情動
「――それで、ヤツが怯んだところを俺が全力で叩く。構わないな、フォルミヘイズ?」
薄く歓声の聞こえる連絡通路。
入場口のすぐ手前、チームメイト――大した力は持っていないので名前を覚える気にはならない――が、作戦とやらを立てていた。
突然その片割れから同意を求められたので、壁に寄りかかりながら適当に返す。
「別に。好きにしたらいいんじゃないの」
「……いい加減にしておけよ、フォルミヘイズ。何なんだ、その態度は?」
大柄でどんよりした目の彼は、馴れ馴れしく手を伸ばしてくる。
不愉快だったので、その指を軽く発火させた。
「熱ッ!? き、貴様っ、仲間に向かって……正気か!?」
「軽々しく呼ばないで頂戴。穢れるわ」
「何を、戯けたことを……!!」
ジャガイモのようにブサイクな顔が、赤黒く染まっていく。
どうしてこんな、知性の欠片もないゴリラみたいなのがAクラスに入れたんだろうか。
バカにしているのではなく、純粋に疑問だ。
「落ち着け、二人とも。試合前だぞ」
もう一方、のっぽの眼鏡が苛立ちを隠さずに言う。
彼は私の方に向き直り、分厚いレンズ越しに視線を飛ばす。
「フォルミヘイズ。お前は、ヤツが無策で勝てる相手だと思うのか?」
「策如きでどうこうできる相手だと思う? 逆に聞くけれど」
「……可能性は、皆無ではなかろう」
「皆無ではない程度、の可能性に賭けるのは愚か者のすることよ」
ぴしゃりと言い切る。
眼鏡は不愉快気に舌打ちをし、ゴリラ顔とこそこそ話し始めた。
丁度いい。
一人で色々と整理しておきたかったところだ。
まず、あの二人――ゴリラと眼鏡は戦力外と考えていいだろう。
代表に選ばれるだけあって、まずまずの戦闘力を備えているが、私には遠く及ばない――シズムに至ってはもはや恐竜とプランクトン並の差だ。
十中八九、開始数秒で倒されるだろう。
静かに瞼を下ろす。
深呼吸をして、身体の内側に宿った魔力に意識を向ける。
トーナメントが始まるまでの間に、存分にエネルギーを練り上げてきたのだ。
ベヒーモスにすら、致命傷とはいかずとも、少々怯ませる程度のダメージは与えられるだろう。
しかし、これでもシズムの守りを打ち破るにはまず足りない。
指一本で弾き返されて終わりだ。
一応、Sクラスはチームメイトなし、単独での戦いがハンデとして義務付けられているが、そんなもの、ヤツにとってはハンデでも何でもないだろう。
――まっとうに戦ったら、の話だけど。
「おい、フォルミヘイズ」
広がる思考が、無駄に太いダミ声で遮られた。
眉を顰め、その主――ゴリラ顔の方を見る。
「時間だ。行くぞ」
ゴリラ顔が親指で出口を指し示す。
私が返事をする前に、彼は眼鏡を連れ立ってスタスタと歩いて行った。
両手で頬を叩く。
強く、拳を握りしめ――私は、一歩を踏み出した。
◇
正面を見据える。
舞台の先――そこに、ヤツは悠然と佇んでいた。
相も変わらず、一点の曇りもない美貌。
膨大なエネルギー。
濃密な存在感。
その綺麗な顔をこれから完膚なきまでに歪ませるのだと考えるとゾクゾクする。
先程までと比べると、会場の歓声は多少トーンダウンしていた。
無理もない。
何せ、さっきのCクラスは視線を向けられただけであのありさまだ。
余計なことを言って恨みを買いたくはないのだろう。
自己防衛が上手なことだ。
しかし、それ以上に――観客の大半は、シズムの姿に見惚れていたのだ。
確かな気品を帯びた仕草の一つ一つが視線を惹き付ける。
触れ得ざる美貌――
先の試合で見せた莫大な魔力と相まって、幾人かはさながら信奉者が如きまなざしを彼に送っていた。
シズムが、目にかかった髪を払う。
その動作が酷く狂おしく――不意に、顔に血が昇ってしまう。
あの時。
合同演習――神獣を一撃で葬り去った、あの光の柱。
虹と黄金と紅に照らされた、シズムの姿は本当に信じられないくらい美しくて。
血と泥と吐瀉物に塗れた私とは正反対で。
ヤツは、私のことなんか眼中にすらなくて。
それを思うと、不思議と下腹部が熱くなって――
っ!?
何で――鼓動が高鳴る、高鳴る。
どうして?
私は、あいつを憎んでいる筈なのに。
……いや、違う。
「――これより、午前の部、哭鱗の試合を始める。両者、構えて」
これは殺意だ。
怒りが、屈辱が、奇妙な高揚となって表れているのだ。
私は、シズムを打ちのめしたいのだ。
断じて、あのような、淫らな感情など――抱くはずがない。
さん――
「さあて。前の試合はクソつまらなかったが……お前は、少しは楽しませてくれるよな?」
「楽しませる? はっ、バカ言わないで」
昂ぶる、昂ぶる、精神が昂ぶる。
酷く興奮する。
にい――
「これから貴方が味わうのはね――」
荒れ狂う情動、かつて受けた屈辱が奇妙な快感に変質していく。
シズムが地に叩き伏せられ、涙を流す姿を想像する。
許しを請う様を想像する。
それを拒み、彼の美しい身体を徹底的にいじめ抜く自分の姿を想像する。
走る、歪な快感――
いち――
「敗北という名の、絶望よ」
――はじめ。
刹那、私は地面を蹴り抜いた。




