きっと
「……う」
「ここ、は……?」
先程よりも更に鋭い寒さが肌へ突き刺さる。
急激に頭が冷えていくのを感じた。
何もかもがぐしゃぐしゃなのは全然変わらないけど、でも。
だけど不思議だ。
へばりつくような悦楽が、薄ぼんやりと脳味噌の底から込み上げてくる。
悦楽?
どういうことだろう。
今俺は何を感じているんだ?
バカだな。
さっき自分で言ったじゃないか、気分がいいって。
あれ、そんなこと言ったっけ。
そもそも俺は今何をしているんだっけ?
ははははははは。
もうまともに気分が定まらない。
怖くなって悲しくなって楽しくなって。
きっと気が狂ってるんだな。
でもいつからだろう。
いつからこんなふうになっちゃったんだろう。
どこで間違えたのかな。
もう手遅れか。
どうでもいいよな。
喉がズキズキ痛む。
口の中が悪臭で満たされている。
吐き出すみたいに俺は口を開いた。
「ここに来るのも、随分久しぶりだよな」
バカみたいに大きな観客席。
広い武舞台。
その中央に、俺たちはつっ立っていた。
「もしかして……ここって」
ブレイドルがはっとしたように呟く。
――トーナメントで訪れた、大型のスタジアム。
かつては学生で満たされていたこの場所も、今は静寂に包まれていた。
明かり一つない、ただただ無が広がるばかりの空間。
何にもない。
寒い――酷く寒い。
もう何も残っていない。
だからもうここいらで一区切り付けよう。
疲れたから。
遠くの方へ行こう。
俺は、ゆっくりと魔力を練り上げ始め――
「……え」
「き、君、一体何を――っ!?」
その力を、解き放った。
瞬間、銀色の閃光が弾け――凄まじい轟音が響いた。
吹き出す衝撃波。
静寂を切り裂くエネルギー体は、一直線に――ガレットとブレイドルめがけて突進する。
咄嗟に二人はバリアを展開――俺の繰り出した魔法と彼らの防壁が衝突。
生じる音。
金属と金属を叩き付けあったかのような、生理的嫌悪感を催す音。
やがて光の粒子が弾け――エネルギー弾とバリアが同時に消滅する。
その反動で吹き飛ばされたガレットたちは素早く受け身を取り、ダメージを最小限に抑え――
激しい困惑を俺に示す。
「シズムくん!? どうして、こんなっ――」
「そういえばさ」
唄うように、誤魔化すように。
俺はへらっと笑った。
笑った?
分からない。
ちゃんと俺笑えてたのかな。
「ガレット。お前、言ってたよな? トーナメントで吐いた言葉を、取り下げるつもりはない――俺を失望させるつもりはない、って」
「そ――う、だね」
「今でもまだ、それは変わらないのか?」
発した言葉が、何か縋るような色を帯びていたことに、言ってから気付いた。
きっとガレットもそれが分かったのだろう――彼女は静かに首を縦に振る。
「うん。今までも、これからも、そこを変えるつもりはないよ」
「そうかい」
だったらさ。
俺は、魔力の一部を解き放つ。
ごうと吹き荒れるエネルギーの嵐――
ガレットたちは一瞬怯んだが、逃げ出すようなそぶりは全く見せなかった。
「なら。それを、証明してみせろよ」
「証、明?」
吹き出す魔力――それを掌に集め、刃の形に変換する。
それを、彼女らに突き付けて――
「もう一度――俺と闘え。今、ここでだ」
「……な」
ガレットは呆然と瞬きを繰り返す。
「そんな、どうして急に――だって、それはっ」
「俺を失望させるつもりはないんだろう? なら、言うことを聴けよ」
「聴くよ! あなたを失望させる気がないって、それだって取り下げるつもりはない! だけど、今のあなたはっ――」
「待て、アラヤヒール」
ブレイドルが掌でガレットを制し――その、まなざしを俺に向けた。
「君が、それを望むのなら――僕は構わない」
「……ブレイドル」
まっすぐなブレイドルの瞳。
ガレットが、呟き――
「分かったよ、シズムくん」
決然とした、だけど――確かな優しさを帯びた表情で頷いた。
「今のあなたにそれしかないって、そういうことなんだね。なら、ちゃんと付き合うよ。あなたの傍にいる。それが必要だって言うなら、私はどこまでだって付いていくから」
「…………」
――ブレイドルは、黙って、右手を突き出した。
ワインレッドのエネルギーオーラが生じる。
吹き出す、凄まじく純度の高い魔力粒子。
鮮やかに形作られていく刃。
一連の流れには、欠片ほどの淀みもない――彼の芯の通った性格を表しているみたいだ。
――それから、ガレットが静かに瞼を閉じる。
彼女の全身から発せられる穏やかな橙色の光が、ブレイドルの真紅の魔力を包み込んでいき――
直後、黄金の光が暗闇を切り裂いて。
ブレイドルの手には、恐ろしいほどに美しい一振りの剣が握られていた。
硝子のように透明で、繊細で。
林檎飴のような刀身。
銀とも金ともつかない不思議な色の柄は、サファイア、ダイヤモンド、オパール――
数々の宝石で飾り付けられていた。
「――聖なる剣の加護。刃の魔法を更にパワーアップさせる、僕らが自分で考えた術さ」
だが、単に美しいだけではない――そこから立ち昇るエネルギーはまさに圧巻の一言だ。
神獣などには及ばないにしろ、最低でもAクラス――いや、Sクラス並の力を感じる。
「ずっと、君に隠れてこっそりこの魔法を練習していたんだ。もっともっと完成度を上げて、君を驚かせてやろうって、そう思っていたけれど――きっと今こそ、この力を使うべきなんだと思う」
正眼に、ブレイドルは聖剣を構えた。
「やろう、シズムくん。君にこそ、今の僕らを見てほしいんだ」
誠実な、衒いのない言葉を向けられる。
ぎゅっと胸が締め付けられた。
不意にまた、涙が零れそうになる。
でも駄目だよ、泣けないんだ。
泣いたら駄目なんだよ。
そんなことしたら、彼らはきっとまた俺のことを気遣うだろう。
俺に優しくしてくるだろう。
だから駄目だ。
もしそうなったら、多分俺は、きっと。
……きっと……。