2
スイ視点
2
──ふわぁあ。よく寝た。
目を開けると、そこは水の中だった。
水流もほとんどなく、寝心地が良かった。
水面からさほど深いところにいるわけではなさそうだ。
──どこだろ、ここ。
身体を少し動かしたら、違和感があった。
この違和感は、睡眠による治癒を自分で施したときのモノだ。
──怪我したんだっけ?
寝る前のことを思い出す。
あ、誰かに攻撃されたんだっけ。
予想もしていなかった攻撃で、意識が飛んだんだ。
意識を飛ばしながらも、自身に治癒をかけた自分を褒めたい。
──でも、どうして意識を飛ばしたのに、殺されなかったのだろう。
変だなあと首をひねりながら、水面に恐る恐る顔を出してみる。
目に飛び込んできたのは、多くのヒトたちの姿だった。
──こんなところに、この世界の知的住民はいたのか。
ひとりのヒトに気づかれた。
「おーい、あの間違って攻撃してしまった大きな生き物が起きたみたいだー!」
他のヒトたちもその声でこちらに気づいたようで、集まってくる。
敵意はなさそうだ。
ボクは洞窟内の陸の部分まで近づく。
そして、変幻する。
ヒトの姿に。
──もうこの姿をとることはないと思っていたけど。
内心で苦笑しながら、陸に上がる。
どこも変なところはないか、確かめる。
──今度は雌のヒトの姿になってみたけど、おかしいところはないかな。
龍は性別にこだわりを持っていないことが多い。どちらにもなれるからだ。
顔は数年間過ごしたときと同じような感じにしたから、おかしなところはないはずだ。
周りに集まってきていたヒトたちは、突然変幻して陸に上がってきたボクにびっくりしたようだ。
「おいおい。お前、変幻できるってことは、格が相当高い生き物だったんだな。って、……その顔っ!?」
横から話しかけられて、なにかに驚かれてしまった。
この顔がなにか悪かったのかな。
よくわからないが、挨拶をしておこう。
この男のヒトだけは他のヒトたちと違うみたいだ。ボクと同じで違う世界からでも来たのだろうか。
「こんにちはー。ボクの顔がなにかおかしいですかー?」
「え、ええええウソだろ?!」
「? なにがー?」
「おい、お前、俺のことわからないのかよ」
「はあ。あなただれ?」
「マジかよ……。その顔と喋り方、完全にお前が“スイ”だってことをすぐにわかったのに。……俺はお前の担任やってた男だよ」
ついこの前まで呼ばれてたボクの名前を言い当てられてしまった。
「……ああ。そういえばそんなのいたねー。センセーかあ。どおりで聞き覚えのある声だと思ったよー」
──カイ以外には特に興味はなかったから、すぐに気づけなかったよ。
「はあ。お前、変身魔法を使えるんだな。知らなかった」
「まあねー。すごいでしょー」
「ああ、すごい。すごいが、服を着てくれないか。今すぐに」
服を着るのを忘れていた。
ヒトという生き物は大変細かいなとずっと昔に思ったことを思い出す。
服を誰か持ってきてくれ、というセンセーの言葉で、ヒトたちは動き出した。簡単な白いワンピースをひとりの女の子が持ってきてくれた。
ありがとうと、微笑んで受け取ったら、怖がりながら渡してくれた女の子は照れたようにはにかんだ笑顔を見せてくれた。
ワンピースに着替えている間、センセーは話しかけてくる。ちなみに、下着類はもらってないので、いわゆるノーブラ&ノーパンだ。誰も気にしないなら、元々ヒトではない自分も特に気にしないので良い。
「てか、なんで女の姿なんだ? お前は男だったろ?」
「んーなんとなくかなー」
「な、なんとなくって……お前、女だったのか」
「んーどうだろうねー」
──女ではない。男でもない。龍に雄雌はない。強いて言えば、好きになったモノとつがいになれる性別がそれだ。
「ということは、お前、あの世界にいる間、ずっと変身魔法を使ってたのか? 男の姿になるために」
「んー? ふふ。しーらないっ! でもまあ、あそこでは男のほうが過ごしやすかったってことだけは言っておくー」
「……お前、本来はどっちの性別なんだ?」
「さあねーどっちだろうねー」
適当にごまかしておくのが癖になってしまっていた。
