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悲しみにも痛みにも意味があったのだと



 授業終了のチャイムが鳴り響いた。

 運動場からゆっくりと人の波が退いていく。

 くだらないお喋りとか、地面を蹴る音とかが消え失せていく。


 窓を背にして俺は突っ立っていた。

 ガレットもブレイドルもアクアマリオンも何にも言わなかった。

 訳も分からず頭の中がクシャクシャだ。


「……死ぬほど頑張っても上手く行くかどうかなんて分かんないんだ」


 止めろ。

 その気持ちは俺の一番深いものだ。

 人に見せたくないんだよ。

 一番嫌な所なんだ。

 皆に笑われてズタズタになった所なんだよ。

 嫌だ。

 何でお前らなんかに見せなきゃならねえんだ。


 だけど。

 ……駄目だよ。

 何でだ、何でだ、今ほんとに喋りたくて喋りたくてしょうがねえんだ。

 妙に熱い存在感が喉の辺りまでせり上がってきてんだ。

 畜生、畜生。

 何だってんだよ。


「死ぬほど頑張って失敗したら全部無駄になるんだ。そんなの自分が無意味になるのと同じじゃないか。今までの自分に意味なんかなかったんだって、そういうふうになって、笑われてさあ、それって死ぬほど悲しいんだ。悲しいんだよ……」


 するりと言葉が口から出てくた。

 ずっと腹の底の奥の奥の方に入ってた気持ちだ。


 あの頃を忘れることなんてできない。


 身体中からまるきり力が抜けて何にもする気が起きなくなって。

 そのくせ内臓の重たさだけは昔の何倍にも膨れ上がる。

 昼はずーっと寝転がるばかりだけど、不意に、あんなことに時間を使うんじゃなかった、とか、何で自分はこんなに才能がないんだ、とか、そういう考えても仕方ないことばっか考えてしまう。

