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要らない子



 ヤツを――シズムを乗せた馬車が彼方へと遠ざかっていく。

 その様を窓越しに見つめていた私は歓喜に包まれていた。


 勢いよくカーペットを蹴り、部屋を飛び出す。

 やった――ようやくアイツがいなくなった。

 ついにやった、これで、これで、お父様もお母様も、私を――





 物心ついた時から、両親は精神的に不安定だった。

 研究で成果を出せていなかった――要するに行き詰まっていたのだ。

 結果を残さなきゃ、お金を貰えないし、何より家名も落ちる。

 領民から、そして他の家から向けられる白い目に、プライドの高い両親は堪えられなかったのだろう。


 だから、お父様もお母様も私に期待した――研究の全てをお前に託すと、そう言ってくれたのだ。

 喉が擦り切れるまで魔導書を復唱させられた。

 三日三晩、一睡もせず魔力コントロールの練習をした。

 サボったが最後、背中の皮が剥けるまでぶたれた。


 でも、辛いだなんて思ったことは一度もなかった。

 両親が自分に興味を持ってくれている――それだけで全てが報われた。


 ――シズムが、生まれるまでは。


 私には才能があった。

 難しい魔法だって、たくさん習得してきた。

 何より、努力を重ねることを惜しまなかった。

 大人になれば世界で一番凄い魔法使いになれると、本気で考えていた。 


 だが、ヤツに比べれば自分の力なんてカスみたいなものだと思い知らされた。


 三歳を迎えたシズムは、母の使った超高度な術を見ただけで真似してみせた。

 四歳を迎えたシズムは、私が半年掛けて覚えた術を、一瞬で使いこなした。

 五歳を迎えたシズムは、世界最強と名高い老賢者を数秒で叩き伏せた。


 ありえない。

 そもそも、魔法の行使において基盤となるのは精神力である。

 心の未発達な幼子が魔力の片鱗を見せるだけでも、空前絶後だというのに――

 シズムの技量は国内最高峰の術師ですら及ばない段階まで到達していたのだ。

 天才などという言葉すら生ぬるい、神懸り的な所業だ。


 ――両親は私のことが見えなくなった。

 比喩表現ではない。

 本当に、自分の娘を――才能のない人間を認識できなくなっていたのだ。

 どんなに頑張って難しい技を覚えたってもう見向きもしてくれない。

 当然だ――私にとっての難しい技は、弟にとっての戯れに等しいのだから。


 最初は努力が足りないのだと思った。

 きっと弟も、本当はどこかで修練を重ねているに違いない。

 だからあんなにも桁外れの力を発揮できるのだ、と。

 そう信じるしかなかった。


 だけど、だんだん、気が変になりそうになった。

 私の一はヤツの百で、私がスタート地点に立つ頃にヤツはゴールどころか、別のスタート地点を探し始めていて――ヤツは私の何もかもを超えていた。

 嫉妬と不安で眠れない夜が続いた。


 だから、シズムを憎むようになるのに時間は掛からなかった。

 あの美しい髪が憎い、エメラルドの眼が憎い、珠のような肌が憎い。

 女神の生まれ変わりのような、その姿の一片一片が憎い。

 あいつさえいなければ、あいつさえいなくなってくれれば。

 私はもう、要らない子じゃない――出来損ないなんかじゃなくなるんだ。


 両親の目の届かない所で嫌がらせをした。

 物を隠し、壊し、盗み、皮肉や嫌味をぶつけた――少しでもヤツの心を傷付けてやりたかったのだ。


 だけど、シズムは私に対して何も言わなかった。

 あの宝石のように綺麗な瞳を、ただ私に向け続けるばかりだ。


 想像の中で何度もヤツを打ちのめした。

 涼しげな仮面を叩き割り、裸に剥いて、言うことを聞かせて――

 あの乙女のような身体を穢し、全てを私のものにする。

 そんな想像をする度、背筋がぞくぞくと震えた。


 ある晩、私はシズムを待ち伏せした。

 屋敷の庭、使用人の姿が完全になくなった時――

 散歩中のヤツの背中に、全身全霊の一撃を叩き込んだ。


 完全に捉えた。



 ――そう思った瞬間、私の心臓は死神に鷲掴みにされた。



 想像を絶するエネルギーの奔流――発生源は間違いなくシズムだ。

 嫌だ、嫌だ、怖い、怖い、いなくなりたい、帰りたい!

 助けて、助けて!


 瞬間、私の身体は紙クズみたいに吹っ飛ばされた。

 これは術ですらない――単なる魔力の放出だ。

 ただの念動力で、事前に幾重にも重ねていたバリアを全て叩き割られたのだ。

 痛くて、悔しくて、どうしてだ、不意打ちまでしたのに!

 転がって、転がって、壁に思い切り頭を打ち付けた。

 勝てないことは分かり切っていた。

 挫けそうだったけれど、負けたくなくて、必死で顔を持ち上げて――


 ヤツと、目が合ってしまった。


 ようやく、そのまなざしの正体が分かった。

 嘲るでもなく、笑うでもなく、ましてや怒るでもない。

 ――あいつは何も感じていなかったのだ。

 ただ、無関心に、道端のつぶてでも眺めるみたいに、こっちを見ていた。

 私は敵ですらなかったんだ。


 淡く白い月の光が浮かんだ翡翠の瞳が、どうしようもなく美しくて――

 夜風に揺れる絹糸のような銀の髪が、ほんとの女神さまみたいだった。





 だけど、もうヤツはいないのだ!

 勢いよく両親の部屋の扉を開け、中に飛び込む。


「お父様、お母様っ!!」


 突然の来客に驚き、弾かれたように顔を挙げる二人。

 その姿が愛しくて、力いっぱい抱き着く。

 全部、全部、思いの丈をブチまけようとして――


「……ん、何だ? 今、腕が重くなったような」


 腕を、振り払われた。


「お、とう、さ、ま……?」

「あなた、どうしたの? まだ惚けるには早過ぎますわよ」

「いや――はは、そうだな」


 お父様は、皺になったブラウスの袖を何度も拭った。

 繰り返し――まるで汚いものに触られたみたいに。


「ねえ、お父様っ、お母様!? どうして、ねえ、どうして無視するの!?」

「シズム――ヤツが我らドラゴリュートの研究を引き継ぎ、威信を取り戻す様を見届けるまで、私は決して正気を失う訳にはいかぬ」

「嘘だ、研究は私に任せてくれるって言ってたじゃないっ!? あいつじゃなくて私にって、ねえ、最初に言ったのは私でしょう!?」

「そうね。ふふ」


 二人は、笑っていた。

 娘のことなんかどうでもいいみたいに、見えてないみたいに、笑っていた。

 止めて。

 シズムの話なんかしないで。

 喉が熱い、汗が噴き出る、恐ろしい、嫌だ、嫌だ、止めて。


 私はここにいる。

 ここにいるんだよお父様お母様、私ここにいるよ。

 要らない子なんかじゃないんだよ。


「シズムならば、きっと我らの悲願を果たせますわ」

「うむ。何せあの子は、私たちの唯一の――」


 ああ待って、駄目、言わないで、その先を言わないで、駄目、駄目――



「――“唯一”の、子供だからな」



 私の心は、砕けた。




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