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プロローグ:錆びついた心

 雑踏の中。道行く人々の足音すらも騒がしい。


「なあ、三鷹(みたか)


 周囲の雑音に紛れない程度の声がオレの耳に届いた。


 その声の主は、学校からの帰り道を共に歩く、今隣にいる友人のものだ。


「なんだよ」


 そいつは大したことじゃないんだけど、と前置きしてから話を始めた。


「あんなこと言ってるけどさ、『正義の味方』が本当に街を守ってる姿を見たことはないんだよな」


 突拍子もないことを言い出したな、と思った。


 あんなことってなんだ、問い返そうと振り向いたが、友人はこちらの顔なんて見てはいなかった。代わりに、そいつの目線の先の、巨大なスクリーンがよく見えた。


『――そんなわけで、今日も魔法少女オーシャンブルーの活躍で世界の平和は守られました!』


 街の大きなビルに取り付けられた巨大なテレビに、派手な衣装に身を包んだ少女が化け物を倒す姿が映し出されていた。


 もちろん、現実なんかじゃない。日曜の朝とか、あるいは深夜にやっている魔法少女アニメが特集か何かで放送されているのだろう。


「そりゃまあ、フィクションだからな」


 オレの返答に友人は不満げだ。


「でもさ。魔法少女だけじゃなくて、正体を隠す仮面の男だとか、正義の心に目覚めた改造人間だとか、悪の組織に立ち向かう戦隊だとか。これだけヒーローたちが生み出されたんなら、一人くらいは本物も生まれちゃうんじゃないか?」


