一筋の希望
「人間の領域を、超えている……?」
誰かが呟く。
クラスメイトの一人が、不自然な笑顔を作って僕の肩を叩いた。
「お、おいおい。冗談キツいぜ、エリックさん?」
「そんな、大げさな……モンスターを相手取る訳じゃないんだぞ」
「――冗談でも、大げさでもないよ」
僕は短く反論した――その声色の落ち込みっぷりに、自分で驚きそうになる。
声を掛けてきた彼らの、不安げな幼い顔を見た。
「確か、君達は一年生だっけ」
「あ……ええ。今年入学したばかりです」
「じゃあ、前回のトーナメントを見たことは――」
「い、いえ。ありません」
「そっか……うん」
かつての記憶がフラッシュバックする。
去年のクラス対抗トーナメントにて――長い学院の歴史の中でも、恐らく、最も注目を集めたであろう試合が組まれた。
「――それが、ガンドウ=ヤナギ対スズネ=キャットウォーク。二人のSクラス合格者同士の戦いだ」
誰もが彼らの試合に期待し――また、その技量を測りかねていた。
魔導書という概念そのものを築き、定着させたマーリン。
既存の魔法薬学の重大な欠陥を暴き、あらゆる分野に衝撃を与えたメデス。
どちらも魔導史における超重要人物であり、そしてエストでSクラス判定を受けた数少ない魔法使いだ。
それを踏まえて考えるならば、ヤナギとキャットウォーク――彼らは、魔法の申し子と名高い偉人たちに勝るとも劣らぬ才を持っているということになる。
しかし、それはあまりにも荒唐無稽――信じがたい話だ。
実際、皆の彼らに対する評価はそう高くはなかった。
あんな幼い子供らが、かの魔術師たちに比肩するなどありえない。
恐らく、学院内部でSクラスの評価基準が変化したのだろう。
精々Aクラスに毛が生えた程度の実力に違いない。
数多の疑念、侮り、好奇に晒される中、ついにSクラス同士の対決が始まり――
瞬間、観客たちは己の認識の甘さを自覚することとなった。
零コンマ数秒――人間の反応速度を置き去りにした、超絶技巧魔術の応酬。
裏の裏のそのまた裏をかいた策略。
膨れ、弾け、飛び散るエネルギーの渦。
想像を絶する激闘に、僕らはただ見惚れ続けるしかなかった。
数時間に及ぶ戦いを制したのは、ほんの僅か――瞬き程に生じた隙に、全身全霊の一撃をヤナギに叩き込んだキャットウォークだった。
だが、もはや勝敗などはどうでもよかった。
Sクラスは、常軌を逸している――
そこで初めて、僕らは真の天才という存在を思い知ったのだ。
「――あの試合を思い出す度に、ほら、見てよ。はは……震えが止まらなくなるんだ。きっと、Aクラス全員が束になって掛かっても、彼らには敵わないだろう」
ロッカールームに、暗雲が立ち込める。
皆、絶望的に顔を歪めていた。
「……ハッキリ言おう。Sクラス相手に勝てるビジョンが、僕の脳内には全く浮かばない」
「そん、な……」
幾人かは恐怖のあまり薄く涙を浮かべている。
――泣きたいのは、こっちの方だ。
史上最高に空しい気分だった。
ああそうか、無駄だったんだな、価値はなかったんだな。
ははは、当たり前だよな。
Cクラスが――凡人如きが、一度でも勝利をもぎ取ろうだなんて!
そんなの、くだらない思い上がりに過ぎなかったんだ。
今までの全部に、意味なんか、なかったんだ――
「――らしくないぜ、エリック。俺にやる気を出させた、あの物凄いガッツは一体どこにやったんだ?」
「そんなに簡単に、諦めちゃ駄目」
二つの声が届いた。
僕らはぱっと振り返る。
「……君たちは」
目つきが悪くてちょっと厳つい男の子、マーカス。
おっとりした感じの女の子、ロッダ。
同級生であり、Cクラス四年チームの代表者でもある二人――
彼らは僕の傍に近付き、肩を掴んだ。
「エリック、しっかりして。私たちはまだ、相手の姿すら見ていないのよ?」
「その通りだぜ。戦う前から諦めてどうすんだよ」
力強い言葉――だけど。
「幾らなんでも、無茶だ。Sクラスに勝とうだなんて……」
「――どんなに才長けた者でも、経験を積んだ戦士相手には必ずどこかしらで判断ミスをやらかす。一年生ならば尚更だ」
言って、マーカスが笑った。
「お前の言った言葉だぜ? エリック」
「ちなみに、シズム=ドラゴリュート――彼は新入生ね」
「…………っ」
暗雲が、晴れていくのを確かに感じた。
そうだ――その通りだ。
対戦相手は一年生と、僕らより年下なんだ――なら、やりようはある筈だろう。
戦闘スタイルは分からないが……。
思惑を巡らせる――スムーズにアイデアが浮かぶ、作戦が組み上がる――
そこで、はっと気が付いた。
もし修行をしていなかったら、こんなにも容易く考えは働かなかったろう。
今までバカみたいに必死こいて、それでも届くかどうか分からなくて、それでもやるしかなくて、ただ負けたくなくて負けたくなくて。
汗握って心臓爆発しそうになって、それでここまでやってきたんだ。
立ち向かってやる、絶対に立ち向かってやるんだ。
胃袋の奥底、めらめらと闘志が燃え上がる。
そうだ――無駄な努力なんて、この世にあるもんか。
僕は、ゆっくりと歩き出した――スタジアムへとつながる扉の前に立つ。
「ようし、勇気を取り戻したみてえだな」
「それでこそエリックだよ」
「……うん」
いつしか、皆の顔には生気が戻っていた。
決意に満ち溢れていた。
――彼らの期待を、裏切る訳にはいかない。
確かな信頼を感じる。
悩み、苦しみ、ここまで繋げてきたんだ。
絶対に、諦めてたまるものか!
「行こう、二人とも。――思い切り、めいっぱいやってやろう」
力強く僕は叫び――スタジアムへの扉を、開いた。




