その20
「何? いい考えでも浮かんだの?」
「バスを使たら『緑の湯』のある毛剃の滝まですぐじゃ」
「だからそれは」
「よっしゃ、そのお嬢ちゃんの命、わしが預かった」
「どうするんですか」
しかし声はそれきり聞こえてこなくなった。
全裸の効太郎と鐘馬はしかたなくそのまま霧の中を走り続けているが、ふたりの顔には当惑が浮かんでいる。
やがて、前方の霧の中から人影が見えてきた。
「……誰だ。敵か?」
「……いえ、どうも違うみたいです」
人影はじっとして動かない。ふたりを待っているかのようだ。温泉亀か。効太郎たちはしだいに人影に近づいていった。
正体はバス停だった。
バス停が場違いな地割れの底にぽつんと立っているのだった。
効太郎と鐘馬は立ち止まると、あたりをキョロキョロ見回した。
するとまもなく霧の中からヘッドライトの明かりが差し込んできて、例のボンネットバスがのろのろとやってきた。
ふたりの男は顔を見合わせ、
「乗れってことでしょうか?」鐘馬が聞いてくる。
「だろうね」
千歳の苦しげな吐息をうなじのあたりに感じながら効太郎がいった。
促すように扉が開いたので、ふたり、いや三人はあわててバスに乗り込んだ。
バスはバス停を折り返し点にしてぐるりとUターンすると、やってきた道を戻るように走り出した。
× × ×
「次は毛剃の滝、毛剃の滝でございますじゃ」
車内にアナウンスが響いた。
制服を着た温泉亀が運転している。
さっきと同じでバスの中には亀を含めると四人しかいない。
しかも今度はひとり死にかけている(かもしれない)。
男たちは千歳を窓ぎわの席に寄りかからせるのだが、何せ彼女は全裸なので、顔をそらしつつ見ないように見ないように振る舞うのも一苦労だった。
そうして男ふたりは通路に立ったまま彼女の座席をガードするかのように背を向けながら通路に立った。そんなふたりもフリチンなのだが、ギリシャ彫像のような均整のとれた筋肉質の体つきなので、イヤらしい感じはみじんもなかった。また状況が状況なのでふたりとも下半身がむき出しのままになっていることに気が回っていない。
「よっぽどあわてとったんじゃなあ……」バックミラーで裸の三人を見ながら妙に感心して温泉亀がつぶやいた。
車窓から霧が晴れてきたのがわかると、バスはいつのまにかまたしても舗装道路を走っていた。
白いガードレールが山を取り囲むようにして弧を描き、先の先まで伸びている。
「あとどれくらいかかりそう?」効太郎が運転席に声をかける。
「いや、もうそこじゃ」
薄明るくなってきた外の景色には、ガードレールを越えたところすぐ近くに峻険な山々の連なりが見えていた。下方には雲海が広がっている。まるで天上的な高さのところを走っている気分になる。
今、それら山々の景色が割れて、奥が見えてきた時、効太郎と鐘馬は巨大な滝が頂上付近から一直線に落ちていく新たな山の光景を目撃した。
「あれが毛剃の滝じゃ」
フリチンのふたりは呆然と窓の外の滝を眺めた。「あれが、毛剃の滝……」
目をパチクリさせるまもなく、白いガードレールと舗装道路はいつのまにか滝の近くまで伸びていた。
雲海で隠れているが、おそらくそのあたりまで続いているのだろう。
急に新たな道路がそこにできたかのような違和感があったが、どのみち幻覚なのだからきっとなんでもありなのだろう。
バスは坂道を下っていき、雲海の中に入っていき、抜け出るとすでにそこは眼前に滝を見上げる河原だった。バスの中にいても滝の轟音が大きく響き渡り、音そのものがあたりの風景を威圧している。
「まさかあれも幻覚ってことはないですね」
「大丈夫じゃ。滝は本物じゃ」
「うーん……」
どうも理屈に合わないような気がして、しばらくのあいだ鐘馬は考え込んでしまったが、今はそんな悠長なことをしているヒマはなかった。
バスに乗っているあいだに千歳に何か着せてやればよかったようなものだが、服がないのでこればかりはなんともしようがなかった。効太郎はバスタオルを巻いただけの彼女をまたぞろ背負うと、
「世話になったね、ありがとう」温泉亀に礼をいった。




