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夜を繋いで



 夜と橙色に解けた空には、ぽつりぽつりと星が煌めいていた。


 風の冷たさが妙に心地いい――いつの間にか、随分と肌寒くなっていて。

 響くカラスの鳴き声は俺の鼓膜を撫で上げたのち、自分勝手に遠ざかっていく。


 すっかり闇と影に満たされた予備運動場。

 冷えた音を立てて、何とも知れないガラクタが足元を転がる。

 およそ手入れが行き届いているとは言い難い長さの草が、くらりと揺れて――

 俺は、ほう、と息を吐いた。


「ま、こんなモンかな――そろそろ帰ろうぜ、アクアマリオン」


 白く染まる吐息が頬を通り過ぎていく。

 俺の呼び掛けに、鼻の頭を赤く染めたアクアマリオンが、小さく頷いた。


 決闘が終わってから真っ先にやらなきゃならなかったのは、すっかりガタガタになった予備運動場の整備だった。

 いや、どうせココが使われることなんてほとんどないし、放っておいても特に問題はなかったんだけど……。

 また後日、トレーニングを再開した時に備えて、な。


 ちなみにガレットとブレイドルは先に寮へ帰しておいた。

 自分たちも手伝う――とやかましかったが、落ちてた石クズを素手で粉々に砕いて「お前らもこうなりたいか?」と脅したら途端に素直になったのでよかった。

 まあ、二人とも既に体力も魔力も完全に枯渇していたので、居てもそんなに役に立たなかっただろうしな。

 ガス欠の凡人なんて存在価値ねえよ。


 てな訳で、俺も帰るか。

 修復魔法と掃除魔法でかつての姿を取り戻した運動場に背を向けようとして――


「……あの」


 そこを、呼び止められる。

 顔をしかめて俺は振り返った。


「んだよ、アクアマリオン。まだ何かあんのか?」

「う、ううん。ただ――あの、えっと」


 彼女は、恥ずかしそうに頬を赤くして――言った。


「さっきは……その、ありがとう、って」

「あん?」


 首を傾げる俺に、アクアマリオンは軽く俯いた。

 白い肌に、蒼い髪に、夜の薄い藍色がちらりと差し込む。


「今だから言えることだけれど。最初、私はあなたを危険人物だと思っていた」

「何だ藪から棒に今更なことを」

「今更て。……と、とにかく」


 だって事実じゃんね。

 おほんと咳払いをして、彼女は更に言葉を続ける。


「尊大かつ傲慢な態度。底知れぬ実力。完全に破綻した精神性。あなたを構成する全ての要素に、私の本能は危険信号を鳴らしていた。ギルドの時に依頼への同行を許したのも、あなたを監視するためだった」

「ふうん……」


 少し苦しそうに、申し訳なさそうに彼女は語る。


 ……普段、何考えてるのかいまいちよく分かんないヤツだけど……。

 こいつなりに、色々悩んだりしてたんだな。

 別にんなこと言われたって、俺は気にしねえってのに。


「でも」


 ――不意に。


「あなたと一緒に居るうちに――少し、考えが変わってきた」


 光のない鮮やかな青が、俺を覗き込んだ。


「きっと――私たちは、多面体みたいにたくさんの姿を持っていて。それは光の加減だとか視点とかの差で様々に形を変えていくのだと思う。だから親しい者同士で言葉を交わしているだけでも悲しくなったりするし――嫌いだった人間の在りように触れて救われたりするのだって、きっと変テコなことじゃない」


 何でもない何かに傷付けられるのが当たり前で。

 それがごく普通のことだっていうなら。

 だったら何でもない何かにありがとうって思うのもきっと普通の筈だから。

 イヤなものばかり並べ立てた挙句、それが真実だ、それだけがこの世の本質なんだ、とか。

 そうやって世を拗ねるのも多分違うと思うから。


 だから。


「二つ。あなたに、お願いがあるの」


 かすかに張り詰めた声で、アクアマリオンは言った。


「まず、一つ――どうか、ガンドウのことを嫌わないでやってほしい。ふざけるなと思うかもしれないけれど……彼は、決してあれだけの人間ではないから」


 言って、彼女は深く頭を下げた。

 ……あんなヤツのために、よくまあそこまでやれるモンだよ。


「それから、もう一つ。……い、イヤだったら別に断ってくれても構わないのだけど。その――あなたたちと、もう少し一緒に居させてほしい」


 仲間に、入れてほしい。

 更に緊張度合いの高まった瞳を、アクアマリオンは俺に向けた。


「……私を、他人を笑ったり、嘲ったりするようなヤツではない、と言ってくれたあなたの。ありがとう、私のお陰だ――と、こんな人形女に感謝を述べてくれた彼らの、心根を知りたいって。そう、思ってしまった」


 彼女の血色の悪い手の甲に、ぷくりと汗の珠が浮かぶ。


「あつかましくて申し訳ない。私はあなたを危険人物扱いしていたというのに――不愉快だったら、断って――」

「いや、別にいいけど」

「……え」

「俺の知ったことじゃねえって、お前が誰とどうしようがよ」


 ぴゅう、と冷たい風が吹いた。

 俺の銀色の髪と、彼女の深海のように濃く、蒼い髪がさらさらと舞う。


「仲間だか何だか知らねえが、修行に付き合いたいってんならガレットたちに聞けや。俺に言ったってしょうがねえだろう」

「……じ、じゃあ、あなたは……私を、認めてくれるの?」

「認めるもクソもねえよ。俺は連中と仲間になった気はねえっての」


 ――お前の。

 好きにすりゃ、いいじゃねえか。


 ぞんざいに言い放つ。

 流石に若干気恥ずかしかったので、ぷいと顔をそむけて――不意に、変な声が聞こえた。


 何かを押し殺しているみたいな。

 必死に何かを我慢しているみたいな。

 悲しいんだかそうでもないんだか、どっちだろう、みたいな感じの。

 そういう声だった。

 そろりと、彼女の方へ向き直って――ぎょっとする。


 アクアマリオンは、泣いていた。


 端正なかんばせをみっともなく歪ませて。

 バカみたいに雫とか涎とか鼻水とか、凄く気色悪いものばかりでベタベタになって。

 散々泣いていた。

 泣いていた。


「お、おい」

「……あり、がとう」


 しゃくり上げて。

 涙を拭って。

 みっともなく鼻水をすすって。


「そんなこと言われたの、初めてだから。一緒にいていいって――面と向かって、そう言ってもらえたの、生まれて初めてだから」


 普段の無感情っぷりが冗談のように。

 アクアマリオンは俺の手を握った。



「本当に、ありがとう――」



 いつかの誰かと同じ。


 涙と鼻水にまみれた、汚い掌だった。


 ――アクアマリオンは、それから程なく寮へ戻ったけど。

 途中、何度も何度も俺に向かって手を振っていた。

 名残惜しそうに、手を振っていた。





 真っ暗な運動場に、俺は一人ぽつんと佇んでいた。

 得体の知れないモヤモヤにぼんやりと包まれているような――

 分からない、どうすればいいのか分からない。

 暖かくて暖かくて、今本当に泣いてしまいそうだ。


 夜空の星々が煌々と闇を照らす。

 真っ白な光がただ綺麗で仕方がなくって。

 もう意味が分からないのだ。


 だって。


 ――仲間に入れてほしい、なんて。

 友達になりたい、だなんて。


 俺だって同じだよ。


 そんなこと言われたの、生まれて初めてなんだ。




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