唯一であるあのヒト以外にはボクは軽い言葉使いで接していた。あまり深入りしてこないようにと。だって、面倒だから。どうせボクはすぐにいなくなってしまうのだから。
「それよりもーどうしてセンセーがこんなとこにいるのー?」
「ああ、それか。あいつらを卒業させるためだよ」
あいつらっていうのはきっとボクの元クラスメートたちのことだ。
卒業試験の合格条件は……ひとつの指定された世界をみんなで協力して救うことだったかな。
「んー? ふーん。で?」
「お前……もうわかってるんだろ。ここには怪物がいる。その怪物を倒さない限りは、この世界を救うことはできない。しかし、あいつらにはそれができない。だから担任の俺が手伝ってやってるんだ」
怪物……ああ、もしかして、あの子か。
この世界にボクの脅威になるような生き物がいないことを確かめたときに、一匹だけ、他の世界から来たと思われる巨大な水棲生物がいた。
あの子は、ボクを襲いに来ることはないだろうと勝手に判断して、放置することにしていた。
が、今の担任の話だと、あの子はヒトやこの世界に害をなすのだろう。
「へーそーかそーか。あの子がいると卒業できないのかー」
「ああ、お前も卒業できないぞ」
「えー? 僕はー卒業しないよー? だってあの学校やめたもーん」
「あ? やめた?」
「うん!使役獣も持ってない僕だからね! 無理だと悟ったんだー。で、こっちの海の世界が気に入ったからここに棲もうかと思ってさーそしたら、どかーんと事故にあっちゃって今ここにいるってワケ」
ボクがおどけて言うと、センセーは眉をひそめた。
「使役獣を持てないことは問題だが、他の方法で努力してお前も卒業したら良いじゃないか。今まではそうやってそれなりに努力してきただろ。あんなにクラスにも馴染んでたのに、今更学校をやめられるのかよ」
「んーふふふ。実際にやめてきちゃったからもう遅いよー。手続きはバッチリだもん」
「あの学校ってそんなに簡単に自主退学できたんだっけか……。まあいい。だが、学校をやめたんならなぜお前はここにいるんだ?」
「んーだからなんとなくだよー」
──余生を過ごすためなんて正直に言うワケがない。
ボクとセンセーの掛け合いをよく理解してないように不思議に見ているここの現地のヒトたちを見回す。
ひどい格好だ。
栄養状態もよくないようだ。
なぜこんな洞窟にいるんだろうか。
「なんでこんなとこにいるのー?」
はあ、と隣でため息をつかれる。なんだよ文句あるんですかセンセー。
「この世界の知的住民だ。さっき言った怪物のせいで、住んでいた街を追われて、この洞窟に隠れ住んでいるんだ」
「ふーん。大変だねー」
「お前な……はあ」
「センセーはお疲れだね!」
「ああ、お前のせいでな」
「ボクのー? あはは意味わかんなーい」
「お前の脳みその構造のほうが意味わかんねーよ」
失礼なセンセーである。
出来損ないの龍とはいっても、知力はそこそこある……はずだ。精神のほうの成長はイマイチだということは自覚しているが。
「んーそうかー。うんうん。わかった! ねえ、この世界のヒトたち、あなたたちにひとつの提案! センセーのいう“怪物”のあの子をボクに倒して欲しい? 倒したら、ボク、この世界に棲んでもいい?」
等価交換だ。
あの子を排除する代わりに棲家の提供。
ボクが棲めば、ヘタな生物は近寄ってこなくなるから、ここのヒトたちにとってみれば、良いことばかりであるともいえる。しかしそれは黙っていることにする。なぜなら、ボクはすぐに死ぬから。普通の龍なら何万年単位での安心を提供できるのに。
それに、ここの住民たちと、センセーは、どうやらボクが龍の一種であることに気づかないようだ。なら、言わなくても良い。
この洞窟にいるヒトたちのまとめ役っぽいヒトを見据える。
そのヒトは、
「……ええ、もしも倒せるのであれば、あの怪物を倒して欲しいです。そうすれば我々は元の街に戻り、元の生活を送ることができますから。だからぜひ頼みたい」
と言って頭を下げた。
横から声が飛んできた。
「おい、この世界に住むってどういうことだ?」
