人間味
「――決闘が始まる前に、言っておくことがある」
予備運動場。
いつの間にか薄く日は翳り、じんわりと雲が出てくる。
五人分の息遣いのみが響くこの場所に、風一つ吹きはしない。
ただ、闘志だけが満ちていく――
「ハンデだ。俺はここから一歩も動かないし、魔法で攻撃を仕掛けるのは三回きりにすると約束しよう。いや、二回でいいか」
「なっ……」
ガンドウは真顔で言い放った。
ガレットの呻き声に、白々しく言葉を重ねる。
「ん、それでもまだ足りないか。だったら、そうだな――俺はこの決闘の間、バリアを一切展開しない。もし一撃でも俺が攻撃を喰らえば、その時点でお前たちの勝利を認めよう。それならいいだろう?」
「…………ええ。構いませんとも」
低く、ブレイドルが言った。
「よく、分かっていますとも。僕らの力はその程度だって――貴方たちのように、誰に対しても強く在れる者からすれば、取るに足らないものだと、分かっていますとも」
彼の右腕を、魔力のオーラが取り囲む。
銅色の輝きが曇天を照らし、輝く。
濃厚なエネルギーが鮮やかに舞い踊り、結実していく。
鋭く形成される刃の魔法。
ブレイドルは、低く腰を落とし――
「――だから!」
だん、と地面を蹴り抜いた。
「今、ここで! アンタから退く気はない! 見くびられたまま、笑われたまま、そのまま突っ立っているだなんて、そんなの我慢ならないっ!!」
猛烈なスピードでガンドウとの距離を縮めていく。
ようし、いいぞ――俺は内心でガッツポーズを決めた。
想像以上の身のこなしだ。
こうして見ると、本当によく成長したよ、あいつは!
これなら多分、上手く行くはずだ……!
――俺の立てた作戦は、至ってシンプルだ。
まず、ブレイドルが途中まで距離を縮める――この時、可能な限り派手に魔力光をまき散らし、土埃を巻き上げながら走る―――振りをしつつ、刃の魔法の形態変化の準備をする。
ガンドウがそれを迎え撃つべく魔法を繰り出そうとした瞬間――そこが彼にとって、唯一にして最大の弱点だ。
アクアマリオンの話によると――ガンドウは、真正面から突っ込んでくる相手に攻撃を仕掛ける際、少しだけ、ほんの少しだけ周囲への注意力が散漫になるらしい。
これは矯正しようのないレベルでヤツの身体に染み込んでいる癖らしく、そこを突かれて追い込まれたこともあるのだとか。
だから突っ込んでいったブレイドルは、そこへ刃の魔法で斬り掛かる――のではなく、投げナイフの魔法でガンドウの気を散らす。
本命は、ブレイドルに気を取られている隙に背後へ回り込んだガレットの繰り出す呪いという訳だ。
我ながら恐ろしく雑な作戦だと思うが、どうやら今、ヤツは冷静ではないらしい。
そうじゃなかったら、CクラスとBクラス如きに喧嘩なんて売るもんか。
おまけに相手が相手だ、油断も相当なモンだろう。
倒す、までは行かずとも、せめて一矢報いるくらいは――
「そうか。大した勇気だな。――だが」
ガンドウは、ゆっくりと片足を上げた。
……!?
不味い、急激に魔力が膨れ上がっていく!
「待て!! 下がれブレイドルっ!! 距離をっ――」
「俺の前には、無意味だ」
瞬間、爆音が響き――ブレイドルが吹っ飛んだ。
「ガンドウ!? あなた、何ということを……!?」
「何――とは、アクアマリオン? 君も彼らも、まさか怪我一つないままに終わるヌルい決闘を望んでいる訳ではないだろう」
「違う! そういうことではない――こんなの、幾ら何でもっ……!」
叫ぶアクアマリオン。
俺も似たような気分だ――白々しいことを、ほざきやがってっ!
