その34
「あたりまえでしょ。何考えてんのよ」
「塵芥さん、あんたウソでも忍者だったよね」効太郎が塵芥に聞く。
「ウソじゃなくても拙者は温泉忍者の巻。塵芥と書いて塵芥と申すの巻。どうぞよろしくの巻」
「忍者なら手裏剣持ってるよね。ひとつあの蛸に投げてくれないかなあ」
「えっ、の巻。どういうことかの巻」
「ひょっとして、あの蛸を挑発でもするんですか」鐘馬が聞いた。
「僕の予想では、あの蛸、きっと空を飛ぶよ。怒ってこっちに飛んできたところにサッと飛び移るんだ」
「ハハハハ」
いかにもわざとらしい笑い声をあげた千歳がスッとシリアスな顔に戻ると、
「それよりもう戻ろうよ。こんなとこでじっとしてたって埒があかないよ。元の場所まで戻って別のルートを探そうよ。このままじゃ本格的にアップルビーちゃんの命が危ないよ」
「いや、彼女はもうとっくに死んでるんじゃないかの巻」
千歳の背中でずっと目を閉じたままのアップルビーを見下ろしながら塵芥がいう。
そんな塵芥をにらみ上げると、
「生きてるよね、アップルビー」
千歳はもともと最初から親友ででもあったかのように背中のアップルビーにことさら明るい声をかけた。
が、相変わらず彼女からはなんの反応もない。
「僕に手裏剣を貸してくれないかなあ。あの蛸に投げるから」
しつこく効太郎が塵芥にいった。
「まだその話かの巻。丁重にお断り申し上げるの巻」
「そう。じゃ別の手を考えよう」
「別の手も何もないの巻。ともあれあの大きな図体の蛸にはかかわらないほうがいいの巻」
「それっ」
「あっ、効太郎。今何投げたの?」
「いや、ここに木の実がなってたから、それを投げたんだ」
「蛸にですか?」
「蛸に」
「当たったのかどうかここからじゃよくわからないの巻」
「あっ、見て」
投げた木の実とやらが命中したのか、しばらくまったく動きを見せなかった巨大蛸が、ふたたびたくさんの足をぬらぬら動かせたかと思うと、いきなりふたつの凶悪な目を開き、いかにも軟体的な動きで頭部を不定形に伸縮させるのに伴って目の位置を頭のてっぺんに動かすと、当のふたつの目玉が明らかにこちらを睨んだ。
「ただの蛸じゃないじゃない……」
「蛸に似た怪物の巻。完全に邪悪なクリーチャーの巻」
「ただの蛸なら崖に貼りついたりしないよ。苔か何かを舐めてたのかな」
「確かにここはワンダーランドですね」
「襲ってくるよ!」
巨大蛸は四肢を、いや八本の足を伸ばして突っ張ったかと思うと、いきなり崖を蹴ってこちらに飛んできた。
広げたそれぞれの足のあいだに水かきのようなものがついている。
モモンガやムササビのようにそれで空を飛ぶみたいだった。
「キャアアアアッ!」
千歳が叫んだ。
巨大蛸は宙を舞いながら木の先っぽにしがみつく効太郎たちの脇ギリギリをかすめていき、峡谷を横断すると向かいの崖に貼りついた。
一同はしばらく声も出ず、ただただ呆気に取られているのみだった。
「あんなのにどうやって飛び移んのよ!」
興奮しながら千歳は怒鳴った。
「その通りの巻。たとえ飛び移れたとしてもそのあとどうするの巻」
塵芥もすっかり冷静さを失っているように見える。
「でも、あの蛸が空を飛べるってところは当たりましたよ。よく飛ぶってわかりましたね。効太郎さん、さすがです」
「な。そんな感じに見えたんだ」
「自慢すんな!」
「また来るの巻!」
巨大な影がさし、蛸がこちらに飛んできた。
今度はドスンという大きな衝撃があって、巨木が揺れた。蛸がぶつかったのだ。
「うわぁああああっ!」
「落ちるぅの巻!」
千歳と塵芥が絶叫し、一同は中空に投げ出された。
次の瞬間、全員が一絡げに蛸の足に絡め取られていた。
巨大蛸は元の絶壁に貼りついた。
助かったと感じる余裕もなく、虜になった効太郎たちは蛸の大きな目玉に間近からにらみつけられた。
しばらくのあいだ正体を探られるかのように蛸の険しい目つきでじーっと見られていた四人……アップルビーを含めると五人……は、ふと、蛸の視線から怒りの光が去ったのを感じた。
心なしか、蛸の表情が柔和になったように見える。
「……?」