「センセー……今ボクはこのヒトとお話ししているんだよ? ……もー。まあいいや。うんわかった! じゃああの子を倒してくるよー! ……この世界にボクが棲むといっても、別にここのヒトたちには迷惑はかけないし、ほとんど交流も持たないつもりだから安心してね! 勝手に海を泳ぎ回って生きていくつもりだから。ここの世界が気に入ったんだボク! だってボクの大好きな海がたくさん広がっているんだもの。ね!」
まとめ役のヒトは、どこに感動したのか、涙を流し始めた。
「ああ、ここを気に入ってもらえるとは……ああ嬉しい。どうぞ、気の済むまでお住みになってください」
「ふふー。おっけーだよー」
──契約成立かな。
「おい、お前、そんな簡単に……あの怪物を倒せる自信あるのか?」
──横やりがうるさいなあ。
「あの子を倒すのは、ちょっとがんばっちゃえばできると思うよー。それよりもー、ボクがほんとに倒しちゃっていいのー? だって、この世界を救うのがボクの元クラスメートたちの卒業試験なんじゃないの?」
──ボクの唯一に迷惑がかかるのだけはボクは望まない。
──ボクが気にかけるのは大切な大切なボクの唯一だけ。
そんなことも理解してなかったのに話しを進めていたのか、というような表情を浮かべながら、センセーは答えた。
「ああ、あの怪物はあいつらには荷が重いからな。別にいいんだよ。あいつらの今の力では怪物を倒せないだろうから、担任の俺がわざわざこうやってここに来て対応を早めようとしてたんだ。俺にも少し難しくてな、被害ゼロで解決できる問題じゃなかったから、お前が対応できるというなら任せたい。クラスメートのやつらは俺らが怪物を倒した後の復興のほうを手助けすれば、卒業試験に合格できるから心配無用だ」
「ふーん。センセーは弱いんだー」
「はあああ? 俺は弱かねーよ! ただ戦闘特化してないだけであってな。クラスのあいつらも本格的に戦えるやつらは少ないんだ。というか、お前、別に退学しなくても、あの怪物を倒すだけで世界救済と見なされてあいつらと一緒に卒業できるんじゃないか?」
「へへーそーかなー? ボクは変身? しないと戦えないしー、元クラスメートたちにとってみれば、ボクは異常なモノになっちゃうじゃんー。……カイにそんなの見られるのなんてイヤだ」
最後のほうを小声で言ってみたが、センセーにも聞こえてしまったようだ。
やはり地獄耳のようだ。この独身行き遅れやろうは。
「お前、………カイととても仲が良いと認識してたけど、もしかして、お前はカイのことを……」
余計なことを言い出すセンセーの口を指でつまんだ。
うぐぐっと言いながら、センセーは頭を叩いてきた。
叩き返す。
睨み合う。
「はあ。センセーって大人げないよね。そんなだから恋人のひとつもできないんじゃないのー」
「余計なお世話だ。……くそ、こいつといると調子が狂う」
「あはははー。じゃあ、さっそくあの子……みんなのいう怪物ちゃんと逢ってくるねー。またね、センセー」
「え、今からか? 大丈夫か? お前、俺とここの住民たちで間違って攻撃してしまって怪我してさっきまで寝てただろ? 怪我はもういいのか? お腹はへってないのか? 戦えるのか?」
急にボクの心配をしてくるこのセンセーという生きモノは面倒くさい。
「大丈夫だよー。怪我もすっかり治ったし、ボクは海の中にいればご飯には困らないからねー。じゃあサクッと行ってくるー」
センセーと同じく心配そうに見ている住民たちにウィンクをしてから、背を向ける。ひらひらと手をセンセーにおざなりに後ろ向きで振りながら、回復するまで寝ていた海の中に入っていく。
変幻をといて、水龍の姿に戻る。借りて着ていた服は陸に置いていく。
洞窟から出て行くと、そこはもう一面の海だった。
青々として底は真っ暗、水面は真っ白な海の世界。
水面からさほど深くないところを悠々と泳ぐ。
海の中に陽の光が差し込んで時折、水龍の細長い身体に反射してキラキラと光の粒になる。
──泳ぐのは楽しいなあ。ヒトの姿だと自由には泳げなかったのが少し不満だったんだよね。
──……ボクの唯一と過ごす時間とは比べものにならない海のモクズのような不満だったけど。
