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沈む橙の幻燈機



 黄昏時。

 淡い金の光が、薄く夜の差し込んだ天と混ざり合い、やがて儚げに橙を散らす。

 目覚めと眠り――その境目に飛び交うプリズムを、木々が中途半端に遮る。

 そこから漏れた明かりが、俺の白銀の髪をぼんやりと照らした。


 俺たちは帰路に就いていた。

 昼間は鬱陶しいくらいに人で溢れていた道も、今は静寂に満たされている。

 ふと、沈みゆく太陽――その真下に広がる小川に目を向けた。

 流れる川に夕暮れ色が溶けていて、そこから得体の知れない茫漠とか郷愁とか、そういう凄く胸を掻き毟りたくなるような気配が立ち昇っていた。


 ただ、せせらぎだけが耳に届く。


 砂利とか雑草を踏ん付けながら淡々と歩き続ける。

 遠くから子供のはしゃぎ声が飛んできた。

 何をそんなに喜んでいるんだろう、だなんて他人事みたいに思って、実際他人事だし、結局よく分かんなかった。


 ――だけど。


 不意に、その、希望と喜びに満ち溢れた、一片の不安すらないその声が。

 キャロから受けた変テコな感謝の言葉に、とてもよく似ているように――

 そういうふうに、思えてしまって。


 だから、って訳でもないんだろうけど。

 ほんとに突然――今、自分がどこに居るのか、どこへ向かっているのか、いまいちピンと来なくなってしまったのだ。


 いや別に本気で思っている訳じゃなくて。

 こう、ちょっとした悪戯心みたいなものだから。

 足元がふわふわするような、浮ついてしまっているような――

 恐怖とかはもう全然皆無なんだ。

 でも要するに奇妙にモヤモヤする感じというか、気分が消えなくって。


 ただあえて言語化するならば、その――絶対に確かな、正確に描かれているって評判だった地図の内容が、その実酷いデタラメだったのだ、というか。

 これからどうすりゃいいんだろう、というか。

 だから……。





 …………。


 あいつは――キャロは、凡人だから、能力がないから虐げられていた。

 昔の俺と同じように、グシャグシャにされていた。

 だのにどうしてあんなふうにまっすぐお礼を言えるんだろう。

 何で拗ねたりしなかったんだろう。


 そんなら、お礼を言われた側の俺はこれからどこに行くんだろう。

 どうするんだろう、どうしたいんだろう。

 一体何がしたいのかな。


 ……どうしたいんだろう。





「――ね、シズムくん」


 捻くれ、絡まる思考の糸を、朗らかな声が裁ち切った。

 真昼の太陽のように暖かな声――ガレットだ。


「……何だよ。言っとくけど、お前のくだらん冗談に付き合う気はねえからな」

「ううん。そういうんじゃなくって」


 ガレットが、桜色の唇を緩くカーブさせて微笑んだ。

 微かに風が吹く――彼女の向日葵みたいに鮮やかで、衒いのない紗金の髪が、さあっと揺れた。


「あの子――キャロちゃんを見てさ」


 夕焼けに光の欠片が弾けた。

 煌めく絹糸が、彼女と向かい合う俺の鼻先を擽る。


「私も、言っとかなきゃな、って」

「あん?」


 怪訝な声を出す。

 ふふ、とガレットが笑い――


 大きく両手を広げて、俺に抱き付いてきた。


「う、おっ……!? おいコラ何してんだテメーブッ殺すぞ!」

「ん――あ、なんかいい匂いする。シズムくんほんとに女の子みたいだね」

「んなことわざわざ説明してんじゃないよ気色悪いことほざきやがって! いいからとっとと離れろやこのクソマヌケ!」


 ぎゅう、とガレットが身体を押し付けてくる。

 ほのかに紅の差した頬――しなやかな腰、白い首筋、豊かな胸。

 俺と彼女との間にあった隙間が、一分たりとも残さずに消え失せた。

 どこもかしこも全部が酷く暖かくて、柔らかくって――

 花の芳香にすら、日向の気配が確かにあって――

 だけど、それと一緒に薄く汗の匂いまでするものだから、変に緊張してしまう。


 彼女の艶やかな唇が、耳元に近付くのを感じる。

 息遣いすら鮮明に聞こえて――声が届いた。


「――シズムくん。今日は、ありがとね」

「は、はあ?」


 何てこった。

 こいつまで意味の分からないことをくっちゃべりやがる。

 今に始まったことでもねえんだけど。


「私、ずっと憧れてたんだ。ああいうデッカいヤバいのをズバッとやるのにさ!」

「いや、あれはズバッとというか、単に押し潰しただけじゃ……」

「何だっていいの。とにかく楽しかったし、素敵だったよ」

「……楽しい、って」


 何をアホみたいなことを。

 そもそも、あれは本来ギルドマスターが直々に手を出さなきゃならないレベルでヤバい依頼だったんだぞ?

 結局大したことにゃならなかったからよかったものの、下手すりゃ死んでたかもしれないってのに。

 凡人は価値判断すらまともにできないのかよ。


 バカじゃないのか、と混ぜっ返してやろうと思ったけど――

 橙に暮れる夜光の零れた彼女の姿が、あんまりにも綺麗だったから。

 つい、何も言えなくなってしまった。


 だからね、とガレットは俺から身体を離し――笑った。


「シズムくんは私に素敵で楽しい時間をくれたんだ。あなたの行動が、言葉が、あの子にとっての救いになったんだ」


 夕焼け空に一陣の風が吹いた。

 黄金がきらりと閃き、空に舞う。


「だから、お礼を言うんだよ。今日一日、あなたと一緒に居られて、本当によかったって――勇気を出して、外に出た意味が確かにあったんだって!」



 ――意味が。

 確かに、あった。



 その言葉が、なぜだろう――不思議と、耳の奥で幾度も鳴り響いた。

 俺が、こいつらに意味を与えた?

