異常者
ただ地獄が広がっていた。
エヘエヘと気味の悪い笑い顔を投げ掛けてくる両足の腐った少年。
彼を背負う兄と思しき子供の眼窩には何も収まっていない。
顔中に大量の赤と緑が入り混じった吹き出物を浮かべたあの子は性別不詳。
妊娠したみたいに腹が膨れている女の子はぶつぶつと不明瞭な独り言を呟き続けていて、それに怒ったアゴの消し飛んでいる男の子が彼女の頭を引っ叩いたものだから、部屋中に奈落の底から鳴り響くような泣き声が響き渡る。
彼らは必ずどこかしら歪んでいて正常ではなくって。
気持ちの悪い気色の悪い格好で。
ある意味多彩というか。
ただ全員大怪我をしている癖にまともな世話を受けていないものだから、揃いも揃って膿まみれで、凄まじい悪臭を放っているという点では一致していた。
ドブ川のほとりから立ち昇っているみたいな生温い空気。
首筋から背中からこめかみから、じっとりとイヤな汗が噴き出してくる。
龍の鱗が放つ乳白色の薄ぼんやりした輝きが酷く場違いで鬱陶しい。
壊滅的な気分だ。
「あ、あなたたち、は、っ、……」
きょとんとしているリム――
そのちいさな掌を、きゅっ、と握りしめ、メルは決然とした表情を俺に向ける。
「そ、その、“そしきのひと”じゃ……な、ないん、です、か?」
「……あ、ああ」
ずんと重たくなった喉を無理矢理開き、相槌を打つ。
メルは少しだけ――本当に少しだけリラックスしたように思えた。
じゃあっ、と彼女は細い声を出す。
「り、“りーだー”さん、はっ……ど、どうしたんです、か? わ、わたしたち、し、“しんにゅうしゃ”を、ころせ、ころせってっ……でなきゃ……っ」
リーダーってのは、あの赤毛の男だろう。
そうか、そんな命令を下されていたのか、こいつらは。
あのリムってガキは、鉄砲玉の役割を任されていたのかな。
「そっか――ま、その侵入者ってのが、私たちなんだけどにゃ」
「へ……?」
唐突にキャットウォークが軽い調子で――あくまでも表面上、彼女らを不安にさせないために勤めてそう振る舞っているのだろうが――言う。
メルはぽかんとした後、きっとこちらを睨み付けてくる。
「だ、だったらっ! い、いま、ここで、あなたたち、をっ」
「その必要はない。――その命令を下した人間は、もうこの世にはいない」
「……え、っ?」
アクアマリオンがごく柔らかな声色で言った。
優しい、包み込むような笑顔もついでに添えて。
「つまり、もうこんな場所にいなくたっていい――ここで苦しむ必要はないということ。安心して」
ね、と彼女に笑いかけるアクアマリオン。
腐った心に、その明るさがほんの僅かだけ染み込む。
メルはくすんだブロンドを震わせて俺たちを見た。
「ほ、ほんとう……で、です、か? わ、わたしたち、ここから、“でなきゃならない”の、で、ですか?」
「もっちろん! 心配する必要にゃんて、どこにもありゃしにゃいにゃよ!」
必要以上におどけて振る舞うキャットウォーク。
メルは、そっか、そっかあ、と口の中で小さく呟いた。
それから――ニッコリと笑った。
「あの……み、みなさま、は、きっと、やさしいひとたち、なのですよね」
「当っ然にゃよっ、ええと、メルちゃんだっけ?」
「そ、それじゃあ……そのっ」
ひとつ――おねがいが、あるのです。
幼い彼女は言った。
「あ、あつかましい、と、とはっ、おもうのです、が、っ……」
「お願い? ……よく分からないけれど、私たちにできることならば努力はする」
でも、まず話を聴かないことにはどうにもならない。
だから、そのお願いを私に教えて?
――とアクアマリオンは我が子を見守る母親が如き笑みを浮かべる。
「は、はいっ! あ、あの……た、たいへん、めっ、めんどうをおかけするかと、おもいますが……えっと、そのっ」
わたわたと顔を赤くしてメルは言う。
微笑むアクアマリオン、キャットウォークと共に、俺は彼女を見守っていた。
そして、メルは、小さな口を開き――
「どうか。わたしたちを、いま、ここで、ころしてくださいませんか?」
――瞬間。
時が、止まった。