「無茶を言うな」


 どれだけ嘘を積み重ねても、真実にはならない。そんなのは高校生にもなれば分かりきっている現実だ。


「でもよ、たまには事件の一つもおきるだろ? その事件を解決するような人間が居ればヒーローの誕生だ」


「別にいいだろう、いつも通りの毎日で。平和ってのはいいことだ」


「それ以上に暇で退屈でさ。何か起きないかなーなんて思っちまうのさー」


「わからないことはないけど」


 現状は何もなくて。刺激を求めてしまう。


 その感情を理解できないことはない。


 けれど。ただ待っているだけのオレ達のような一般人には、そんな刺激的な一日は訪れない。


 なにも変わらない平和な日々が、いつもと変わらない雑踏とともに過ぎていく。


 それは少し退屈だけど、平和でもあるんだから、喜ぶべきことなんだと思う。






 見上げるようなビル街を過ぎて、住宅街の区画まで歩くと、ずいぶんと人も減る。


 隣を歩く友人の声だけがよく聞こえる。


「それでさー、担任の奴が宿題忘れたぐらいでうるさくてさー」


「それはお前が悪いんじゃないか」


「なんだよ、三鷹まで担任の奴の味方すんのかよー」


「事実を言っただけだろ」






 他愛もない、話題の移ろう会話に花を咲かせながら、友達と道を歩く。


 いつもと、なにも変わらない。






「ああ、じゃあ俺こっちだから。また明日!」


「おう。また明日」


 話すだけ話して、帰り道が分かれたところで友人とも別れを告げる。


 今日も何も変わらなくて、明日からもきっと同じ日々。


 実に平和だ。






 一人になって、薄暗い夜道に差し掛かった。


 このあたりは街灯も少ない、というので気をつけて歩けといわれた事はあった。


 そんな些細な危険なんかより、近道として有効活用しているけれど。


 静かで、誰も居ないいつも通りの道だった。


 何も変わらないはずだった。




「だれか」


 どこか遠くから、小さな声が聞こえてきた。


 繁華街の方だ、と感じたが、そんな騒がしいところから助けを求める声だけが聞こえるはずがない。


 幻聴だろう。




「だれか」


 今まで起こらなかったことなど起こらなかった。


 今日も代わり映えのしない毎日で、いつも通りの日々のはずだ。


 だから、その声も気のせいだろう、と無視をしようとする。




「誰か、助けて」


「……」


 先ほどよりも鮮明に聞こえた、その悲鳴に感情がざわめいた。


 そのざわめきは、気のせいなどではない。


「勘違いなら、それでいい」


 無駄足になるだけだ。


 走る。


 住宅街を引き返し、人の波に逆らう。


 走る。


 人の波に逆らいながら、足は止めない。


 走る。


 暗がりでも、つまずいても、かまわず音が聞こえた方向へと走り出す。


『誰か、助けて』


 頼りにしたのは小さな声で、その場所は遠いというのに、迷うことなく進むことができた。






 走り続けた最終地点。


 曲がり角の先の路地裏の吹き溜まり。


「なんだ、これは」


 夏も始まったばかりというのに、凍えるような冷気。


 壁と床の全てが凍り付き、その表面は鏡のようにすべてを反射していた。


 その奥に、倒れ伏している人間がいた。


「……」


 泥だらけの衣服で、壁に倒れ掛かったオレンジ色の髪の少女。


 その少女は、傷と泥にくすんでいても、まるで太陽のようだと思った。


「……もう、ダメ。ここで、終わりなのかな、ソレイユ」


 ボロボロの体でも少女に微笑む、小さな羽の生えた小人が宙を舞っていた。


 その小人は、この目が狂っていないのなら、妖精と呼ばれるような現実に存在しえない生物に見えた。


『――――!』


 そして、その二人を食らい尽くそうと、見上げるほど巨大な獣が大きな唸り声を上げていた。


 体に冷気を纏う獣は、例えてもいいのなら、どこかで見た神話の生物だと思った。


「なんだ、これは」


 現実味なんて一切無い。


 ここは、大通りからたった三歩で踏み込める場所。


 日常と一続きの空間にしては、ありえないほど異質だった。






 少女が一人、眠るように、倒れている。


 助けを呼んでいたのはあの少女に違いない。


 放っておけない。


 踏み出そうとして、その足が止まった。


 ――行けば、死ぬ。


 心の中で、誰か(オレ)の声が聞こえた。


 わかっている。近づくだけで、あの獣に殺される。


 でも、行かなければ少女が死ぬ未来は変わらない。


 すくんだ足を、一歩踏み出した。


 ――だが、オマエには何の力もない。あの少女の死は運命なのだと、あきらめればいい。


 心の中で、誰か(オレ)の声が聞こえた。


 わかっている。きっと、逃げ出せばこの命は助かるんだろう。


 けれど、助けを求めた少女を見捨てることなんてできはしない。


 ――ならば、命を懸けろ。運命にあらがうのなら、そのくらいは必要だ。


 わかっている。


 だから。


「……なんで一般人が向かってくるの!?」


 妖精の驚愕なんてよそに、戦場へと飛び込んだ。






『――――――』


 咆哮が路地裏に響く。


 一瞬の間に、巨大な獣の後方が白い紋様の描かれた円で埋め尽くされた。


 その円の中からは無数の氷の弾丸が湧き出し、空中に固定された。


 こんな現象は現実にはあり得ない。


 だが、夏にもかかわらず辺り一面が凍り付いている時点ですでに異常。


 驚きはしても、足を止める理由にはならない。


「そう、一般人が居てもお構いなし、か」


『――――!』


 妖精のつぶやきは、路地裏に響く咆哮によってかき消された。


 咆哮とともに、数十もの氷弾がこちらに音を切る速度で飛来する。


 一つでも当たれば、死ぬ。


 そして、回避できる場所など、この狭い路地裏には存在しない。


「――」


 無謀だった。


 何の力も、策もなしにこの戦場に踏み込むなんて、実に無謀だった。


 オレはここで死ぬ。


 何もできず、何の意味もなく。


「させない――炎天よ、応えなさい!」


 妖精の手から火炎が噴出し、赤い大きな盾が現れた。


 後ろにいるオレと少女を守るように。


 その盾から来る熱が、本物の炎がそこにあるのだと、実感させた。


「……ホント、綱渡りね」


 妖精は汗をにじませながら、ぼそりとつぶやいた。


 その言葉から察すると、まるで。


「キミが、この炎の盾を作ったのか?」


 ばかげた質問だ。


 それでも、こんな質問をせざるを得ないほど、こんな炎の盾を作り出す、なんて現象に心当たりはなかった。


「そうよ。でも所詮は借り物だから精度も出力も中途半端だけど」