怒りと不安に、強く強く拳を固めた。
運動場の中央に鎮座していたのは――まさに、“杭”であった。
地面から、数メートルはあろうかというとてつもなく巨大な岩の槍を隆起させやがったのだ。
Sクラスを名乗るだけはある、なかなかに強力な魔法だ。
……それを、あいつは!
ティッシュペーパーみたいなバリアしか張れないBクラスのクソ凡人相手に!
躊躇なく、撃ち込みやがった!
ははは、なるほどなるほど!
こりゃ一本取られたぜ!
幾ら二対一とはいえ、まさか低ランク相手との決闘にそんな強い術を出すとは思わねえよな!
そんだけとんでもねえ技なら、注意力が散漫になるとか、んなモン関係ねえよなあ!
――ふざけやがってっ!!
ブレイドルの姿は土煙が邪魔で見えない――見えないが、畜生!
あいつはあれをモロに喰らっちまったのかよ!?
ガンドウの野郎、まさか対戦相手を殺す気じゃねえだろうな!?
どう考えても防ぎ切れる魔法じゃねえぞ!
「ぐ……う、ううっ」
「まず、一発」
土煙が晴れ、かすかにブレイドルの呻き声が聞こえた。
傷は相当深い――命に関わるほどのものではないが、すぐに治療しなければ後遺症が残りかねないぞ、クソったれがっ!
一方、一人残されたガレットは酷く狼狽していた。
だけど、彼女はまだ戦意を失っていなかった。
「ブレイドルっ!? くっそォ、まだ負けた訳じゃ――」
「ああ。そうだな」
その刹那――巨大な岩槍に、一筋の亀裂が走った。
「……あ」
「“まだ”。負けては、いないな」
二筋、三筋――瞬く間に、巨塊へヒビが入っていく。
弾けて、砕けて、たわんで、歪んで。
歪にエネルギーがぶくぶく膨らむ、ばくんばくんと揺れ動く。
それはまさしく、魔力の爆弾であった。
僅か十数秒で完全に破綻した作戦。
力なく倒れ伏すブレイドル。
膨れ上がるエネルギー。
凍り付くガレット。
心臓がバクバクと鳴り続けていた。
不味い、不味い、不味い。
このままだと本当にあいつらは死んじまう。
ガンドウ、は薄気味の悪い笑みを浮かべ、右手を突き出し爆弾を起動させようとして――
「ま――待ったっ!!」
その寸前に、俺は叫んだ。
「……どうした? ドラゴリュート。まだ試合中だぞ」
「いいや、今は違うぜ! ――バーン=ブレイドルとガレット=アラヤヒール陣営は、決闘の一時中断を要求するっ!」
「一時中断、だと?」
ガンドウが眉を歪めた。
俺は必死の形相でまくしたてる。
「決闘相手のランクが自身よりも高い場合、一度だけ十五分間のタイムアウトを求めることができる――エスト魔法学院・決闘規則第二十三条にはそうあった筈だろう!?」
「ふむ……」
指をアゴに這わせ、ガンドウは暫し考え込んだ。
数秒経った後――彼は、恐ろしくいやらしげな笑みを浮かべ、言った。
「いいだろう、好きにすればいい。まさか、始まって一分と経たない内に中断を喰らうとは思わなかったがな……おや? 随分と人間味溢れる表情になったじゃないか、ドラゴリュート?」
「……っ」
――腸が、煮えくり返りそうになった。
畜生、ド畜生が、あんなクソったれのクズ野郎にあんなことを――
ふざけやがって。
屈辱に頭の中が真っ赤に染まりそうになる。
だが――ブレイドルの姿が、不意に視界へ入り込む。
本当に酷い有様だ。
吹き飛ばされた際にできたのであろう無数の切り傷からは、夥しい量の血液が溢れ出ている。
恐らく骨も数本折れているだろう。
意識は――保てているのか、それとも気絶しているのか。
いずれにせよ、相当な苦痛が彼を襲っている筈だ。
俺は、強く歯を食いしばり――
ブレイドルの傍にしゃがみ込んで、癒しの呪文を唱え始めた。