異界から来てしまったために異物である怪物と呼ばれてしまっているあの子を探す。
あの子もかわいそうに。
ボクなんかに今から殺されてしまうのだから。
あの子はきっとここの世界に望んで来たワケではないだろう。
ふとした拍子に世界を渡ってしまったのだろう。
よくあることだ。
龍はそんなかわいそうな存在を助けることができる種族でもある。
龍が喰わえば、そのかわいそうな存在は、元の世界へと戻ることができる。魂となって、元の世界で新たな身体を手に入れることができるのだ。
しかし、龍は求められなければその存在を救済しない。
その世界に来たということはなんらかの意義、なすべきことがあると見なされているからだ。
けれども現実はいつも残酷だ。
そのような不運なかわいそうな存在は渡ってしまった世界で異物となってしまうことが多い。
ボクがかわいそう、かわいそう、というのはそのためだ。
──ああ、でもそのかわいそうなあの子とボクは似ているかもしれない。
あの子はなにも悪くないのに、世界を渡ってしまったために、ボクに喰われてしまう。
ボクはなにも悪くないのに、出来損ないとして生まれてしまったために、生きる希望である唯一と別れて後はただ死にいくのみである。
「似たモノ同士、待つのは死のみ、か」
感覚を鋭くさせる。
海の中を自身の体のように把握していく。
大量の情報が一気に頭の中に入ってくる。
その濁流の中、あの子の情報だけを探す。
いた。
あの子は、ここから約千キロ離れたところにいる。
水龍の姿のボクなら数分で着く距離だ。
あの子のいるほうへと泳ぐ。
さて、あの子をどうやって喰うか、考えようかな。
この世界の住民たちにも、センセーにもあんな風に簡単に倒せると言ってしまったが、それはボクが普通の龍だった場合の話だ。
ボクは出来損ないだ。龍としてはその力も弱い。正直、センセーたちがてこずるようなあの子をサクッとボクが倒せるとは思えない。
だけど、だけどボクはやる。
この身は別にどうなってもいい。
だって、ボクにはもう死しか待っていないのだから。
つがいを得られなかった龍は気が狂ってしまうと云われている。
世界を渡って棲み家を転々とする龍はその長い寿命の一生で一度だけ恋をする。その恋が実らなければ、その身は崩れ、光になってしまうと云う。普通は。
──ボクは出来損ないだから。
つがいを得ても得られなくとも後少しで死ぬのは変わらない。恋を諦めても、恋が成就しても、普通の龍として生きることは難しい。
──笑っちゃうよね。ボクは生まれ損なったから。生きる意味はないんだ。そんなボクを受け入れてくれる世界も、ない。
──つがいを見つけておきながら、それを諦められる龍の話なんて聞いたことがない。でも、出来損ないのボクはそれができる。できてしまった。ボクの唯一を手放してしまった。
──カイ……。逢いたいよ、キミに。
前方に大きな生物が見えてきた。
あの子だ。
センセーたちのいう怪物。
ただのかわいそうな存在。
体は黄金色をしている。たくさんの足と体節。大きさはボクの2.5倍。
──なんといったっけ……? ああ、ムカデだ。ムカデという生き物を大きくしたような感じ。
その様は怪物と呼ばれるにふさわしい。ヒトにはさぞ恐ろしい生き物に見えるだろう。
「こんにちは。寝ているところ失礼します。ボクはあなたを喰べに来ました。この世界のヒトたちから要望を受けてしまったので、ボクはあなたを倒します」
ボクの言葉は無事に届いたようだ。龍の言葉はどんな生き物にも伝わる。
怪物は起き上がる。ボクを見とめると、いきなり攻撃してきた。
──あーこれは毒かな……。くらったらまずいだろうなあ。
水を操って膜を張る。
その膜に衝撃がくる。
──防ぐので手一杯かも……ははは。
毒が効かなかったと見たその子はその巨大な体を使って突撃してくる。
──あははなるほどねー。これで津波が発生して、この世界のヒトは街にいられなくなったのかな。
少し暴れるだけで大災害を起こしてしまう、かわいそうな子。
さぞかしこの世界は棲みにくいだろう。
元はもっと違う世界で悠々と生きていられただろうに。
