#0 -[ 入学前日 ]
いつから私は実在しているのだろうか。その長い歴史を覚えている訳では無いが、朧気にこの世界が誕生すると共に生まれてきたような気がする。恐らく、そうなのだろう。
どこに私は実在していただろうか。神出鬼没。私を表すのにこれ以外に適した言葉はないと思う。誰もが予測出来ない場所に私は存在している。そして、それは今も。
どうして私は実在しているのだろうか。存在意義を考えたことは無い。考えた所で答えなど分からないのだ。私が実在しているのは確かだが、その私を生み出した創成者は誰かは分からない。
────よって、私は不確かな存在なのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
この世界で【スキルイーター】が騒がれ始めたのは数年前である。恐らくは昔から存在していたのだろうが、それを裏付ける証拠は今まで存在していなかった。それがどうして世界に名を轟かせるまでに至ったのか。それはその存在の脅威性によるものだ。
この世界にはごく稀に特殊な才能を持った者が生まれてくる。その個体は、後に【勇者】や【英雄】などと呼ばれる場合が多い。その個体は何かしらの偉大な業績を成し遂げているのだ。それはまさに勇者や英雄として相応しい。
その個体が持つ特殊な才能は、俗に【神々の祝福】や【神々の叡智】と呼ばれている。まさに神にも相応しいその力を持つのが印象的であるため、付いた名称であるが、その真偽は分からない。人によってそれを真とするか、偽とするか主張している。
【スキルイーター】とは何者なのか。ましてや人なのか。まだその姿を見た者はいないという。そのシルエットを見た者が言うには、人であると。確証はない。全く持って都市伝説なのだ。本当にそんな存在がいるのだろうか。
そう記された著書は瞬く間に世界でベストセラーとなった。本の題名は『スキルイーター』。とある有名な研究者が著したものだ。10年経った今でもベストセラーとなり続けている。
「何の本を読んでいるのですか?」
暖かい日差しが降り注ぐ庭。そこで声を掛けられた僕は本を閉じた。そして声の主の方を向く。
「昔話だよ。それよりもどうしたの、シル?」
声の主は幼馴染の少女。僕と同い年だ。年齢は8歳。金色の髪が陽光を浴びて輝いて見える。見るものを魅了する人形のような少女。
「お父様がお呼びですよ。」
「うん、分かった、すぐに行くよ。」
僕は名残惜しいように本を見るが、シエルはダメだと首を振る。仕方無く本を持って屋敷に戻った。屋敷に入った僕は側にいた侍女に持っていた本を渡す。部屋に置いてきて、という言付けを託して。そのまま僕は父上がいる書斎に行った。
「失礼します。」
「ああ、入りなさい。」
書斎の扉を叩くとすぐに返事があった。僕は扉を開いて、書斎に入る。本とインクの香りがする書斎で父上はこちらを向いて座っていた。書き物をしていたようだ。来る時間を間違えただろうか。
「お邪魔でしたでしょうか?」
「大丈夫だよ。呼んだのは私だからね。」
父上は私に対して優しい。一人息子だというのもあるだろうが、伯爵である父上は多くの家臣から認められる存在であり、多忙な父上に愛されている僕は本当に幸せ者だと感じられる。
「……どのような要件ですか?」
父上の仕事を止め続けるのも悪いと思った僕は要件を聞く。すると父上は少しばかり顔を歪ませる。
「世間話ぐらい私にもさせてくれ。」
「すみません、ですが父上は多忙な身なのでお邪魔をしてはいけないと……。」
「ハハハ。ミエラは優しいな。だが今は大丈夫だ。立て込んだ仕事も無い。」
これは嘘だ。伯爵にして国の宰相である父上が多忙でない筈がない。僕の為に嘘をついてくれるのだ。これを追求するのも悪いと思った僕は素直に世間話をすることにした。
「と言っても何を話そうか────あぁ、そうだ。」
思い出したように父上は言った。
「ミエラ、明日から学院だが……どうだ?心配など無いか?」
そう、明日から僕は学校だ。国内最大の学院である帝国学院。大陸内でも高位の者が集まっている。その分、入学の為の試験も難しかったが、どうにか合格する事が出来た。
