術が得意な魔術師です』
左右の茂みから交差するように木の矢が飛び出してきた。
それを大きく跳んで躱す。
「なるほど、それで飛んでくるのが土と植物ばかりなわけだ」
『市街地であれば大した相手ではありませんが、このミズチの森ではそのすべてを味方につけられます。こちらの作戦をまるごと相手に使われたようなものですね』
他人事のようにしれっと言っているが、発案者はシエルだったと思う。
だが、ここで彼女をせめても仕方ない。
「まあいい、どうやったらそのディアルクを倒せるんだ」
『剣が届く距離まで接近し、この森以外のフィールドに彼をおびき出す。この両方をできればまだ勝機はあるでしょう』
「なんだ、森の外ならそんなに弱いのか」
それなら、脱出さえすれば戦える、ということか。
『あくまで、勝機がある、と言う話です。それをおぎなって余りある彼の狡猾さは油断できません。それに森の中では――』
上空にそびえたつ木々の枝が、鞭のようにしなってこちらへと振り注いできた。
『――数の暴力を体現できる男です。スケールが違う、と言ってもいいでしょう』
一つならともかく、枝の全てが意思を持つように唸っている。あまりにも数が多すぎる。
「どうするんだ、これ!」
『マスター、防御結界を展開します。突っ切ってください!』
いわれるまでもなく、全速力で木々による嵐の隙間を駆け抜けた。
「ぐ……」
だがよけきれなかったか、背中に一本受けてしまった。抱えているソレイユに傷がないのは幸いか。
『マスター、大丈夫ですか』
「ああ、問題ない」
痛くてたまらないが、体を動かすのに支障はない。ゆえに問題はない。
先ほどまでよりも、少しだけ早く走ることを意識する。足に意識を向ければその分だけ痛みを気にしなくて済む。
『自分が接近することなく敵を攻撃する、という点においては森の中のディアルクは最上位の敵と言ってもいいでしょう』
確かに、こちらから一切手出しができない状況でいたぶられるのでは戦いにもならない。
「なあ、あいつはどうやってオレたちの居場所を把握してるんだ?」
『大地の魔術の一つに、木々と感覚を一体化する魔術があります。それを利用して私たちの居場所を木々の目で感知しているのでしょう』
「木々の目?」
『簡単に言えば熱源感知でしょうか。森の中で動く異物を探すならそのあたりがメジャーです』
「つまりこちらの会話は聞き取られてないと思ってもいいか?」
『おそらくは。少なくとも生物よりの使い魔が追跡してくる様子がありませんから、音を感知すること自体が難しいかと』
つまり、こちらの作戦会議は聞かれないと考えてもいいわけだ。
「最後に一つ、ディアルクの居場所ってわかるか?」
『それなら最初の広場を動いてないでしょう。彼が入念に準備していたのはあの広場でしょうから、自分の陣地を離れるとは思えません』
なら、外におびき出すのは難しいが、位置の特定もできている、ということだ。
「それなら一つ、思いついた手段がある」
『その手段とは?』
「それは――」
できるだけ簡潔に伝えたが、どうだろう。
「シエルの見立てでは行けそうか?」
『無茶苦茶ですが、ディアルクを打倒する手段としては悪くないでしょう。ただ問題が一つ』
「なんだ」
『今のマスターには魔力が足りません』
「一応、魔力を節約しているつもりだったんだが」
剣からは炎を出してないし、人間以上の跳躍をしたのも最初の一度きりだ。
『元が足りない、という話です。仮にマスターが十分な休息をとっていた状態でも今の作戦の実行は難しい』
まあ無理が過ぎる提案だとは思っていた。魔法にも限度はあるか。
「そうなると、森から逃げることを悟られないように逃げ出すか、自滅覚悟であの魔術師のところに突っ込むか」
どちらも無謀かな、と思っていると腕をつかまれる感覚がした。ひんやりとした感触の正体はソレイユだった。
「起きたか、ソレイユ」
眠っていた少女がうっすらと眼を開き、こちらを見つめていた。
「……ごめんなさいね、足を引っ張ってばかりで」
「そんなことない」
「いいのよ、気を遣わなくて。それよりも、さっきの話、私に協力させてくれないかしら」
さっき、というのは作戦のことだろうか。目を覚ましていないと思っていたが、話だけは聞いていたらしい。
『ですが、今のソレイユには傷を治す魔力も枯渇しているのではありませんか?』
シエルの言うとおり、ソレイユは腹からあふれていた血をせき止めただけで、腕についた擦り傷すら治していない。
「大丈夫、最低限の魔力の確保はできてる。時間のかかる回復魔法は使えないけど、少しくらいなら戦える」
息も絶え絶えで、ここまで話すだけでも相当辛そうだ。
「お願い、私の力も使って」
胸を貫かれた傷もまだきちんと癒していない。そんな彼女を戦闘はさせられない。
「いや、その魔力で転移の魔術でも使えないか。それなら帰るだけはできる」
先ほどシエルが不可能だと言ったのはオレの魔力不足が原因だ。ソレイユの魔力を使えるなら転移でも何でもして逃げればいい。
何よりソレイユにこれ以上の無理はさせられない。
「でも、私たちが逃げれば彼らが次に狙うのは他の人間よ」
「…………」
「見てきたもの。たくさん。だから、次の犠牲を生み出しちゃいけないわ」
けれど、ソレイユは気遣いなんてこれっぽっちも望んでいない。ただ、いつか犠牲になる誰かの命を優先していた。
自分だけの命じゃなくて、誰かのために力を使うその姿は、いつかあこがれにしていたヒーローのようで――。
『マスター、右へ!』
シエルの指示を受けてとっさに横に躱す。背中から前方へ何本もの槍が抜けていき、そのうちの一本が左肩をかすめた。
「……くそ!」
少しずつ、敵の攻撃能力が上がっている。こちらの反応速度が落ちているか、少しずつ見切られてきたか。
『マスター、ご決断を。これ以上はしのぐことすら難しい』
迷えるのはここが最後。
無理を押し通してでも逃げ帰るか、無謀にも勇気を出してソレイユの力を借り立ち向かうのか。
答えは決まっている。