かわいそう。
そんなあなたをボクが救ってあげましょう。
全力で水を操る。
水は味方だ。ボクの味方。
水龍の力は水を自由自在に操ること。寝ていても無意識に使えるらしい。
出来損ないのボクは神経を集中させないと使えない。
そして、このかわいそうな子も水を操ることができるらしい。
ボクとこの子とどっちが強いか。
ボクは水流を作り出す。
この子がぶつかってくるのをその水流で包み込む。
──よし、掴んだ。
ぐるぐるに水で縛る。
抜け出そうともがいている。
ボクは慎重に水を操る。
神経を張り巡らせて、一部のスキもないように。
力尽くでは抜け出せないとわかったのか、水を吸い込み始めた。百個もありそうなその口で。
──ああ、やばいかもなあ。
そう思った瞬間。
衝撃がボクの身体を襲う。
その濁流に押し飛ばされる。
近くの岩礁は砕け散り、ボクは海底に叩きつけられる。
──痛いなあ。ここが浅瀬でよかった。よかったのか? まあいいや。何万マイルも下に行かなくてよかったのだから、たぶんよかった。
水を手繰る。
──よしよし、まだ拘束は解けてないみたいだ。
グッと身体に力を入れて、海底から勢いよくあの子の元に突進する。
その勢いのまま、喉元に喰らい付く。
ジタバタと暴れられる。
絶対に離さないようにする。
これが離れてしまったらボクは負けてしまうだろう。死んでしまうだろうから。
──あーあ。今この世界はきっと大災害が起こっているだろうね。
この子が動くたびにその衝撃が海に伝わっていくのがわかる。
海の中の環境は壊され、弱いモノはその衝撃だけで死ぬ。数少ない陸にも津波となってこれまでの環境は壊れてしまう。
この世界のヒトたちがあんな洞窟に隠れて身を寄せ合ってしまうのも納得できる。
この子はこの世界では、異物でしかない。
だから、ボクはあなたを離さない。喰ってあげる。こんな世界とおさらばさせてあげる。
元の世界へとお帰りなさい。
喰らい付いた喉元からこの子の内部を探る。
あった。
魂を見つける。
この子を形作っているモノ。
その魂をボクは喰べる。
ごめん。ごめんね。
痛いだろうね。
苦しいだろうね。
でもこれで、これで終わりだから。
我慢して。
お願い。
あなたは元の世界の水に還ることがこれでできるんだ。
龍の願いを込めながら、喰らう。
悲痛な咆哮が響き渡る。
この世界のモノには聞こえない、この子の声なき声。
あなたの声を聞いてくれる世界へ、さあ、お帰り。
魂を全て喰らい尽くした。
内部から破壊されてしまった、かわいそうな怪物の躯は力を喪う。
崩れ落ちていくその躯。
この世界のモノではないからか、細かい細かい粒へとなっていく。
喰った魂はボクの身体を通ってから、あの子の世界へと渡っていった。
無事に終わった。
「ははは……はは……はぁ。終わり。終わったよ。ボクは勝ったんだ。……嬉しくないなあ。嬉しくないよ。……悲しいよ。嫌だよ。ごめん、ごめんね。こんなボクが、ボクなんかが。……」
水の操りを解く。
後悔はしていない。
しかし、胸はいっぱいいっぱいで、はち切れんばかりに、なにかが辛かった。
かわいそうな存在を救うとは言っても、それはひとつの存在を殺すことと違いはない。
「ボクは龍になりたくなかった。でも龍になりたかった。龍になり損なったボクは……なにモノ?」
龍としての仕事をこなせた。
それはいい。たぶん、良いことだ。
──でも、ボクは、ボクは……。
センセーたちのいた洞窟に戻ることにした。
報告をして、そして今度こそ隠居生活を手に入れよう。
あの洞窟は居心地が良かった。あそこに棲まわせてもらうのもいいかもしれない。
センセーには釘を刺しておかないといけない。ボクのことは内緒にするようにって。ボクがいること、あの子を倒したことを元クラスメートたちとカイには絶対に知らせないように。
すぐに洞窟に着いた。この洞窟は入り口が複雑で、上手く津波なんかがきても影響がないような構造になっている。自然は偉大だ。ここに避難しているヒトたちはそれを利用して身の安全を確保している。
恐る恐る洞窟に入っていく。今度はいきなり攻撃されないよね?
