台風の魔力 エピローグ
家に着いた僕は一直線にお風呂に向かい、濡れた服は洗濯機に投げ込んだ。もうお風呂は沸いていたので、シャワーを浴びてから湯船に浸かる。足を伸ばして力を抜くと、雨で冷えた筋肉がじわじわと温められてずっとそうしていたい気分になった。目を閉じたらすぐにでも寝てしまいそうだ。
両手を伸ばすようにして大きく息を吐くと肩がズキリと痛んだ。足が疲れすぎていて気付かなかったけれど、明日は全身が筋肉痛になることだろう。今まで経験したことがないほどのスピードで走ったのだからそれも当然だ。あのトップスピードはシュンタですら味わったことがないはずなのだから。
今になってみると僕がシュンタより速く走ったなんて信じられなかった。眠気も相まって、もしかしたら夢だったんじゃないかと思ってしまう。けれど全身の痛みが夢ではなかったのだと訴えかけてくる。
しばらくそうして物思いに耽ってからお風呂を出た。するとちょうど母さんが帰ってきたところだった。
そして「おかえり、母さん」と言ったところで思い当たる。玄関はナオトが作った水溜まりがそのままにしてあったし、僕の濡れたランニングシューズも脱いだままだったのだ! けれど母さんは気付いていないのか「ただいま」と言ってリビングに入ってきた。
「あら、もうお風呂入ってたの?」
「ああ、うん。せっかく早く沸かしたからさ、母さんも入ってくれば? 結構濡れてるよ」
「そう? じゃあ入ってこようかしら。夕飯はもう少し待っててね」
母さんがお風呂に入っている間に、玄関の水溜まりを拭いてからスパイクとランニングシューズを持って僕は部屋に向かった。
部屋に着いた僕はすぐにでも寝てしまいたいほど疲れていたけれど、なんとか気力を振り絞ってスパイクとランニングシューズを丁寧に拭いていく。布地の少ないスパイクと違ってランニングシューズは水を吸ってしまっているので、中に新聞紙を詰めておくことにした。
一通りやることが終わってベッドに寝転がると、考える間も無く眠りに落ちてしまったみたいで「寝てるの? ご飯できたわよ」という母さんの声で目が覚めた。
母さんに返事をしてからふと窓を開けて見ると雨は止んでいて、台風に置いて行かれた風たちがヒューヒューと静かな音を鳴らして台風を追いかけていた。頑張れ、諦めるな、なんて思いながら窓を閉める。
1階に降りると昨日とは違って父さんはまだ帰っていなかったけれど、やっぱりいつもより少し豪華な食事がテーブルに並べられていた。すでに体のいたるところが筋肉痛でギシギシと痛み始めているので、お肉料理が多いのはとても嬉しいことだ。ハンバーグや豚カツを食べる度に、少しずつ体が成長しているような気分になった。
隠れて台風の中を出掛けたことが後ろめたくて皿洗いの手伝いをしたけれど「どうしたの? いつもはしないのに、偉いじゃない」と言われてなんだか後悔した。けれど母さんは嬉しそうだったので、やっぱりやって良かったのかもしれない。僕の反抗期はどこに行ったのだろうか?
次の日は雲ひとつない快晴だった。朝から町は騒がしく、みんな台風の後片付けで大忙しだ。
僕は乾いたスパイクとランニングシューズを持って学校へ向かう。これから僕はこのスパイクを履いて、何度もシュンタと勝負するだろう。だけど、別に陸上をやろうって思っているわけじゃない。ただ楽しいから挑戦するだけだ。
そしていつかシュンタやナオトにとっての陸上や勉強のように、自信を持てるものが見つかればいいなと思う。
そんなことを考えながら歩いていると、いつもの十字路にシュンタが立っているのが見えて僕は走り出す。向かい風が吹いている訳でもないのに、僕の足取りはとても軽やかだった。