人間の領域
「――作戦は完璧に覚えたし、皆の体調も万全だ。これで、準備は整ったね」
埃臭く、狭苦しいロッカールームで、僕は作戦の説明を終えた。
十二人のチームメイトたちが小さな黒板を取り囲むようにして立っている。
流石に皆、緊張の色が濃いが、表情は真剣そのものだ。
各々が闘志をみなぎらせながら言葉を交わし合っている。
そこに学年の垣根はない――全員が勝利のために、一丸となっていた。
その光景に、熱いものがこみ上げてきた。
僕はつい感情を抑えきれなくなり、視界が薄く滲んでしまう。
「え、エリック? 何泣いてんだ?」
「……ごめん。つい……」
「おいおい、泣くにはまだ早過ぎんだろうがよ」
数人が混ぜっ返し、室内に笑いが満ちる。
僕も目尻から小さく雫を零しながら、釣られて笑った。
「ほんとにごめん。ただ……嬉しくて。どうしても、我慢、できなくて……」
その言葉に、笑いが静まる。
駄目だ、どうしてもしゃくり上げるのを堪えることができない。
――始めは、ほんの思い付きに過ぎなかったのだ。
毎度毎度、皆の晒し者になるのが嫌で――
せめて一度でいい、一度きりでいいから、勝利を掴みたかった。
それから何となく、Aクラスの生徒たちの戦闘データを集め始めた。
こっそり教室に入り込み、成績簿を覗いたり――
授業をバックれ、Aクラスの修行風景を観察したり――
そんなバレたら即退学になりそうなことをしている内に、もしかしたら自分たちCクラスにも勝ち目があるんじゃないか、と思えるようになったのだ。
バカげている、ありえない、無茶だ。
ほんと、ふざけているよなあ――自分でも分かっていた。
でも、つい無意識に考えてしまうのだ。
もしあいつと当たったらあの弱点を突けばいい――
あいつにはこう立ち回れば有利に戦える――
こうすれば、あるいは勝てるんじゃないか――なんて、夢物語を。
夢物語を本気で追い始めたのは、その話をクラスメイトに打ち明けてからだ。
最初は誰もまともに取り合ってくれなかった――当たり前だ。
逆の立場だったら、きっと、僕も似たような対応をしただろう。
だけど、少し――本当に少しだけ、僕の話に興味を持ってくれたヤツがいた。
立ち向かう意思を失っていないヤツが、言ってくれたのだ。
負けたくない、みっともないまま終わりたくない。
勝てないのが当たり前、だなんて思ったまま卒業したくない、と。
そうして僕、いや、僕らはついに本気になった。
集めた情報を元に意見を出し合い、作戦を組み立てた。
綿密なシミュレーションを行い、想定し得る非常事態とその対策を考えた。
トレーニング及びコンビネーションの練習を重ねた。
それらと並行して、学年問わずCクラス全員に呼びかけをした。
ぶつかって、転がって、ヘトヘトになって。
いつしか、僕らの夢物語は明確に現実味を帯びてきた。
ただの傷の舐め合いではない――強い絆がCクラスに生じていったのだ。
――そうして今、僕らはここに立っている。
改めて、皆に自分の思いを語ろうとした、その時。
ロッカールームのドアが、派手な音を立てて開いた。
「え、エリック……っ!!」
何事か、と視線が集まる。
彼、ポール――Cクラスの一人だ――は、汗だくで息を切らしつつ、言った。
「今しがた……エリックチームの対戦相手が発表されたぞ……!」
「……ついにか」
涙を拭い、頭を振った。
誰だ、誰のチームだ。
精霊を召喚して遠距離からネチネチと攻めてくる、ドリアチームか。
それともラフプレイ上等のゼロスチームか。
いや、どう来ようと関係ない……Aクラスチームは全て完璧にリサーチ済みだ。
鼓動が高鳴る――乾いた唇を舐め、僕は尋ねた。
「教えてくれ。相手はAクラスの誰だ?」
「違う! お前らの対戦相手はAクラスじゃない!」
「な――っ!?」
ロッカールームにざわめきが走った。
一瞬、膝から崩れ落ちそうになる。
ふざけるな――どうして、どうして今年に限ってAクラスじゃないんだ!?
急速にマイナス方向へ落ち込みそうになり――どうにか、堪える。
落ち着け。
Aクラスでないのなら、つまり僕らの敵はBクラスかCクラスってことだ。
BならAより余程勝機があるし、C同士ならば正々堂々戦えばいい。
それだけの話だ。
深呼吸をして、ポールに尋ねる。
「どっちなんだポール――僕らの相手はBクラスか、それともCクラスなのか?」
「……その、どちらでもない」
真っ青な顔のポールは、震える声で言った。
「お前らの対戦相手は、シズム=ドラゴリュート。――Sクラスだ」
…………は?
その瞬間――その場に居る全員が、凍り付いた。
Sクラス、だって?
待ってくれ、そんな、そんな、どうして。
「じ、冗談だろう、ポール……? なあ、嘘だよな、ただのギャグだよな?」
「……いや、嘘じゃねえ」
ポールは首を振り、試合の詳細が記された紙を僕に見せた。
震える手で受け取る。
もたもたと視線を這わせ――心臓が止まり掛けた。
ああ、畜生、クソったれ。
僕のあまりの様子に、チームメイトの一人が引き攣った顔をこちらに向ける。
「は、はは……何だよ、エリック?」
「やっぱりポールの早とちりだったんだろ?」
口々に話し掛けてくるチームメイトたち。
その顔には、恐怖が――焦燥がありありと浮かんでいた。
「――去年のトーナメントで……初めて、Sクラスの戦いを見たんだ」
僕の口から、勝手に言葉が零れる。
「エリッ、ク……?」
「それまで僕は誤解していたんだ。Sクラスの実力ってヤツを……」
心が、暗く沈んでいく――
「ガンドウ=ヤナギとスズネ=キャットウォーク……彼らの魔法を見て悟ったよ。――Sクラスの力量は、もはや人間の領域を超えているんだ、って」




