切れ目
「――よし」
ま、こんなもんかな。
木枯らしが吹いて、前髪がふわりと揺れる。
額に冷気が流れ込むのと同時に、俺は叫んだ。
「それじゃ、今日はここまでだクソ共! 後は好きにしろ!」
「こ、これでお終い? ひいい、つ、つっかれたあっ……」
「ふんっ、所詮君もその程度かい、ガレット? これくらいで根を上げるとは、軟弱なヤツめ!」
「おう余裕じゃねえかブレイドル。物足りねえならお前だけ夜まで続けとくか?」
「待って……止めて。シズムくんお願い止めて。嘘だから。冗談だから」
騒ぐガレットとブレイドル。
最近はすっかり肌寒くなってきたけれど、目の前の二人は汗びっしょりだ。
ま、それも当然だろうな。
何せ朝からブッ続けで駆けずり回ったり魔法撃ったりブン殴られたりだったし。
よく気絶しなかったモンだよ。
いや、今日は折角の休みだってのに、あいつらが修行に打ち込みたいだなんて言うモンだからさ。
暇だったし、引き受けてやった訳だ。
二人とも元々熱心に取り組んでたんだけど――ここ最近は更に積極的になったような気がする。
ガンドウとの諸々で、彼らなりに思う所があったのかもしれない。
……おっと、忘れてた。
俺は振り返り――蒼い髪の彼女に問いかけた。
「で、どんなモンだ? アクアマリオン」
「ん……少し待って」
アクアマリオンは手元に持った水晶――何でも、一定範囲内の魔力の波を観測するマジックアイテムなんだとか――を眺めたのち、言った。
「一週間前に比べて、魔力消耗率がガレットは約六パーセント、ブレイドルは約二パーセントほど低下している」
アクアマリオンは、無表情な中に薄く笑みを覗かせる。
「私自身の感知能力も加味して、総合的に考えると――二人とも間違いなく進歩しつつあると言って構わないと思う」
「そっか――うん、そっかあっ」
疲労も忘れ、ガレットは汗で光る頬を緩ませた。
「進歩してるんだ。私――ちゃんと、先に進んでるんだっ!」
「勿論。私から見ても本当に目覚ましい成長ぶりだもの」
「ううっ、もうホントに嬉しいこと言ってくれちゃって! もう……もう! たまんねえよ! たまんねえよマジで!」
「え、た、たまんねえ? たまんねえって、何が?」
「マジたまんねえよ!」
「つくづく正気じゃないよなお前……」
などとくっちゃべっていたら、不意に肩を叩かれた。
アクアマリオンと一緒に振り向くと、そこに居たのは――
「あん? 何だブレイドル気軽に触ってきやがって。能無し人間の分際で調子こいてんじゃねえよ殺すぞ」
「ど、どうして肩叩いただけでそこまで言われなけりゃならないんだい……と、ともかく」
と、咳払いをするブレイドル。
汗まみれの頬を掻きながら彼は言った。
「シズムくん、アクアマリオン殿。君たち、今日は何か予定が入っていたりするかい?」
「俺は……別に、何もねえけど」
「私も同じ。取り立ててやるべきことは見当たらない」
「おおっ、そうかい!」
それなら、と彼は喜びを顔いっぱいに浮かべた。
「これから一緒に古本屋巡りでもどうだい? C・Bクラスの合同授業で課題を出されてね、レポートを書くのに必要な文献を探したいんだ」
「あ、ずるいブレイドル! それ私が誘おうと思ってたのに!」
「思ってたのにだと!? はっ、相変わらず君は愚かだなアラヤヒール! 世の中にはな、こういう言葉があるんだよ……“早い者勝ち”という言葉がなあ!」
「何ですってえっ!? ふざけんなよクソ早漏男が!!」
「クソ早漏男!?」
「ふ、二人とも落ち着いて……あなたたちと出掛けられるってだけで、私は嬉しいからっ」
騒ぐガレットとブレイドル。
諌めるアクアマリオン。
いつも通りの風景に、俺は何となく目を細めた。
――最近はこんな具合に、修行終わりに皆で遊びに行くことが増えた。
正直面倒臭え、なんでこんな程度の低いヤツらと馴れ合わなきゃなんねえんだって思うこともしょっちゅうなんだけど……。
実際行ってみると、案外、その、楽しかったりするんだよな。
不本意なことに。
……そう、不本意なことにな!
