8 下見
鳥の鳴き声で目が覚めた。
いつもよりも重たい布団を蹴りだすようにして、ベッドから降りる。
『おはようございます、マスター』
胸にぶら下がっている結晶が瞬きながら挨拶してきた。
「……おはようシエル」
昨日の出来事は夢だったんじゃないかと少し疑っていたが、それこそ夢物語だったらしい。シエルの声も、この部屋も、そして自分の声も昨日のままだった。
『マスター、換装いたしますので少々お待ちください』
シエルの声とともに、オレの衣装は昨日アンナに選んでもらったうちの一つ、少女らしさと活発さを備えたようなものに変更された。
どこにしまってあるのか、のかもわからないが、昨日と同じ服を着ていると考えると一つの疑問が湧く。
「洗濯とかは必要ないのか」
『あくまで衣服を再度作り出しているようなものです。汚れなど残っていない新品ですよ』
便利なのはいいが、着慣れないスカートを脱ぐ口実も同時になくなったことになる。いや、そんなことを言っても多分新しいものを着せられるだけだし、特に意味はないか。
『そんなことより、早く朝食に行きましょう。皆が待っていますよ』
「そうだな」
部屋のドアを開けて、食堂へと向かうことにした。
「いただきます」
朝の食卓はさっぱりとしたものだが、それでもウチの食卓よりも品目が多い。みな、思い思いに口に運んでいく。
朝のせいか、昨日は元気だったリアも眠そうだ。
「それで、今日のお出かけの道順は決めたの?」
小さな皿に盛り付けられたパンをかじりながらリアが誰にでもなく話しかけた。
「さあ、私はシエルが考えているものだとばかり」
ソレイユの意見と同じく、シエルが色々考えているんじゃないか、とオレも思っていた。
『しかし、実際に見る必要があるのは陣を張るための開けた空間くらいでしょうか。その場所も航空写真で特定してあります』
本当に仕事が早いな、この結晶。
「ならオレたちのやるべきことって?」
『思う存分この町を見て回ることでしょうか』
その言葉を聞いて、ソレイユが目を輝かせた。
「それなら食事が終わり次第出かけることにしましょう!」
楽しそうなソレイユをみると、特に否定する気にもなれなくて、黙ってうなずいた。
「ごちそうさま。それじゃあ、私はでかける用意をしてくるからルナは少し待っていてちょうだい」
「了解」
パタパタと食堂を後にしたソレイユを見送ったあと、もう一人この場に残っている生物に目が行く。
「リアは用意とかないのか」
妖精におでかけ用の服とか、そういう概念はあるのかは知らないが。
「そもそもワタシ、今回はお留守番よ」
「あれ、そうなの?」
てっきり着いてくると思ってたんだけど。
「この館の外に出ちゃったら私の次元の鍵が感知される可能性があるもの。人ごみの中であのフェンリルが襲ってきちゃったら嫌でしょう?」
次元の鍵、というのはリアが所持していたんだっけ。
「でもそれならオトリ作戦も何も無いじゃないか」
一旦戻ってくる、ということか。でもそれは二度手間だと思う。
『陣を引き次第リアが瞬間移動すればいいですから、問題ありませんよ』
胸元にぶら下げておいたシエルが補足をしてきた。
しかし星の王女の服装のときは衣装のほうが目立ちすぎていたけど、普段着だとこの真紅の大きな結晶はよく目立つ。というか喋る結晶なんて衆目を引きすぎる。
「なあ、シエルは留守番しなくていいのか」
『一応進言しておきますが、何の利益もないとは言えDDの人間が刺客を放つ可能性はあります。その場合に私の力なしでは身を守ることすら難しいですよ』
「いやあ、でも目立たないか?」
『そもそも、リアの転送を行うのが私ですよ。それに、一般人からは見えなくなる透明化の呪文もあります。気にする事はありません』
まあそういうなら大丈夫なのかな。
「それよりさっさと玄関に行きましょう。ソレイユが準備終わっちゃうわよ」
