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最悪な現実



「うっわ。何、あの絵。あいつが描いたの?」

「気持ち悪っ……ああいうのって、あれでしょ。オタクってヤツでしょ」

「はは、しかも死ぬほどヘッタクソじゃん」

「線ガタガタだし、配色もセンスねえし。ゴミだな、ゴミ」

「おいおい、言い過ぎだって」

「あーあ、泣いちゃってるよ。かわいそー」

「ウケるわ」


 ホームルーム前の教室を無数の嘲笑が埋め尽くす。

 俺――竜胆シズムは、黒板の前で呆然と立ち尽くしていた。


 黒板の前に張り付けられた、一枚のイラスト。

 背景に至るまで全力で描き込んだ、愛らしい女の子の絵。

 散々悩み、迷い、描き直した――間違いなく、俺の作品だった。

 下手かもしれないけれど、胸を張って自分の最高傑作だと言える、大切な我が子だった。


 強く、拳を握り込む――頬に血が上り、視界が涙で薄く滲んだ。

 怒りと屈辱、惨めさに打ちのめされながら俺は叫んだ。


「だ、誰だっ!! 誰が、お、俺の絵を、かかっ、か、勝手にっ……!!」


 叫んだつもりの声は、自分でも分かるほどに滑稽だった。

 その震えっぷりがツボに嵌ったのか、嘲笑の勢いは更に増す。

 ただただ情けない――心が苦しみに満たされていく。

 感情に任せ、もう一度叫ぼうとしたその時――


「そりゃ、俺だよ。シズムくん」

「……え?」


 背後から名前を呼ばれ――その一瞬、教室に充満する嘲りが止んだ。

 今度はさざめきのようにクスクス笑いが広がっていく。


 とん、と肩に手が置かれた。

 大きく、太く、力強い――背が低く、貧弱な自分とは真反対の掌だった。


「俺にさ、喜んで見せてくれたじゃん。自分は絵が上手なんだって」

「なっ、え、あ、あ……」

「だからさあ。俺は皆にも教えてあげようって思っただけだよ」


 どこか軽薄な、他人を見下した喋り方。

 震える首をのたのたと動かし、俺は彼の顔を睨み付けた。


 背後に立つ、大柄の男――短い金髪、焼けた肌、自信に満ち溢れた瞳。

 クラスで一番の人気者で、スクールカーストの頂点に君臨している“彼”だ。

 彼は口の端を薄く歪ませて言った。


「ほら、昨日の昼に君があのノートに描いてた、えーと、アニメキャラだっけ? 俺が凄えっつったらさあ、ふふ、君、バカみたいに早口で解説始めちゃってたじゃん。おまけに、ノートごと俺にくれちゃって」

「……あ……う」

「で、やっぱさ、“才能”を埋もれさせちゃあ駄目っしょ?」


 妙に大げさに首を振る彼。


「それで、ノートの中身皆に見せてあげたら、もう、大ウケでさ! 他のクラスにも教えてやらなきゃっつって、コピー取ってそこら中にばら撒いてきたワケよ」


 彼はおどけて言い放った。

 教室の後ろ側、ロッカーの傍に固まるクラスメイト達が爆笑する。


 俺は歯を食いしばった――心の中で何度も何度も罵倒を繰り返す。

 クソったれ、ふざけやがって、バカにしやがって!

 畜生、畜生!


