その29
次に千歳は表情をやわらげると金魚に向かって、
「わかるでしょ。あんたがあたしたちと一緒になって無理に岩塔に登ったって意味ないんだよ。あたしたちはできるだけ早くてっぺんまで行ってお湯につかって温泉玉を手に入れたらすぐに戻ってくるから、お願いだからそのあいだあんたはここで待っててよ」
「……はい」消沈した様子の金魚は、すっかり首をうなだれてしまった。
「大丈夫だよ、僕たちはずっと仲間だ」効太郎が両手で金魚の肩をポンと叩いた。
金魚は顔を上げると、その表情に少し光が射したように見えた。「仲間……」
「そうさ、きみは同志だよ。っちゅうか、きみの名前、まだ聞いてなかったよね。失礼なこというけど、名前ってあるの? もしあるんなら教えてくれない?」
「名前? 守り神にそんなのあるわけないだろ」吐き捨てるように千歳がいった。
「あります」金魚は力強くいった。「わたしの名前は……アップルビーです」
「はあ?」千歳が眉をしかめた。
「そうか、いい名前だね」効太郎がそういうと、アップルビーは照れたようにモジモジした。
「なんで舶来の名前なんだよ……」千歳が聞こえないようにひとりでブツブツ悪態をついている。
「じゃアップルビー、これからもよろしくね」効太郎が手を差し出すと、恥ずかしげにアップルビーも胸ビレを差し出し、互いに固い握手をかわした。
「は、はい、よろしくお願いします!」
「アップルビーちゃん、よろしくね」
「よろしくお願いします!」鐘馬とも固い握手をかわしたアップルビーは、次に千歳にもヒレを差し出すが、千歳は彼女の視線を避けるように岩塔の壁面に近寄ると、
「さあ、そろそろ行くよ! もうほんとにこれ以上時間をムダにできないんだから!」
ひとりでカリカリしながらふたたび岩壁をよじ登ろうとしはじめた。
すると、不意にどこからか風を切るような音が聞こえてきて、それが次第に大きくなってくると、千歳の真上に影ができ、思わず見上げると岩塔の上から何かが降ってきた。
「あっ!」
千歳は自分の頭を両手でかばうようにして目を固く閉じた。
静寂があり、ゆっくり両目を開いて振り向く。
そこには新たな人物が立っていた。
黒ずくめだ。頭巾で目の部分以外を隠している。
人間のかたちをしている。
忍者の格好だった。
「率爾ながら申し上げるの巻。この岩塔を登る必要はないの巻」
男の声だ。続けて、
「とっくに温泉玉は取られてしまっているの巻。したがってここをてっぺんまで登って『藍の湯』まで行ってもそこには凍ったお湯しかないの巻」
「また変なのが出てきましたね」鐘馬がこっそり効太郎に耳打ちした。
「……そうだな」そして忍者の出で立ちをした男に話しかける。「煉獄一族の手の者か」
「ネガティヴ。違うの巻」
「じゃ誰?」
「この上から降りてきたということは……岩塔のてっぺんの『藍の湯』の守り神の方でしょうか」
「さよう。『藍の湯』の守り神の巻。拙者は温泉忍者の巻」
「見たままだな」
「さよう。見たままの巻」
「ちょっと」ズイと前に出てきた千歳が忍者に絡む。「守り神ってこんなのばっかりなの? 何よ温泉忍者って」
「温泉忍者は温泉忍者の巻。温泉を守る忍者の巻」
「今、温泉玉を取られたっていってましたよね。もうここも煉獄一味がとっくの昔にここまで来たあとだったんですか」
「なんだ、出遅れも出遅れ、お話にならないくらい出遅れてるじゃないか僕たち」
「出遅れチアヌスですね」
「ってことはあんたも『藍の湯』を守れなかったってことだよね」千歳がおもいきり非難の視線を温泉忍者に突き刺した。「守り神のくせに」
「いやあ、面目ないの巻」忍者が照れ笑い的に目を細めて頭を掻いた。
「で、あなたはわざわざ私たちに注意しにここまで飛び降りてきてくれたのですか」鐘馬が温泉忍者に聞く。
「その通りの巻。一生懸命岩塔を登ってくる貴殿らを見て気の毒になったの巻」
「そりゃどうもありがとう」効太郎が礼をいった。「温泉玉を無理やり持ってったのはどんな奴らだったの?」
「きゃつらは煉獄一族だと名乗っていたの巻。さんざん『藍の湯』につかってから玉を持ってったの巻。多勢に無勢、取り返すことができなかったの巻。貴殿らも温泉玉が目的だったの巻?」
「正確には違うよ。僕たちは七つの秘湯めぐりをしたかっただけなんだ。ただ煉獄一族に先を越されたくないんだ」
「は……もうこれで世界は終わりだね」
脱力したように千歳は膝を折り、その場に座り込んでしまった。