 特に午後三時を過ぎるとほんと駄目だ。

 青味を失う空や弱まる日差しが無駄だった一日を暗示してて、全部俺の敵だ。


 夜は部屋の中で何にもできなかった昼の自分を恥じて恥じて意味の分からないどんよりしたものが心にこみ上げてきて。

 眠るのが怖くて恐ろしくてたまらないんだ。

 大勢の俺が俺自信を責め立ててくる怖い夢ばっか見ちまう。

 それが物凄く苦しくて悲しくて。

 でも悲しいのに何でだろう。

 涙は全然出ねえ。

 それが余計に悲しい。


 忘れられるもんか。


 朝が来る度に死にそうな気持ちになってさ。

 青い空を眺めていると少しだけ心が落ち着くんだ。

 学校も勉強も絵の練習も全部投げ出して逃げ出してサボって。

 ずっと一人きりで。


 静かなものも激しいものも綺麗さっぱり消え失せて、心が虚ろになるんだけど、でも心の深い所にあるジクジクした痛みだけはなくなってくんねえんだ。


 辛いんだ。

 辛いんだよ。

 他に何も言えねえよ。

 嫌なことばかりに時間を費やしてさ。

 生きて呼吸してるだけで死にそうになるんだ。

 死んじまいそうになるんだよ。

 死んじゃいたくなっちまうんだよ。


 こんなの味わうのは誰だってイヤな筈だ。

 そんなら初めから努力なんかしないでいたほうがずっとマシだ。

 初めっから諦めていた方がきっと何倍も何倍も苦しいのが少ないんだ……。


「……うん。私もそう思ったことがあるし、今でも思ってるよ」


 ほら。

 やっぱりそうだ。

 いつもいつもバカみたいに振る舞ってる癖してさ。

 こいつだって悲しいのは嫌なんだ。

 だから、だから俺は――


「でもね。ほら、シズムくん――覚えてる?」


 急に――

 ガレットが、俺の頬に手を触れた。


「トーナメントでさ、私言ったじゃん。あなたがどうして努力嫌いになっちゃったのか知りたいって。あなたの一番深い所が見てみたいって」


 それから、彼女はふんすと鼻息を鳴らした。

 細くなった紅玉の瞳が、窓から差し込むプリズムを弾いて輝いた。


「――私の中ではね。まだ、あの言葉を取り下げたつもりはないんだ」


 その姿が、在りようが、瞳の輝きが、ずっと昔の自分によく似ていた。

 ただあの栄光と極彩色に溢れた世界へ向かいたくて向かいたくてしょうがなかった頃の愚直さがそこにあった。

 イラストレーターになりたかったかつての俺の願いと、俺を理解したいというガレットの気持ちはどっかしらで繋がっていたのだ。


「だから頑張るの。怖くても平気――じゃあ全然ないけど、でも行くの。大好きなあなたを失望させる気は、私、少しだってないんだよ」


 そう言って、ガレットはこつんと額を合わせてきた。

 薄く体温が混ざり合って、彼女の睫毛の一本一本がハッキリと見えた。


 その声色は力強くて優しかった。

 決して大げさじゃない。

 ただ単に、普通に、俺のことをちゃんと愛してくれてる感じで……。

 凄く誠実で。

 嘘とか衒いとかそういうのが全然なかった。

 とても綺麗だった。


 もう意味が全然分かんなかった。

 嬉しいのか悲しいのかも全部全部心がガタガタで痛えよ。

 なんでガレットは俺にそんなに優しくしてくれるんだ。

 ブレイドルがまっすぐに俺を見つめてくるんだ。

 どうして俺のことを笑ったりバカにしたりしないんだよ。


 彼女の掌の熱が薄く俺の頬に染み込む。

 不意に小さい頃、干したての布団に鼻先を突っ込んだまま眠った時のことを思い出して。


 それが妙に嬉しくて。


 急に瞼が熱くなった。

 喉が引き攣った。

 頬と唇とがクシャクシャに歪みそうになったので、慌てて堪える。

 涙の雫が滲むんだ。

 誰にだって絶対に見たくない、見せたくないものが心の裏側で迸っていた。

 だから、だから、だから、俺は、俺は…………。





「ふんっ」

「あ痛ッ!?」


 がつんっ。

 ――ガレットに、渾身の頭突きを繰り出したのだ。





 物凄い音と共に彼女はすっ転がっていき――勢いよく壁に激突した。

 ブレイドルもアクアマリオンもぽかんとしていた。

 そんな二人の間をつかつかと通り抜け、俺は目を回してブッ倒れているガレットの前に立つ。


「おいクソ凡人」

「ぬおお、頭が、頭がああっ……はえっ、な、なあにっ、シズムくん?」


 静かに――感情を押し殺した声で、言う。


「俺を失望させる気はない――と、言ったな。それ、嘘じゃねえだろうな」

「……勿論だよ。嘘なんかじゃない」


 真紅の瞳が、決意でキラリと輝いた。


 …………。

 結局、色んなことがよく分からないままだ。


 どうしてガレットはそんなに俺に執着するのか。

 なぜ俺のことを大切に思うのか。

 ガレットの夢は俺を失望させないことだけど、もしもそれが上手く行かなかったら、やっぱり昔の自分のようにボロボロになってしまうのだろうか。

 それでも彼女は立ち向かうのだろうか。


 ちらりとブレイドルの方を見る。

 彼は一瞬、怯んだように身を固めたけれど――

 やがて、決然とした表情で見つめ返してきた。


 その様子がやたらガレットと似ていて。


 ……ああ、もう!

 畜生め!

 分かった、ようく分かったよ!

 だったら上等だっ!

 何にも言わないまま、俺は彼らにくるりと背を向ける。


「おらとっとと練習場に戻るぞゴミクズ集団!! ちんたらしてんじゃねーよブッ殺すぞ!!」

「え……ええ!? な、何だいシズムくん、突然そんな――」

「無駄口叩くな!!」

「はいっ!! 黙ります僕黙ります!!」

「素直でよろしい!!」


 そのまま、ヤケクソ気味に叫ぶ――


「テメーらは証明したいんだろう、自分らの意味ってヤツをよ!? ――だったらとことん付き合ってやらあっ! あんな人形相手のクソヌルい修行は終わりだ、ここからは俺が直接相手をしてやるっ!」

「……!! うんっ!!」


 ガレットとブレイドルは、満面の笑みを浮かべて力いっぱい頷いた。

 ああクソったれめ、今に見とけよっ!

 すぐに根を上げさせてやっからな、心へし折ってやっからな!

 覚悟しとけよっ!


「……本当に、よく分からない人たち」


 止めろアクアマリオン!

 呆れた感じで笑いながらオチを付けようとするな!




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