その27
下から叫び声が聞こえてきた。
ギョッとして千歳が見下ろすと、もうどこにも金魚の姿がなかった。
「……あのバカ。だから連れてきたくなかったんだ」
うんざりといった表情の千歳は、いったん上を見上げたが、何が起こったのかと遙か上方でこちらを見下ろしている効太郎と鐘馬の姿を認めると、
「ああっ、もう!」
と怒りを爆発させ、せっかくここまで登ってきた岩塔を、しかたなく降りていきはじめた。
× × ×
「大丈夫?」
温泉金魚は岩塔の途中にいた。
岩の出っぱりを両方の胸ビレで掴み、必死にしがみついていた。
体ぜんたいがぶらーんとぶら下がっている感じだ。
「……ごめんなさい。やっぱり私、足手まといになっちゃいました」
おちょぼ口をパクパクさせながら、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「今引っ張り上げるからしっかり掴まってて」
「本当にごめんなさい」
「もういいって」ウザそうに千歳は片手を振った。そうして金魚の胸ビレを右手で掴んでグイッと自分の方に引き寄せようとした。
「ああっ、痛いです痛いです痛いです」
「うるさいな! ちょっとくらいガマンしろよ!」
でも確かにこれ以上力を入れると薄いヒレがピリッと破れてしまいそうだ。
「クソッ、ダメだ」千歳は思わず自分の手を離した。
「ごめんなさい……」
「何回もあやまるな」
「これでまた時間のロスになっちゃいましたね」
「だからそんなことはいいから」険しい表情でそういいながら、なんとか金魚の位置に並び、さらにその下に降りていき、今度は下から片手で金魚の尻を押し上げようとした。
「ほら、そこに足を引っかけられる窪みがあるでしょ。あ、ヒレか」
「あああああああ、そこくすぐったいですくすぐったいですアハハハハ」
金魚は身をよじって尾ビレをパサパサと動かし千歳の顔をフワフワ刺激した。
「コラやめろあぶないぞ」
「だって、だってアハハハハ」
尾ビレは千歳の鼻をくすぐり、思わずくしゃみが出そうになる。
ヘ……ヘ……ヘ……ヘーックショイ!
「うわぁぁぁーーーーっ!」
ふたりとも地上に向かって落下していった。
× × ×
「……お、気がついたようだね」
目をさますと効太郎が上から覗き込んでいる。
千歳はハッとなって上体を起こすと、そこは岩塔の根っこに当たる場所だった。
一帯はなだらかな斜面になっていて、一面に灌木で覆われているので比較的見通しはいいほうだ。四方を山の稜線に取り巻かれているのがよくわかる。
気を失っていた千歳を心配して、効太郎と鐘馬はせっかく途中まで登った岩塔から降りてきたのだった。灌木がクッションになってくれたおかげか、軽い打ち身だけですんだようだった。
でも、金魚は……。
千歳は周囲をキョロキョロすると、自分のすぐかたわらに温泉金魚がグッタリと体を横たえているのを見つけた。気配を感じなかったと思ったら、意識をなくしたままの状態のようだった。おちょぼ口は半開き、目は白目を剥いており、ピクリとも動かなかった。
「彼女は……どうなったの」
「わかりません」鐘馬は言葉少なに首を振った。
「だから……」千歳はしだいに激高した。「だからいったじゃない! 足手まといになるだけだって。いえそんなことはこの際どうでもいい。彼女どうすんのよ! 連れていくったのはあんたよ効太郎! こんなことになって責任取れんの!」
「さっきまで意識はあったんだけど……」効太郎は首をかしげる。
「ずっと……うわごとをいってました」消沈した顔の鐘馬がいった。
「なんていってたのよ!」
「ごめんなさい、って……」
「く……」
千歳は地面に横たわっている金魚を両手で揺すり、
「死なないでよ! あやまらなくていいから起きてよ! あたしたちを秘湯に案内してくれるんでしょ! あんたがいなかったらあたしたちはお手上げなんだよ。この岩の塔のてっぺんに『藍の湯』があるなんて、あたしたちだけじゃ絶対わかりっこなかったよ。この場所に来ることだってなかったよ。ううんそんなこともうどうでもいい。もう秘湯なんかどうでもいい。地上の世界なんかいくつでも煉獄一族にくれてやる! だから、だからせめてあんただけは死なないで! お願いだよ……」
「千歳……本気……?」
効太郎は呆気に取られた顔になった。鐘馬も同じだ。