 けれど、妖精は振り向きながら微笑み、オレの言葉を肯定した。


「それに、持続時間もほんの少し。もう限界かな」


 妖精の言葉とともに、炎の盾の端が少しずつ、ほつれるように消えていく。


「……ねぇ、無謀で勇敢なお兄さん。ひとつお願いしてもいいかな」


「お願い?」


「……その子を連れて遠くに逃げて」


 妖精はそれだけ言って背中を向けた。炎の盾の向こうには、大きな獣が無数の氷弾を放ち続け、その盾を真っ向から破ろうとしている。


 まだ、ほんの少しだけ時間はある。


 しかし、少しずつしぼんでいく炎の盾を見れば、限界が近いこともわかる。


 そして、氷弾の嵐は一向に弱まる気配を見せない。


 この妖精の力では、獣に敗北するのは時間の問題だ。


「キミはどうするんだ」


「ワタシ? いいのよ、使い捨ての道具みたいなものだし」


 妖精は獣から目線をそむけず、そっけなく返答してきた。


「それじゃ、キミの命は」


「いいから、その子を逃がして」


 彼女はオレのほうなど、見てはいない。


 覚悟があって、その言葉を口にしているのだ。


 助けを求めちゃいない奴まで助けられるほど、この手は広くないし、強くもない。


「分かった。逃げ――」


 目を背けて、少女を担ぎ上げようとしたところで、その腕を握り締められた。


「……だめ」


 握りしめてきたのは、担ぎ上げようとした少女だった。


 閉じていたはずの少女の目は開かれ、その中には光がさしていた。


「だめ。逃げちゃだめ」


 後方で、何かが爆発して思わず振り返った。


「……逃げちゃだめ、なんて言われても」


 妖精の作り出した炎の盾はすでに、最初の半分ほどの大きさに。


 襲い来る氷弾をなんとかしのいでいる、という状況。


 獣の方はまだ余裕だと笑みを浮かべているが、妖精はもう顔に生気がない。彼女が勝つ未来など、到底ないだろう。


「あんなのどうしようもない。逃げるしかない」


 オレは、正義の味方なんかじゃない。


 助けられる命しか、助けられない。


 けれど、オレの弱腰を否定するように、少女の腕を掴む力はさらに強くなった。


「でも、リアが死んだらこの世界はもうおしまいなの。あなたも、わたしも、全部!」


 世界がおしまい、なんて言われてもわからない。


 そんなこと言われてもどうしようもあるもんか、とつっぱねようとして、少女の力強い目線を見てしまった。


 彼女はあふれる涙をこらえて、オレに訴えてきた。


 そして少女の太陽のように輝く瞳にあてられた。


 その瞳には、ただ縋るだけの願いではなく、確固たる意志を感じる。


「何か、手段があるのか」


 彼女は力強くうなずいた。


「戦うための力を、あなたにあげる」


 その決意は全てを捨てるような覚悟に見えた。きっと、この少女はその覚悟で傷だらけになるまで戦っていたんだろう。


 そして、どれだけ無様でも可能性にすがって、通りすがりのオレなんかを頼った。


「……バカ、何を言ってるの。早く逃げなさい」


 後ろの妖精の声には、もう力が感じられない。


 けれど、彼女は少女を気遣って、最後の警告をしていた。


「いいのか」


 少女の決意は、妖精の覚悟を無碍にするかもしれない。


「それでも、何もせずに逃げるなんて耐えられない」


 弱々しく握られた腕は、とても熱かった。


 少女の想いを代弁するように。


「……分かった」


 それで、決意は十分に伝わった。


「オレでいいのなら、その力を借りる」


 オレに何ができるのかなんてわからない。でも、その想いに答えたいと、そう感じた。


「ありがとう」


 少女はオレの手のひらに平べったい六角柱の結晶を置いた。


 小さな星明りでさえ反射し、その透き通るような結晶は紅く輝いていた。


「……よろしくね、シエル」


 腕の中の少女は瞳を閉じて、それと入れ替わるように、手に持った物体が強く光りだした。


「……これは?」


認証開始(セットアップ)


「しゃ、しゃべった?」


 オレの疑問の声に応える者はなく、代わりに結晶からは無機質な音声が聞こえてきた。


正式名称(パーソナールネーム)不明(アンノウン)通り名(コードネーム)無名(ノーネーム)。……情報破損により情報を修正。対象を星の王女(スターデレミー)として再認証』


 同時に、結晶は周囲の闇を裂くような強い輝きを見せていた。


 その光にオレも妖精も、そして獣すらも目を奪われている。


「ありえない、どうして一般人にシエルが同調するの……?」


 妖精は大いに困惑している。


 獣も、攻撃の手を緩めてこちらの動きをじっと見ている。


 オレにも何を言っているか、分からない。


 でも、今は戦わなくてはいけない、ということだけはわかっている。


『新しいマスター。命令(オーダー)を』


 命令、と言われても、今必要なものはたった一つ。


「力がほしい」


『どんな力を』


「今、戦う力だ」


『ならば、変身するしかありません』


 結晶の言っている言葉の意味はわからない。けれど、不思議とこの結晶から聞こえる声を疑う気にはならなかった。


「どうすればいい?」


『私を掲げて【変身(トランス)】と唱えてください。それですべてが始まります』


 言われるがまま、結晶を天に掲げ、口を開いた。


「【変身(トランス)】!」


 全身を、暖かな力が包んでいった。











 身体が軽くなったような気分がする。


 少し、ヒラヒラと舞う下半身を覆う布が頼りない。体に巻きつくような長く白い髪も少々うっとうしい。……髪?


 上半身も輝くようなピンクに覆われている。さっきまで学生服を着ていたんだから、こんな服は着てはいないはずだ。


「……どうなってんだこれ」


 つぶやいた声は甲高く。


 見つめた先の手のひらは白く、小さく。


 凍り付いた床に映る自分の姿は、今までの自分とは変わり果てていた。


「ワタシ、最期に夢でも見ているのかな。どうしてあの子が二人も……」


 妖精はつぶやくと、力を失って地面へと墜落していった。


 もう限界だったのか。


 あるいは、あまりにも奇怪な現象を見て気でも失ったのだろうか。


『……』


 氷弾の嵐を飛ばしていた獣も、その手を止めている。


 理性があるのか、それとも野生の勘か。


 この現象を見て警戒しているのだろうか。


 それも当然かもしれない。


 もしも、幻覚を見ているのでなければ。


 床の(かがみ)に映るオレの顔は、倒れ伏した少女とそっくりで。


 格好はまるで、画面の向こうの存在でしかなかった、魔法少女にでもなったみたいだった。

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