何の衝撃もこなかった。良かった。
そのまま洞窟の奥に進んでいく。
陸まで着くと、変幻する。
またヒトの雌の姿に。
「やあ! みんな元気ー? さっきぶりだねー」
笑顔のようなものを浮かべる。浮かべたつもりだった。
ぐいっと腕を引かれる。
熱いなにかに包み込まれる。
なんだ。なんだ。
少々パニックに陥っていると、上から声が降ってくる。
「スイ、お前、なんで泣いてんだ?」
センセーだ。
センセーがボクをなぜか抱きしめている。
「ボクが? 泣いてる? ウソだー」
──ウソだ。ウソだ。ウソだ。
──ボクがボクの唯一以外のことで涙を流すはずはない。
だが、抱きしめられてボクの顔が押し付けられているところのセンセーの服がじわじわと濡れて湿っていっているのがわかる。
なんだろうか、これは。
「……いみわかんない」
小さく小さく呟く。
声が震えていたのもきっとなにかの間違いだ。
「俺のほうが意味がわからん。どうしたんだ? なにがあった? あのお前がそんな風に泣くなんて、初めて見たぞ。というか、また大きな地震と津波があったらしく、街が壊れたようだ。この洞窟の中にいたヒトたちは無事だったが、なにがあったんだ?」
センセーの体を押しのける。
手で涙を拭う。
──ああ、本当にボクは涙を流していたようだ。
じわりと視界が歪んでいる。
水龍の姿のときはそんなことなかったのに。
いや、水龍のときももしかして涙を流していたのか?
海の中だからただ自分が泣いていることに気がつかなかったのだろうか。涙は海に溶けてしまったのだろうか。
「あの……これ」
女の子が手に白いワンピースを差し出してきた。
前にワンピースを持ってきてくれた子と同じ子だ。
「……ありがとう」
服を受け取ってすぐに着る。
簡易なワンピースなので、上からかぶるだけで良い。
ここを締めているまとめ役のヒトを目で探す。
すぐに見つかる。
「倒したよ。……あの子を……怪物をボクが倒してきたよー。今回あった津波とかはボクとあの子の戦いで起こったモノだから、申し訳ないねー。静かに戦うのはちょっと無理だったかなーってね。ね、もうあなたたちヒトはあの子を恐れて隠れ住まなくてよくなったよー。約束通りにね。ボクはあの子を倒したので、この世界にボクも棲まわせてもらいます。でさー、ここの洞窟を寝床にしていいー?」
おどけるように言う。
ゆるい口調も敬語もごっちゃ混ぜだ。
伝わればいい。
あの子がもうこの世界にいないこと。ボクが棲むことが伝われば、なんでもいい。
なぜ自分が泣いてるのかなんて、ボクでさえわからないのだから、気にしなくていい。
ただ、今はもう寝たい。
疲れたのかもしれない。
話をさっさと終わらせて、余生を静かに送りたい。
ヒトと関わるのはもう今回で終わりにしたい。
ヒトの姿をとるのも今回で終わりにしよう。
涙なんて自分が流しているのを知りたくなかった。
だから、今はもう寝かせて。
「ほ、本当ですか?! あの怪物を倒したのですか! 我々はもう怯えなくていいのですか?」
ヒトたちはみな一様に驚いて目を見開いている。
「うん。そうだよー」
ボクのその言葉を皮切りに、ヒトたちは歓声を上げ始めた。
隣り合ったヒトたちと抱き合って喜びを分かち合っている。
大きな声で嬉しそうだ。
ボクに服を渡してくれた女の子も飛び上がって喜んでいる。
ここのまとめ役のヒトはボクの手を取ってぶんぶんと振りながら、嬉し涙を流している。
──ああ、こんなにみんなが喜んでくれているんだ。悲しい涙なんて止まってしまえ。
お祝いだーっと騒いでいるここに、悲しみの涙は似合わない。
早く止まれ。止まって。
そう思えば思うほどボロボロと水が目からこぼれ落ちていく。
なんなんだろうこれは。
