目が合った
ヤバい。
ヤバいヤバいヤバいヤバい。
怖い、怖い、全身に震えがくる。
大きなものが来る。
恐ろしいものが来る。
強いものが来る。
絶対に勝てないものが来る。
自分という存在そのものがグシャグシャになりそうだ。
名伏し難い熱量、パワーの爆発、途方もなく粘着質な無関心。
真っ青な暗黒。
混沌が、虚無が――理不尽が、形を成して追いかけてくる。
「なっ……ん、だ……これはっ……!? この、ふざけた圧力は……!?」
「いやっ、いやあああっ……」
困惑し、怯えるマーカス。
恐怖のあまり悲鳴を挙げるロッダ。
どんなに苦しく、厳しいトレーニングでも弱音一つ吐かなかった彼らは――今、戦う前から精神崩壊寸前だ。
かくいう僕も同様、かなりギリギリの状態だった。
膝が笑っている――まともに立っていられない。
精神が破たんする、駄目だ、ブッ壊れてしまいそうだ。
逃げ出したくなる気持ちを必死で抑え込む。
絶対に、絶対に、ここで退いてはならない――ついさっきまでの決意は、一体どこにやったんだ?
皆の想いを、たかが恐怖心如きで全て無為にするつもりか?
分かりきっていたんだ――勝てる可能性は限りなくゼロに近いって。
それでもせめて立ち向かうんだ、立ち向かった人間になるんだ。
戦うことすら放棄してこのまま生きていくだなんて、僕は堪えられない。
そうだ。
――心まで、負けてたまるものか!
身体の芯に力を込め、一歩、前へ進む。
溢れる冷や汗を拭って、後ろを振り向いた。
「二人、とも……頼むっ」
口が上手く回らない。
つい舌っ足らずになってしまう。
「思い出せ、思い出してくれっ……この程度の、この程度の恐怖、この程度で、今までの屈辱も、涙も、悲しみも、何もかも全部無駄にする気かっ……!?」
「エリ、ック……!!」
僕の言葉に、二人は目を見開き――決然と、頷いた。
……よし……!
マーカスもロッダもまだ顔は青いが、ひとまず元気を取り戻したようだ。
いつの間にか、会場は静まり返っていた。
皆一様に、何かに対して怯えているかのようだ――彼らもまた、ヤツの魔力を感じ取っているのだろう。
しかし――僕は唾を飲み込んだ。
シズム=ドラゴリュート。
噂には聞いていた――クラス判定で、何かとんでもないことをやらかした新入生がいると。
そして、新たに加わったSクラスこそが彼なのだと。
一体、どのような戦闘スタイルを取るのだろうか。
ガンドウ=ヤナギのように大地のエネルギーを操作するのか。
スズネ=キャットウォークのように超精密な魔力コントロールを行うのか。
どちらにせよ、Aクラスとは比較にならないほどの強烈な何かを持ち合わせているに違いない。
果たして、僕らの力はどこまで通用するのか――
思った瞬間、背筋に冷たいものが滑り落ちた。
――入場口から、人影が現れたのだ。
更に濃く、激しく叩き付けられるプレッシャー――これは、キツい。
観客席から悲鳴が挙がる。
想像を絶する威圧感に失神した生徒が担架で運ばれているのを、視界の端で捉える。
次第に距離が縮まってくる。
姿を肉眼で捉えられるようになり――僕ははっとした。
歩を進める度に、軽やかに揺れる白銀の髪。
宝玉が如く鮮やかに輝く、翡翠色の瞳。
傷一つ、シミ一つない玉のような肌。
美しい――本当に美しい少女だ。
いや、確か試合表には男子だと書いてあった――となると、少女でなく少年か。
確かに驚かされたが――ぐっ、と内心でガッツポーズを決める。
年の割に随分と身体が小さい。
持久力はなさそうだ。
大抵の場合、この手の魔法使いはコストパフォーマンスの悪い大規模な術をバカスカ撃ちまくるタイプだと相場は決まっている。
特に鍛えているふうには見えない、足もそう速くないだろう。
経験豊富というのも考えにくい――肌に傷跡一つ残っていないからだ。
ようし、奇跡的に戦前の分析とほぼ特徴が一致している。
運が向いてきたぞ。
ほんの少しだけ、心に余裕が生まれてきた。
事前に立てておいた作戦が殆どそのまま使えそうだ。
脚力を強化する魔法で、可能な限り距離を取る。
スタミナから考えて、瞬間移動などの消耗のデカい技で近付かれることはまずないだろう。
そして遠くから威力減衰の薄い術でじわじわと削っていく。
行ける。
大丈夫だ、やれる。
想像していたほど絶望的な状況ではない。
それに――後ろに立つ二人の顔を見る。
僕は、一人で戦っているんじゃないんだ――
決して、挫けるもんか。
力強く僕は胸を張り――
――ドラゴリュートと、目が合った。




