布切れの先
「……あ、ああっ……」
どうしようもなく哀れっぽい、ガンドウの呻き声。
恐怖に歪んだ彼の顔に、真っ黒い影が差し込む。
びぐんっ。
濁った灰色の布切れですっぽりと全身を覆い隠した“それ”は、大きく身を震わせ――股の辺りから、異形の肉塊を引き摺り出した。
「な……ん、にゃの、あれ……っ」
渾身の一撃がまるで通用しなかったことへの衝撃と、何より、眼前の存在に対する困惑で激しく動揺するキャットウォーク。
何なのって、そんなモン俺が聞きてえっつの――赤子と近しい存在だってことくらいしか分かんねえしよ。
気持ちの悪い黄土色の粘液に塗れ、てらてらと輝く肉塊。
死に掛けのミミズが如くのたうち回るそれは、不意にその身を縮ませ――
直後、数秒前の数倍以上に膨れ上がった。
「!! 不味い――逃げるにゃ、ガンドウっ!!」
「う、うう、うああああっ……」
必死の形相で叫ぶキャットウォーク。
しかし、ガンドウは無様に尻餅を付いたまま呻くばかりだ。
その様子に彼女は舌打ちをし、ヤケクソ気味に“それ”めがけてオレンジ色の魔力弾を放った。
が――着弾する直前に、“虹色”のバリアに阻まれてしまう。
「……え?」
切迫した状況も忘れて、アクアマリオンが目を見開いた。
キャットウォークが頬に汗を浮かべながら歯噛みした。
「クソっ、何て頑丈なバリアにゃ……!! さっきの合体魔法も、あれに阻まれて届かなかったんだにゃっ!! 仕方ないにゃ、シルファちゃん、もう“アレ”を使うしか――」
「……あ、いや、ううん。心配要らない、スズネ」
アクアマリオンは、分かってるよな? とでも言いたげな瞳を向けてきた。
ったく――俺は後頭部をガリガリと掻きながら、ぶすくれた顔を作る。
「不本意だが、やるっきゃねえか。――二人とも、下がってろ」
「はあ!? アンタ、まだ自分の力量ってモンを分かってなかったのかにゃ!? 今の術で倒せなかったようなのを君みたいなド素人が倒せる訳ないって、曲がりなりにもSクラス判定を受けたヤツだってのに理解できて――」
「お前はピーチクパーチクうるさいな。少し黙れ」
「っ!?」
瞳に魔力を込め、睨み付ける。
途端にキャットウォークは真っ青になり、口を噤んだ。
つくづく便利だな、この魔法も。
さて、くっちゃべってる間に“それ”から飛び出た触手はその禍々しさを更に加速させていた。
無数の突起と毒液を纏った巨大な肉塊が、ゆっくりと持ち上がり――
「あ、ああっ、うああ……」
――猛烈な勢いで、振り降ろされた。
「ガンドウうううううううっ!!」
「うあああああああああああああああああああっ!!」
キャットウォークとガンドウの悲鳴が重なり――
半径数メートルほど、床が消し飛んだ。
パラパラと埃やら木片やらが宙を舞う。
その様子を、キャットウォークは茫然とした表情で見つめていた。
直後、怒りに目を吊り上げ――俺の胸元に掴み掛かってきた。
「ドラゴリュートっ!! アンタ、自分が一体何をしたか――」
「気軽に触ってきてんじゃねーよクソ女。騒ぐ前に向こうをよく見てみな」
その手を振り払い、埃の飛び散る方を指差す。
「何を、他人事みたいに――えっ!?」
その先に居たのは、顔中からあらゆる液体を垂れ流しているガンドウと――
ぴくりとも動かない、いや動けない“それ”の姿だった。
「な……ガンドウ、無事で……で、でも、ええっ!? 何で、一体どうして――」
「一々騒ぐなや。単に直撃する瞬間にバリアごと金縛りに掛けただけだよ」
「か、金縛り!? んな、初歩的な魔法がヤツに通用する訳っ……あ、ち、ちょっと!?」
騒ぐキャットウォークを無視して、つかつかとガンドウの傍へ近付く。
「…………」
ガンドウは、みじめったらしい顔でこちらを見上げてきた。
俺は、手を差し出そうとし掛け――慌ててポケットの中に突っ込んだ。
ぱっと彼の方から顔を背ける。
何も言わない、言おうとしないガンドウを意識の外へ押し出し――
改めて、“それ”の方を見やる。
「……シズム」
「言われねえでも分かってるわ」
さっき、キャットウォークとアクアマリオンの魔法を弾き返したバリア。
あの虹色の見た目、気配、質、どれを取っても間違いねえ。
――俺の使う魔法に、そっくりだった。
『……ふむ。これは、一体……』
唐突に頭の中に声が響く。
闇のドラゴン、お前、何か心当たりがあるのか?
『心当たりと言うほどのものではないが……いや、何でもない。私の勘違いかもしれないしな』
んだよ、曖昧な言い方をしやがって。
問い詰めたいところだが、今はそれよりも気になることがある。
こいつの正体だ。
その身を包み込む布切れを躊躇なく掴む。
「シズムっ。そんな、せめて呪いのチェックを――」
「必要ねえし、問題ナシだ。ダメージは全くねえ」
心配するアクアマリオンを適当に流しつつ、俺はその布切れを、勢いよく捲り上げ――
凍り付いた。