女の子の準備は時間がかかると思っていたけど、リアがそういうならソレイユの準備は手早い方なのかな。待たせてもしょうがないし、リアの言う通り早めに玄関に行くとしよう。
食堂の扉を開けて、玄関のほうへ向かう。玄関までは見送ってくれるのか、リアも着いてきている。
「ところで、リアは初めて会った時、使い捨てがどうとか言ってたじゃないか」
「ああ、そんなこと言ってたかしら」
「それってアンナみたいに複数の体がある、って意味なのか?」
アンナは意識や記憶を共有できるらしいし、そういう意味なら納得もできる。
しかし、リアは頷きはしなかった。
「んー、アンナみたいに記憶の共有なんてできないし、そういうのでもないかな。本当に使い捨てのコマみたいなものよ」
「でも、ソレイユはリアを大切な人だと思ってるみたいだった」
リアの表情が少し曇る。
「……そう。どうしたって別れは近いのにそんなことを思ってくれるんだ」
「その別れ、って言うのは世界がDDって連中に関係することか?」
「関係してるといえばしてるけど。寿命みたいなものよ」
寿命、と言われてはこれ以上何を聞いてもやぶ蛇だろうか。
話しているうちに玄関まで来てしまった。
「辛気臭いお話はここまで。ほら、ソレイユがこっちにきた」
パタパタと走ってくる音がする。
振り返ると、白いドレスから、オレンジ色を基調にしたカジュアルな衣装に姿を変えたソレイユがそこにいた。
「あら、かわいいじゃない」
「ありがとう、リア」
ドレスを着ているときは見た目以上におてんばだな、と思っていた。しかし、今の服装なら活発な雰囲気とよく似合っている気がする。ただ、夏にしては少し厚着で、暑くないのか、なんてどうでもいい疑問が頭をよぎった。
「そんなにみつめて、ルナからすると違和感あるかしら」
「いや、そんなことはないよ。よく似合ってる」
「ふふ、無理やり言わせちゃったかしら」
「本心だよ、本心」
「ありがとう」
ソレイユの屈託の無い笑顔を見て、思わず目を背ける。
『そろそろでかけましょう。日の高いうちに行けば色々見て回ることもできますよ』
胸にぶら下げたペンダントから、シエルの声が聞こえてきた。
「そうね、早く行きましょう、ルナ」
ソレイユに手をつかまれて、そのまま玄関の扉が開かれた。
「いってらっしゃーい」
手を振るリアに見送られながら、外に連れ出された。
「へぇ、ずいぶんと人が多いのね」
辺りを見回してソレイユは見たままの感想を述べた。
「駅前の通りだから店も多くて人も集まるんだ。今時期は夏休みだから暇な学生もいっぱいいるし」
現にオレもその暇な学生の一人だし。
「ねぇ、ルナ、あれは何かしら」
ソレイユが指差した先にはこのあたりでは有名なクレープ屋の屋台があった。
「クレープって言ってお菓子の一種だよ。ソレイユのところにはなかった?」
「似たものはあったけど、あんな小さい箱に入りきるようなお店は無かったわ。こちらの世界では空間魔法も無いんでしょう?」
クレープの材料は薄っぺらい皮と中になんか詰めてるだけだし、そんなに場所を取らないから問題ないのだろうか。
「あんまりお菓子とかに詳しくないからよくわからないな」
「そうなの? それなら、一つ食べてみましょう?」
ソレイユにぐいぐいと手を引かれて、その屋台へと引きずりこまれそうになる。
「まった、お金は持ってる? 日本のお金なんてないんじゃないか?」
「ばっちりよ」
ソレイユは自慢げに金色のカードを見せ付けてきた。オレの目が間違っていないなら、日本製のクレジットカードに見える。
「……どういうこと?」
「シエルに作ってもらったのよ。こっちの世界では金貨銀貨ではなくこっちのカードを使うんでしょう?」
「まあ、今はそっちの方が主流だけどさ」
オレも交通機関とコンビニで使える課金式のプリペイドカードの持ち合わせはある。しかし、クレジットカードなんてそんなぽんぽんと作れるものではないと思う。定職についているとか、信用があるとかで支払い能力が確認できないといけないはずだ。