 今まで、身内以外にまともに絵を見せた経験はほとんどない。

 当然だ――容姿に恵まれておらず、しかも口下手な俺に、自分の趣味を打ち明けられるほどに親しい友人などいる筈もない。

 だが、理由はそれだけではなかった。


 ――プロのイラストレーターを目指していた俺には、絵の才能が皆無だった。


 数えきれないほどの教本を買った。

 インターネットで散々体験談や経験談を漁った。

 反復練習も欠かさず行い、狂ったように努力を重ねた。

 しかし、デッサンも、パースも――基礎の基礎、初歩の技術すら全く身に付かなかったのだ。

 インターネットでは俺と同年代のヤツらが既に第一線で活躍しているというのに。

 こんな絵を、誰に見せられるんだ――俺は毎日毎日劣等感に苦しみ続けていた。


 だからこそ嬉しかったのだ。

 顔がよく、勉強もスポーツもできる彼が、自分の絵に興味を持ってくれたのがただただ有難かった。

 今までの頑張りが認められたような、そんな気分になった。


 だが、今は……。


「ぎゃはは、そんな顔すんなって! 喜べよ、知名度も随分上がったんだし!」


 悪びれた様子もなく、彼は笑い続ける。

 その姿からは、罪悪感の欠片も感じ取れない。


 もう、いい。

 拳をめいっぱい固めた。

 後のことなんか、もうどうだっていい。

 怒りが腹の底を渦巻いた――こいつを、一発ブン殴ってやりたい。

 不愉快なにやけ面を、思い切り歪ませてやりたい。

 せめて、このクソ野郎に、一矢報いてやるんだ――


 そう思った瞬間、教室のドアが勢いよく開いた。


「おっはよー……って、あれ? な、何、この空気?」


 教室の雰囲気を打ち崩す、朗らかな声。

 俺の心臓が、早鐘を打ち始めた。


 一人の女子生徒が飛び込んでくる。

 手入れの行き届いた栗色のセミロングの髪、目鼻立ちのハッキリした顔。

 間違いない、幼馴染だ――俺の、大切な幼馴染だ。


「んん? シズくん? 何やってんの?」

「う、あ……」


 シズくん、とあだ名で呼び掛けられる。

 彼女とは幼稚園の頃からずっと親交があった。

 仲良くなったきっかけはもはや覚えていないが、俺にとっては数少ない友人であると同時に、ほのかな恋心を覚える異性だった。

 そして、家族以外に絵を見せたことのある、唯一の存在だ。

 気が優しく、快活な彼女だからこそ、躊躇なく夢を打ち明けることができたのだ。


 だが、彼女と俺とは違うクラスの筈だ――恐らく教室を間違えたのだろう。

 学校の外ならば、笑いながらからかってやるところだが、今は――


「おう、夏美じゃん。オメーの教室は隣だろ」

「え、あー、ほんとだ。ごめんごめん、ついうっかり」


 ……は?


 ぶわっ、と背中に脂汗が滲んだ。

 夏、美……?

 彼は今、俺の幼馴染を、名前で呼ばなかったか?


 顔から血の気が引いていくのが分かる。

 なぜだ?

 二人は俺の目の前で、くだらない冗談を飛ばし合っていた。

 ありえない――どうしてそんなにも親しげにしているんだ、お前らは?


「ていうか、アンタ、シズくんに何したの? なんか泣いてるじゃん」

「なんかって、そりゃ――」


 彼は言い掛けた後、俺をちらりと見て――その端正な顔を、下品に歪ませた。


「……おい、夏美。ちょっとこっち来い」

「へ? うん――って、きゃっ!」


 大きく、筋肉質な腕を彼は伸ばした。

 止めろ――頼む、止めてくれ。

 反射的に飛び出してしまいそうになる。

 でも駄目だった、恐怖と焦燥と羞恥で脚が全く動かなかった、駄目だったのだ。

 丸太のように太い腕で、彼は幼馴染の小さな体をすっぽりと包み込む。

 ああ、あああああああああ。


「ははは。何だよシズムくん、そのアホみたいなツラ」

「ち、ちょっと、もうっ……」

「もしかして、知らなかったのか?」


 ――俺と夏美が、付き合ってるってこと。


 耳の奥がガンガン鳴っている――こみ上げる、強烈な吐き気――

 まともに立っていられない。

 怒りが、悲しみが心の内側で猛り狂っている。

 降り注ぐ嘲笑が、軽蔑が、他人から与えられる何もかもが俺をズタズタにした。


 もういい――もう、たくさんだ。

 全てがどうでもいい。


「…………に…………ろ」

「あ?」


 俺は、引き攣った口を開き、言い放った。


「地獄に、堕ちろ」


 開いた上アゴと下アゴを、渾身の力で叩き降ろし――舌を、噛み切った。


 教室に悲鳴が響き渡る。

 痛みはない――が、全身から瞬く間に力が抜けていく。

 勝手に膝が折れて、仰向けに倒れ込んだ。


 霞む視界に、彼と幼馴染の姿が映り込んだ。

 彼女は口元を抑え、真っ青な顔のまま後ずさりをしている。

 一方、彼は尻餅を付き、小便を漏らしていた。 

 まさか、そこまでショックを受けるとは思っていなかったのだろう。



 ざまあみやがれ。

 頭の中で呟いた瞬間、俺の意識は闇に落ちた。




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― 新着の感想 ―
[気になる点] 主人公の死因ですが、良く聞く舌を噛んで死ぬ死に方なんですが、普通千切れた舌が気道に詰まり窒息死するのが、死因になります。千切れただけだと死ぬのは難しいかも。
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