『ふむ。たかが凡人如きに裂ける時間などありはしない――のではなかったかな、シズム?』
不意に、深く響き渡るような声が頭の中に響き渡る。
うわ何だ急にドラゴンお前話し掛けてきやがって。
ていうかめちゃくちゃ久しぶりな気がするな、お前と会話するの。
『いや、何。私も今まで、色んな連中を見てきたけどさ……君ほど内実の掴みにくい存在は初めてだな、とね』
内実って、何だそりゃ。
まあ言いたいことは分かんないでもないけど。
ただ、その……何ていうかさ。
……もしも。
もしも、あの時。
魔法も才能もありはしない、灰色の世界で。
嫌いな人間ばかりの教室、その真ん中で。
皆の前で晒されて、笑われて。
心がボロボロになってしまって。
それで死ぬことを選んでしまって。
あの時。
絶望と恐怖と失望に塗れてしまった、あの瞬間。
死を選ばないまま――あと少しだけ。
ほんの少しで構わない、ごくわずかだけでも我慢していたならば。
負けないって。
負けてたまるもんか、って。
今までの自分の全てを否定されてたまるもんか。
悲しみにも痛みにも確かに意味があるんだ、あったんだ、って。
心の底からそう叫ぶことができていたならば。
生きて、死なないで――あの場所に在り続けていたならば。
あの灰色の世界でも。
こうやって笑い合える連中と出会えたり、したのかなあ。
あちらでこうやって笑い合えたりもできたのかなあ。
どうしてだろうな。
ここ最近、そういうふうなことばかりを考えちまうんだ。
ほんと今更だけどさ。
何なんだろうなあ。
『…………つくづくよく分からないな、君という人間は』
でも、とドラゴンは小さく笑いを含ませながら言った。
『今の君は、とても好ましく見えるよ。以前よりも、ずっとね』
……そうかよ。
何となく、俺は芝生に座り込んだ。
降り注ぐ木漏れ日は、本当に穏やかで。
ガレットもブレイドルもアクアマリオンも、幸せそうにはしゃぎ合っていて。
不安なことも、悲しいことも、一つだってありはしなくて。
俺を取り巻く何もかもが、ただひたすらに順調で、平和そのもので。
こんな時間が――ずっと、続いてくれたらいいな。
信じられないくらいに穏やかな時間ばかりが流れているものだから。
この頃は、自分でもビックリするほど真剣にそんなことばかり考えてしまう。
……でも。
こちらの世界の、姉とか。
トーナメントで戦った、名前も知らないCクラスの三人とか。
フォルミヘイズとか。
今まで、ここに至るまでに、俺が踏みにじってきたヤツらは。
そんなこと絶対に思えないんだろうけど。
――ずきん。
不意に胸が痛んだ。
何だ、今のは?
腹の底が奇妙に疼く、うねる。
あの夕景、ギルドの帰り道――ガレットに抱きしめられた時とはまた違う、得体の知れないモヤモヤが胸に立ち込めた。
ただ湿っぽくてドロドロしていて、心を鈍らせるような竦ませるような。
悲しくなるような――
「――シズムくん? どうしたの?」
「あ、え。いや……別に、何でもねえよ」
いつの間にか、ガレットが俺の顔を覗き込んでいた。
ブレイドルもアクアマリオンも、心配そうにこちらの様子を窺ってきていた。
ぶんぶんと頭を振り、考えを切り替える。
知ったことじゃねえだろう、あんな凡人共のことなんて!
俺はただ立ち塞がる障害を打ち破り続けてきただけじゃねえか。
それに、今となってはもう過ぎたことだ。
気にするこっちゃねえさ。
無理矢理イヤなものを振り払い、俺は立ち上がった。
それから、適当に軽口を飛ばそうとして――
――突然、何か軽いものが落ちる音がした。
「ん……あれ、なあにこれ、シズムくん?」
「手紙、のように見えるが……」
ガレットとブレイドルが口々に言う。
俺はそれを拾い上げて、表面を見分し――眉を上げた。
――Sクラス第一学年、シズム=ドラゴリュート殿。
他Sクラス生と共に、至急校長室に集合せよ。
「何だ、こりゃ? 他Sクラス生と共に、って。アクアマリオン、お前何か――」
振り向き、問おうとして――俺はまたも眉を挙げる羽目になった。
彼女が、何やら難しい顔をしていたのだ。
「…………まさか、このタイミングで来ようとは」
「は? いや、だから」
何がどうなってんだよ、と聞こうとしたとき――ぽつり、と冷たいものが鼻先に落ちた。
空を見上げて、気付く。
――いつの間にか。
日が陰っていて。
灰色の雲が、天の端からずるずると姿を出し始めて。
無慈悲な雨の雫がぽつりぽつりと地面を濡らしつつあって。
知らない間に、随分と――嫌な天気に、なっていた。