「ちょっと待って欲しい。シエルに確認したいことがある」
ソレイユから少し離れて、胸元のペンダントを目の前に掲げる。
『どうされました、マスター。今回、私は傍観者に徹しますよ』
「そうじゃない。どうやってあんなクレジットカードを手に入れたか聞きたいんだ。そもそも本物なのか?」
ソレイユには聞こえないように小声で話す。
『真贋で言えば真です』
怪しい。
「何か、犯罪行為に手を突っ込んでないか」
『適切な手段で、適切な段階を踏んで適切なものを手に入れました。何の違法性もありませんよ』
そんなに適切と連呼されるととても怪しい。
「いいよ、クレープぐらいなら自分ではら……」
持ち合わせを調べるためにポケットに手を入れて気がついた。
「……ない?」
『マスターが持っていたサイフなら元着ていた服の中ですから、今は亜空間の中です』
良かった、落としたかと思った。まだまだ今月分のお小遣いを残しているし、それなら今日の買い物くらいなら払えるだろう。
「よし、財布だけ取り出して」
『あくまで武装の一種として保管している状態ですから、そういった細かい操作はできません。やるなら衣装を替える必要がありますが、この衆目で行えば目立って仕方ありません』
くそ、この結晶が実に正論だ。どうして出かける前に気づかなかったんだろう。
『私もせっかく作成したあのカードを使って欲しいと考えていましたから、そう遠慮しないでください』
「今、作成したっていったな? やっぱりなんかのインチキしてない?」
『言葉の綾ですよ、言葉の綾』
信じてもいいのか、この結晶。
ただ、これ以上シエルに何言っても意味はなさそうだ。納得のいく説明をするつもりはないらしいし、犯罪行為であったとしても絶対に罪を認めないだろう。
「あら、お話は終わったのかしら。遅かったから買って来ちゃった。はい、これルナの分のクレープ」
ソレイユのほうへ戻ると、いつの間にかその両手に二つのお菓子がある。その片方を手渡された。
「……これ、さっきのクレジットカードで買ったのか」
「そうよ。いけなかったかしら?」
小さなクレープ屋でも使えるものなのか、という驚きもある。ただ、それ以上に得体と出所の知れないものから手に入ったのがこのクレープだ。
「……もしかして、チョコレートは苦手?」
「そうだね、こんな真っ黒に染まったものは少しだけ苦手かもしれない」
「そんなに真っ黒かしら」
もしかしたら、罪の意識が黒く見せているのかもしれない。
「無理はしなくていいのよ? 私が一人で全部食べてもいいし」
そんな罪をソレイユだけには背負わせられない。有無を言わせる前にかぷりと食らいついた。
「……む、おいしい」
クレープなんて食べたこと無かったが、この甘さはいい。また今度食べてもいい味だ。罪の感覚なんて一瞬で吹き飛ぶほどおいしい。
「そうね、イチゴと生クリームがうまく混ざり合っておいしいわ」
「そうなのか」
どうやらソレイユのクレープはこちらのチョコ入りのものとは違うらしい。
彼女がおいしそうに食べる姿はかわいらしく、つい見つめてしまう。
じっと見ていると、横目にソレイユと目線が合ってしまった。
「ふふ、見ているだけじゃなくて、言ってくれればいいのに」
「な、何を!?」
何もやましい事は考えてない。
「ほら、私のも食べてみたかったんでしょ?」
ソレイユの手には小さくちぎられたクレープがあった。欲しがっているように見えたのか。
「はい、あーん」
言われるがままに口を開けると、その中にクレープを放り込まれた。
「おいしい?」
「……うん」
なんか、もう味なんて分からない。
「ルナのクレープも一口もらっていいかしら?」
「どうぞどうぞ」
むしりとるようにクレープをちぎると、ソレイユに差し出した。
彼女は乗り出すようにクレープに口をつけると、ゆっくりとかみ締めて飲み込んだ。
「ふふ、こっちのもおいしいわね」
唐突に、ようやく、この期に及んで気がついた。
これ、デートかもしれない。