「いえ……心配には及びません。母上と姉上と準備をしっかりとしていますので。」
「少しは甘えても良いんだぞ?……だが、そうか。ミエラは首席合格だったな。それも満点で。皇帝もお褒めになっておられたぞ。」
「ほ、本当ですか……?」
初耳な話に驚きを禁じ得ない。まさか皇帝に御褒めの言葉を頂けるとは思えなかったのだ。大陸最大の国家であるアルテンド帝国の皇帝ともなれば謁見する事すら人生であるか分からないほどの存在なのだ。
ましてや現皇帝は文武帝と称されるほど、文学、武学に長けているのだ。千年もの間、国土を接してきた大国を滅ぼし、大陸を統一した。さらには国内の教育水準を向上させ、学院を卒業しない生徒はいないとまで言われるようになった。
実力主義だけでなく、古くから帝国を支えてきた者達に対しても温かく接する様子は忠誠心を高め、歴代皇帝で初となる反乱が一度もない皇帝なのだ。先は分からないが、少なくとも今は反乱の兆候はない。
「あぁ、本当だ。良くやったな、ミエラ。」
「はい……!」
世間話でなく親子愛を見せるだけになってしまったが、そろそろ本題に入っても良いのではないだろうか。僕は父上に再度問い掛ける。
「父上、シエルも待たせているのでそろそろ本題に……」
「あぁ、そうだね。……私からする話はあくまで噂だ。信じるか信じないかはミエラ次第だが、心には留めておいてくれ。」
「分かりました、父上。」
僕は頷く。それを見ると父上は語り出した。その内容は帝国学院がある、帝都についてだった。今、帝都で摩訶不思議な現象が起こっているとちょっとした騒動が起こっているらしい。
「あくまで噂だが、帝都では亡霊が出没しているらしい。」
「亡霊、ですか?」
亡霊と言うとあの亡霊だろうか。人の怨念などが地上に残り続けた結果、実体化する……。
「恐らくミエラが思っている通りの亡霊だ。どうしてそんな噂が立ったのかは全く分からないのだが、どうにも気掛かりなのでな。」
「……そう、ですか。」
俄には信じられない話だったが、宰相である父上の言う事だ。何か根拠に基づいた判断なのかもしれない。肝に銘じておこう。
「一応、話はこれで終わりだが……本当に明日からの学院生活に不安は無いか……?」
「……無いですよ、父上。」
結局、仕事よりも子供な親バカであった。不満がある訳では無いが。部屋を出た僕は外に待っていたシルに声を掛ける。
「ごめん、ずっと待ってた……?」
「大丈夫です。先程までお姉様に呼ばれていましたので。」
どうやらシルも明日の学院の準備に忙しいらしい。その間を縫って僕と話をしているみたいだ。
「準備は終わったの?」
「お陰様で終わりました。お姉様やお母様に手伝って頂きましたので。」
「……相変わらず、姉上と母上は世話好きだね。」
「ですが、わざわざ私の学院生活まで保証して下さったのです。いくら感謝してもしきれません。」
シルはこの屋敷に住む居候みたいなものだ。正確には跡継ぎ争いに負け、今は亡き皇太子殿下の娘である。跡継ぎ争いに負けている為、帝都に屋敷を持つのが難しかった。
それを嘆きなさった皇太子殿下を見た父上が申し出たのだ。皇女殿下をお守り致しましょうか、と。病弱であった皇太子殿下は、その申し出に喜んで同意なさった。そして、今に至るという訳だ。
不慮なことに皇太子殿下は、昨年亡くなってしまわれた。シルは身分剥奪で貴族になった。どうにか立ち直ってはいるが、毎晩声を潜めて泣いているのを僕は知っている。
遺産も全て奪われた身であるシルを学院に入れようと言ったのは、母上だ。今ではシルは大事な家族の一員だ。未だに敬語を辞めようとはしないけど。
「……それよりも僕が読んでいた本の事知りたい?」
場の空気を変えようと僕は提案した。シルも気付いていたのだろう。素直に乗ってくれた。
「はい!聞きたいです!」
「じゃあ、僕の部屋に本を置いてきてもらったから取りに戻るね。先に庭に出ておいて。」
僕は部屋へと駆け出した。シルも庭へ向かう。幼い僕達は平和な毎日に満足していた。
────この穏やかな生活が一変するとも知らずに。
僕が気づいた時には全てが変わっていた。あの時に戻れるのならば戻りたい。そう思うのみであった。だが、過去には戻れない。それが現実だ。