喰われた
「――で」
研究室と思しき真っ暗な部屋に、ぴちゃん、と雫が落ちる。
煙草の吸殻の散らばった机の上には、メモ用紙やら小型の気色悪い人体模型やらが乱雑にバラ撒かれている。
得体の知れない焦燥感を催させる、規則性のない物の配置――確か内容さの立ち込める場所だ。
再び、天井から水粒が一つ降る。
その先――冷たい石の床には、小動物の死骸や飲みさしの酒瓶と一緒に――
「お前が、“子供攫い”のリーダーって訳か」
夥しい数の、怪物共が転がっていた。
――無論、手を下したのは俺だ。
暴れて少しはスッキリするかと思ったけど……別段そんなこともなかったから、困る。
「ば、バカな……私の飼い馴らしたモンスターたちを、ほんの十秒足らずでっ……ありえない、こんなのありえてたまるものか――ひいっ!?」
「案外若いな。大した力を持ってる訳でもなさそうだし……」
ぐい、と汚れた白衣の胸元を掴み、ジロジロと眺める。
疲れ果てた顔立ちの、研究員と思しき赤毛のオッサンが甲高い悲鳴を挙げた。
本当に、こいつが“子供攫い”のリーダーなのか?
研究の手腕が買われたのだろうか――よく分からない。
などと考えを巡らせていると、オッサンが情けない声を発した。
「ま、待ってくれ……違う、違うんだっ! 頼む、許してくれ、駄目なんだ、あとあと少しだけ研究を続けさせてほしいんだよ! お願いだ、金なら幾らでも――」
「俺に言われても困るんだよ。許してもらいたいってんなら、自分らが手を掛けたガキ共にでも土下座しとけ」
「ひ、ひいいいいっ……」
再び挙がる無様極まりない悲鳴。
その様子に、背後からキャットウォークのドン引きした喋り声が聞こえる。
「……こ、これは一体、何の冗談にゃ? 単独で、最低でも討伐難度Aはありそうな魔物五十匹が、ほんの十秒足らずで殲滅……? し、シルファちゃん、君が何か魔法をあの子に掛けたんだにゃ!? そ、そうだよにゃ!?」
「何もしていない。私がその手の術は苦手なことは、スズネは知っている筈」
「そ、そりゃまあ……にしても、“アレ”も使ってないってのに、何ていう殲滅能力にゃ……!」
畏れ混じりの賞賛を向けられる――また少しモヤモヤする。
……別に、そこまで言われるほど大したことをしている自覚はないけどな。
俺は鼻を鳴らした。
「とりあえず色々聞かせてもらうぜ。他の研究員やら、組織の人間やらのこととかもな」
「い、いない、そんなヤツらはもういないんだっ……皆、皆あの子に、あいつに殺されてしまった、喰われてしまったんだっ」
「ああ?」
どういうことだ、と更にオッサンを問い詰めようとしたが――
「お終いだ、もう私はお終いだ……死ぬ、死んでしまう、殺されてしまう……っ」
オッサンは、顔中から脂汗を凄まじい勢いで吹き出させていた。
瞼や頬はまるで電気ショックでも浴びせられたかの如く痙攣し、血走った眼球はせわしなく動き続けている。
何か、様子がおかしい。
戸惑いながらも俺はオッサンに皮肉を飛ばした。
「ああ、そうだな。長年に渡る、組織ぐるみでの児童誘拐に人権無視――その首謀者たるお前にゃ、間違いなく死刑判決が下るだろうよ」
「違う!! そうじゃないっ!!」
突然の絶叫に、俺は素早く後方へ飛び退いた。
彼はなおもガタガタと震えながら呻く。
「早く、早く“あの力”の正体を見極めなければならないんだっ、そうだっ、成果をっ、成果を出さねばならんのだっ……国に、あの子に認められるだけの成果を出さねば、“成果なし”から抜け出さねば、でなければ、でなければっ……」
そこまで言って――オッサンは、ビタリと唐突に身を固め――
「ぎいっ!? あ、ぐおおああああっ!!」
頭を抱え、激しく苦しみ始めたのだ。
「ひぎゃあああッ、うああ、っ、ま――待ってくれ、アリスっ!! 頼む、私は役立たずじゃない!! まだだ、まだ試していないこともあるんだ、きっと、きっと“あの力”を完全な段階まで引き上げ、お前に与えることができるっ!! だからお願いだ、殺さないでくれ、殺さっ、あ、ああっ――」
「お、おい!? 急にどうした!?」
急激に変化するオッサンの姿――顔が、腕が、足がパンパンに膨れ上がり、肉が赤黒く染まり、質量が増大していく。
そう、まるでかつて対決した赤子や少女のように。
俺は咄嗟に手を差し伸べ――
「あ――お゛っ、ごォッ、あああああああああああああああああっ!!!」
「っ!?」
その指先にびしゃりと肉片がへばり付く――オッサンの全身は勢いよく弾けた。
「……今のって、まさか、エネルギー過剰の末期症状か……?」
「ド、ドラゴリュートくん、大丈夫にゃ!? こいつ、死に際に何か呪いを撒き散らしたんじゃ――」
「いや、そういうのはなかったけど……でも」
隣のアクアマリオンと顔を見合わせる。
どうやら彼女も困惑しているらしい――黒いドレスを揺らし、弾けたオッサンの死体の傍にしゃがみ込む。
魔法で手袋を作り、その腸を掻き分け始めた。
やがて腕を引き抜いた――小さな手には、銀色の鱗が握られている。
「案の定。彼もこれを埋め込まれていたらしい」
「……マジかよ」
「今までの症例からして、こんなに猛スピードでエネルギー過剰が進行するなんてことはありえない――これを通じて、何らかの干渉を受けたと考えるのが妥当」
干渉、か……。
にしても、この銀色の鱗――これって、やっぱり。
ギルドの依頼の帰り道、靴にくっ付いていたアレと多分、同じ……だよな。
……おい、ドラゴン。
お前、何か知ってるんだろ?
『ああ、分かっているさ。分かっているが、まだ確信が持てないのだ』
ちっ、また話を濁すつもりか?
『違う、そうではない――あまりにも、荒唐無稽過ぎるのだ。……私が目覚めたということは、ヤツに目覚める余地など存在する筈がないというのに、なぜ……?』
また、ボンヤリしたことをほざきやがって。
ガンドウの姿、異形の者たち、心に伸し掛かる得体の知れない靄。
全てが俺の胃袋の底を焼いた。
こっちはただでさえ気が立っているというのに、ハッキリ言ってくれよ――
「おい、お前たち」
不意に呼び掛けられる――ガンドウだ。
彼は薄笑いを浮かべて言った。
「こっちへ来てみろ。……面白いものが転がっているぞ」




