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その36


「見た目、シワシワのボロボロの巻」


 全員がアップルビーを取り巻いた。


「アップルビーちゃん、アップルビーちゃん」


 鐘馬の呼びかけに答えることもなく、アップルビーはまったく動かない。


「なんにしても、ここでゆっくりしてるヒマはなさそうね。これからどうするの? ここからどこへ行くの?」千歳が一同に聞く。


 効太郎は無言でふわりと立ち上がると、何かの匂いを嗅ぎつけたようにあたりをウロウロしはじめた。


「何してんのよ」


「……温泉の匂いだ」


 鐘馬がアップルビーから顔を上げ「ほんとですか」


「うん。僕の温泉鼻はどうやら秘境の野生に晒されているうちにだんだん研ぎすまされてきたような気がする」


「……どうだか」


 千歳はまったく頼りにしていないようだった。そのかわりに鐘馬が効太郎を盛り上げようとする。


「やったじゃないですか効太郎さん」


「でも弱い」


「何がですか」


「温泉臭が」


「弱いって、この近くじゃないっていう意味ですか」


「わからない。うん。こっちのほうから匂いがするぞ」


 そういうと効太郎は食べ物の匂いにつられてフラフラ歩く大食漢のごとく、ひとりで眼前の巨岩を上りはじめた。岩を越えて谷底をさらに前に進むつもりだ。


 千歳がため息をつくと、


「……ついていくしかなさそうね」


「もう今は効太郎さんの温泉鼻を頼りにするしかありませんからね」


 鐘馬はそういうと、率先してアップルビーを背負う千歳を気遣わしそうに見て、


「いつでも代わりますから遠慮せずにいってください」


「ありがとう。でもいいの。大丈夫だから」


 と、効太郎に続くべく千歳は背中のアップルビーとともに巨岩を登った。


「決して無理しないでください」


「ここは岩だらけで歩きにくいの巻」


 鐘馬と塵芥もあとに続く。


 こうして一同は峡谷の底で巨岩群を登ったり降りたり登ったり降りたりをひたすら繰り返し、遅々として前に進まない状況を呪いつつも不承不承現実を受け入れ、少しずつ少しずつ前へ前へと進んでいった。


 気がつくと、いつのまにか片側の絶壁沿いに道があるのを発見した。

 岩盤の一部が崖から斜め直線的にズレて飛び出たような格好になっていて、それがうまい具合に天然の坂道を形成していたのだ。


 坂道は絶壁の上まで続いている。

 先頭の効太郎は巨岩群から離れ、迷わずに絶壁の側面にできたその自然の岩道を上りはじめた。


「ひょっとして、温泉の匂いがこの上からするんですか」 そういいながら鐘馬が効太郎のあとについてきた。


「うん。どうやらこの絶壁の向こう側だね、秘湯は」


「ほんとですか。よかった」


「……どうだかね」アップルビーを背にした千歳はまだ懐疑的だが、とりあえず鐘馬のあとに続いた。


「拙者は疲れたの巻」


 塵芥もぐったりとそのあとに続く。 


「ずいぶん遠回りしましたけど、ようやくこの深い谷を越えられそうですね」


「ああ。もう勇者とか関係なく湯につかりたいもんだよなあ」


「そうですよねえ」


「生き返るだろうなあ。今温泉に入れば」


「でしょうねえ」


 ふたりはウットリした顔つきになっている。


「これであんたの温泉鼻が間違ってたらぶち殺すからね」


 うしろから千歳が効太郎に警告した。


「千歳殿って……、女性にょしょうにしてはやけにガラが悪いの巻」


 温泉忍者に妙にシリアスな口調でそういわれた千歳は思わず顔を赤くし、バツが悪くなったのかそれきり黙ってしまった。


 その背中では、相変わらずアップルビーが両目を閉じて千歳にもたれかかっていた。



      ×     ×     ×



「あれっ」


 ようやく断崖の上までやって来た効太郎は、森の中で立ち止まるとすっとんきょうな声をあげ、首を傾げた。




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