まとめ役のヒトの手が離された。センセーの手によって。
センセーはボクをまた引っ張る。
じっと睨むと、センセーはまたボクを抱きしめた。
なんなんだ。どうしたんだこのセンセーは。
「どういうつもり?」
出したこともないような低い声が自分から出たことに戸惑う。
「どうして、お前は泣いているんだ?」
周りの喧騒に紛れるくらい小さな声で訊いてくる。
「ボクも知らないよー」
上手く表情が作れない。
ヒトは表情筋を動かすのが上手な生きモノではなかったのか。
「本当に倒したのか? あの怪物を、お前が」
「うん。まあね。センセーみたくボクは弱くないから」
「そうか、まあ後で確認しに行くからそれはいいんだが、……怪我はないのか?」
「怪我?」
──怪我か……。そういえばそんなもの気にしてなかったなあ。身体の節々が痛みを訴えている気もする。
変幻しても怪我は治らない。むしろ、悪化する。
変幻した姿の表面にはその怪我は現れないが、内部ダメージに変わってしまう。
その怪我がひどければもちろん、変幻することによって悪化して、最悪死ぬ。
──まあ、ボクの今回の怪我はそこまでひどくない。治癒をかけて一晩寝れば治るくらいだ。
「もしかしてっ、お前、怪我したのに変身魔法使って元の姿に戻ったのか?! それは、危険で禁止されていることだったはずだ! まさか、だから泣いているのか? 今すぐ怪我したときと同じ姿になれ! ほら、早く!」
耳元で叫ぶように慌てて言われる。
うるさいなあ。
ほら、あんなに喜びを分かち合って楽しそうにしていたヒトたちがこっちを見ているじゃないか。
そんな水を差すようなことを大きな声で言わなくていいじゃない。
ボクは大丈夫だ。涙以外は大丈夫だから。
笑顔が上手く作れないのも、よくわからないけど。大丈夫だから。
喜ぶのを続けてよ。
ボクの情けない姿を見ないでよ。
そんな風に心配されるようなボクじゃないのだから。
「そ、そうだったのですか?! スイ様はお怪我をしていてご無理までなされているのですか?!」
まとめ役のヒトが声を張り上げた。
そんなことないよ。ただ今は少し眠いかな。
というか、いつの間に、ボクが名乗ってたスイという名前を知ったの? ああ、センセーに教えてもらったのか。
「そうなの? 大丈夫? 無理はダメだよ! あたしが看病するよ! スイさま!」
服をくれた女の子だ。大きなかわいいお目々でこっちを見つめてくる。
いいや、看病はいらないよ。一晩寝れば元気になるからね。
それに、もう今回でヒトと関わるのはやめようと思ったんだ。だからいらないよ。
「スイ、お前が良ければあっちの世界に一旦戻ろう。ここじゃ、満足な治療は受けられないだろうから……」
センセーの言葉を遮る。
「ううん。いらない。行かない。この世界に棲むことをボクは決めたんだ。もう絶対にあの世界には行かない。怪我は大したことないよ。一晩寝れば治るから。ボクに服を渡してくれたかわいいお嬢さんも、ありがとう。その親切心だけもらうね」
ぐるりと見渡す。
静かにこちらを伺っているヒトたちの顔を見る。
喜ぶのをやめて、救ってくれたボクの心配をし始めている。
そんなことしなくていいのに。
「じゃあ、もう、逢うことはないと思う。バイバイ。復興がんばってね。また元の生活に戻るといいね。センセーも、今日でサヨウナラだ。もうボクのことは忘れていいよ。あ、そうだ、センセー、ボクの元クラスメートたちには絶対に、ボクがどこにいて、今日なにをしたのかは内緒にしてねー。お願いだよ」
誰もなにも言わないことをいいことに海の中に帰っていく。
水の中に入って変幻を解く。
服はまた陸に置いておく。
今度こそ、サヨウナラ。
洞窟内の水の底にそのまま沈み、治癒をかけて、目をつむる。
――――