 ふざけるな。

 なぜ天才たる俺が、こんなクソ凡人共に意味なんぞやらにゃいかんのだ。

 クソったれ、イライラする、イライラする、モヤモヤする。


「……やれやれ。まさか、恥知らずのアラヤヒールなんかに同意を示さなきゃいけない日が来るとはね」


 そこにキザったらしい声が響いた。

 今度はブレイドルだ――彼は、ウェーブの掛かった前髪を気取った仕草で払う。


「正直、怖かったよ。見たことのない場所、経験のないチャレンジ、安全のない戦い。……初めて何かに挑戦する時は、いつだって身体が震えるんだ」


 言って、彼は肩を竦めた。


「上手く行くかどうかなんて全然分からないんだ。失敗して酷い目に遭うかもしれないんだ。よしんば上手く行ったとしても、必ず何か新たなものを得られるとは限らないんだ。――失望して、ボロボロになるのが恐ろしくてたまらないんだ」


 でも、と言葉を切る。


「そんな臆病者の僕が、どうして逃げ出さずに居られたか分かるかい」


 静かに、ブレイドルは俺の瞳を見据え――言った。


 ――君のお陰だよ、シズムくん。


「君の乱暴な言葉が、偉大なる力が、あの真っ暗闇の中で一番頼もしかったんだ。シズムくん。君の存在が僕の勇気の源になっていたんだよ」


 …………。


「――逃げ出しても構わないタイミングは幾らでもあったよ。でも僕は逃げ出さなかった。君のお陰さ。逃げ出すことと立ち向かうこと、どちらが優れているという話でもないけれど、きっと僕に必要なのは突き進む勇気だったんだ」


 一息に喋り切って――ブレイドルは息を吐き、照れくさそうに笑った。

 嘘とか、冗談とか、誇張は、一ミクロンだって感じられない。

 きっと彼の一番ストレートな感情表現だ。

 誠実を家訓とするブレイドル家の、その長男の本音だ。

 彼は、俺をそうするに足る人間だと判断したのだ。


 ……全然分からない。


 勇気とか、立ち向かうとか、お礼とか、意味があるとかないとか。

 そんなの知ったこっちゃねえ。

 凡人の気持ちなんかどうだっていいんだ。


 “彼”だって、あいつだってそうだったじゃないか、だから俺はその真似をしている――違う、世の条理に従っているだけだ。

 能無しの心を慮る天才がいるもんか。


 要らないんだそんなクソみたいなものなんか。

 配慮なんかしないんだ。



 じゃあなんで昼間あの光景を見た時にあんな胸がモヤモヤしたんだよ?


 どうして今こんなにも腹の底がざわざわしてんだ?



「……Cクラスの寮は、こっちだから。今日は、ここでお別れだね」

「ん、いつの間にそんなトコまで来てたのか。僕はBクラスで、君らはSクラスだから――皆、バラバラになっちゃうな」


 皆、バラバラに――

 一瞬、心の裏側がめちゃくちゃに猛り狂った。

 物凄く悲しくなって、ほんとにその場で泣いてしまいそうになって。

 こんなに悲しいのが初めてで。

 言葉が溢れてきて――


「待っ――」

「だから、シズムくん、アクアマリオンちゃん」


 二人は――腕を上げて、大げさに手を振った。





「――また、明日ね!」





     ◇





 Sクラスの寮前――アクアマリオンと共に、無言で歩く。

 すっかり日が暮れて、辺りは真っ暗だ。

 寂れた風情の噴水広場を抜け、大扉の前に着く。

 寮に入ろうとした時――


「一日を、あなたと共に過ごしてみて」


 突然、アクアマリオンが独り言のように声を発した。


「色々なことが分からなくなってしまった。……クラス分けの正当性とか、魔法の可能性とか、今とか昔とか、意味のあるなしとか――」


 彼女は俺を見つめた。

 空虚な瞳に、淡く光が灯る。


「――何より、あなたという人間の在りようが」


 ふい、とアクアマリオンは目を逸らした。


「あなたとは、また会って話してみたい。CクラスとBクラスの二人も交えて、沢山話してみたい。……こんなことを思ったのは、生まれて初めて」


 言い捨てて、彼女は女子寮の方へ歩き去った。

 クソ、何だってんだよ。


『……シズム。君は……』


 黙れっ、クソトカゲ。

 畜生、きっと凡人と馴れ合い過ぎたせいだ。

 最低だっ、最低だっ、最悪の気分だ。

 腹立ち紛れに、転がっていた紙クズを思い切り蹴飛ばし――


「――あ?」


 靴の先端に、何か輝くものがへばりついているのが見えた。

 何だこりゃ。

 まさか黒づくめを検分している時に付いたのか。


 念のため、手を触れないように、サイコキネシスを使って剥がす。

 鼻先に近付け――眉を顰めた。


 薄く輝く銀色。

 硬度は恐らく極めて高い。

 そして、ごく微弱ではあるが――俺、すなわち闇のドラゴンによく似た気配の魔力を纏っている。


 ……これ、って。





「龍の、鱗…………?」





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