理由
全身から魔力が漏れ出す。
恐ろしく冷え切った感情が臓腑の底を焼き焦がす。
ああ、マジで、マジで、正真正銘本気でブチ切れそうだ。
「し、シズム、くん……? ど、どうしたの? 私、変なこと言っちゃった?」
心を満たす、氷のような熱。
ガレットは酷く動揺している。
自分の愚かしさに気付いているのか、いないのか――まあ、どちらでもいい。
どうだっていいことだ、凡人の内心なんて。
「――努力で、才能は覆せる、だって? はは、面白い冗談だな」
じゃあ聞くけどよ。
俺は、ニタリと笑った。
「お前はさ。ただの努力で、俺以上の魔法使いになれると思うか?」
「……!!」
口ごもるガレット。
ははは、そうだよな、そうなるよな、何にも言えないよな。
お前は自分の目で見ちゃったんだもんな、俺の才能を。
――闇のドラゴンは、神話では女神に次ぐ重要度を誇る。
大概の宗教でも絶対的な力を誇る至高の存在として描かれているな。
日本人としての感覚が骨の髄まで染み込んでいる俺からすれば、宗教とかそういうのはあんまりピンとこないんだけど。
ただ、ここで忘れてはならないのが、この世界の文化の大半は魔法によって築き上げられてきたという点だろう。
つまり前世でいう科学、合理主義があまり浸透していない。
故に富裕層、また知識人たちまでもが御伽話、迷信、神話――そんなようなものが本能に常識として刷り込まれている訳だ。
すなわち闇のドラゴンとは、常識的に考えて決して逆らうことのできない絶対の強者――日本人にとっての社会規範とか、そういうのに近い――なのだ。
そして、その闇のドラゴンを従える俺を努力で超えるということはつまり、世界の理を変えてみせると宣言するも同然ということなのである。
断言しよう。
“俺を超える”ことも、“俺を倒す”ことも、絶対に不可能だ。
何人たりとも俺を害することはできない。
無論、俺に力を与えた女神当すらもな。
ガレットはまだ黙っている。
流石のバカも世界の変革を宣言できるほど身の程知らずではないらしい。
愉快だ、実に愉快だ。
笑えて仕方がない。
おかしくておかしくて、もう、脳味噌の血管が千切れちまいそうだよ。
俺は、衝動に身を任せて言い放った。
「断言しとくが、ガレット、絶対に無理だよ。お前は一生Cクラスのままだ」
「――っ」
「な……おい、君!! 流石に暴論が過ぎるぞ!!」
ガレットが目を見開いた――その横で、ブレイドルが反発する。
冷たい口調で俺は彼をあしらう。
「暴論? 俺はただ理屈を述べただけだ」
「いいや、そんなものは理屈ではない! 単なる詭弁だ!」
先程までとは一転、彼は激しい口調で俺に食って掛かってきた。
「才有る者が一の労で十を得るならば、才無き者は百の労で百を得ればいい! 十の労で百を得るならば、千の労で千を得ればいい! なぜ、無理などと断ずる!」
「下らない根性論を押し付けるのは止せよ、偽善者」
「違うっ! 根性論などではない! これはれっきとした事実に過ぎん!」
「――事実、ねえ」
これだから能無しは困る――現実というものを、まるでご存じない。
ガキをなだめすかすみたいに俺は語った。
「あのな。現実に重ねられる努力には限りがあるんだよ。千の努力なんて自分の限界を超えた修行をしてりゃ、早くに身体がブッ壊れるに決まってんだろ」
「む、ぐ……そ、そうかもしれんが、しかし、強い意志を持ち続ければ――」
「それにな」
反論を潰しつつ、更に俺は“事実”を述べる。
「自分が一の努力で一しか得られないその隣で、才能のあるヤツがどんどん力を付けて羽ばたいていくんだぞ。そんな状況で強い意思とやらは保てるのか?」
「……ぼ、僕は保ってみせるさ! 僕なら――」
「今は一般論の話をしてんだよ。お前個人の感想なんざ知るか」
「ぐっ……」
一つ言葉を発する度に、かつての記憶が俺の心を蝕む。
不愉快だ、不愉快だ、不愉快だ。
「そうやってもたついてる内に、天才はどんどん力を付ける。苦痛を意思で押さえ付けて、嫉妬に打ち勝って、それでも才能のあるヤツには敵わないんだ。そして、後に残るのはズタズタの心と身体、それと残り少なくなった寿命だけ……」
そこまで言い切って、俺はブレイドルを見た。
彼はすっかり勢いを失っていた――だが、納得はしていなさそうだ。
全く、これだから能無しは嫌いなのだ。
真に己のためとなる現実からは徹底的に目を背けやがる。
耳障りのいい虚言は頭から信じ込むくせにな。
「……なあ、分かるか? お前ら凡人がする努力なんかに意味はない。どれだけ地道な苦労を積み重ねたところで、真に才能に恵まれた者には勝てないんだよ」
「そ、そんなの屁理屈だっ! 僕は絶対に認めな――」
愚かなブレイドルが無様に食い下がろうとした瞬間――
凄まじい轟音が、辺り一帯に響き渡った。
一拍遅れ、風が猛烈な勢いで吹き荒ぶ。
木々が軋み、倒れ、備え付けの用具室は紙屑のように吹っ飛んでいく。
地面は大型ブルドーザーで抉り取られたかのようにめちゃくちゃだ。
これはまるで、巨大な物体が超スピードで通り過ぎて行ったかのような……。
それに、この魔力の気配……。
「――い、ぎゃあああああああああああああああああっ!!!」
「!? ひ、悲鳴!?」
俺たちは一斉に振り返った。
そして俺を除く凡人二人は、バカ面を晒して息を呑んだ。
――そこにいたのは、途方もなく巨大なモンスターであった。
強烈な存在感を放つどす黒い牙に、血の如く真っ赤な毛皮。
目を背けたくなるくらいに醜い姿は、ウシともイノシシとも取れる。
しかし、それ以上に物凄いのはその身の丈だ。
相当甘く見積もって五十メートル――いや、その程度では収まらないか。
その巨体を以てして、生徒たちを殺戮しているのだ。
飛び散る鮮血、四肢――演習は、一瞬にして地獄の様相を呈し始めていた。
……あの姿、もしや。
「ふむ。ベヒーモスか」
「ベヒーモス!? 討伐難度特A級、国をも容易く蹂躙する、モンスターに堕したかつての神獣じゃないか……!! ど、どうしてこんな所にっ!?」
血の気の引いた顔で、ご丁寧にブレイドルが解説してくれている。
なるほど――これは、丁度いい機会になりそうだ。
俺はレビテーションの魔法を使い、ふわりと浮きあがった。
それに気が付いたガレットが叫ぶ。
「シズムくん!? そんな目立つことしちゃ駄目、ヤツに狙われちゃう!!」
「――お前らには感謝しているよ。ガレット、ブレイドル」
突然ぶつけられた感謝に、バカ共は面食らったかの如く目を見開いた。
俺も、どうやら頭が少々ボケていたみたいだ。
凡人如きと対等に口を利き、挙句馴れ合うなど、全く以てバカバカしい。
この世界に転生した理由を、すっかり忘れていた。
「だからさ、礼代わりに見せてやるよ。現実を――才能の格差ってヤツをな」