ただ海を眺めていた
初めまして、水樹と申します。
作品タイトルを「きっと果てしなく蒼いだろう」とつけましたが、正しくはシリーズ名になります。
この作品のタイトルは、「ただ海を眺めていた」です。
ややこしくてすみません。
真っ白な砂浜に、一脚の椅子。ダイニングから持ち出した木製のそれは、脚を砂浜に足られながらもなんとか立っていた。
朝。私は窓から差し込む朝陽を目覚まし代わりに飛び起きて、洗面で顔を洗ってから椅子を外に出しに行く。そこに坐って三十分ほどぼうっとしたら、家に戻って朝ご飯を作るのだ。朝食を全部ラップで包んで、また海岸へ。椅子の上で海を眺めながら、優雅に食事をする。
それが私の日課。
水色のリボンで長い髪をくくって、砂浜に溶けてしまいそうな真っ白な服を着る。麦わら帽子もきっちり被ったら準備は万端。レース生地の日傘を椅子に括り付けて、何冊も何冊も本を読む。本はお父さんの書斎から持ち出すのだ。小さい頃私を膝に抱えながらたくさんの本を読んでくれたお父さん。大きくなったらここをあげよう、と書斎の鍵もくれた。私は片端から読破している。もうそろそろ二つ目の棚の三段目に差しかかる。面白くて面白くて、本を読む以外やることのない身としては、最高の退屈しのぎだった。
お父さんが海の彼方へ消えてから、三年になる。
仲間とともに船を出して、大嵐の日から戻っていない。母は私が生まれてすぐ死んでしまったから、お父さんも死んでしまったなら私は天涯孤独なのだ。と、ふと思う。でもお父さんのことだし、案外外国の美しい街で素敵な本を買い漁っているかもしれない。
そのくらい現実味がないのだ。次の瞬間には家の黄色い扉を開けて、私を驚かすかもしれない。椅子に坐っている私の肩を叩いて「ただいま」というかもしれない。そう根拠もなく信じられるほど、お父さんが永遠に海に溶け込んでしまったというのは信じ難いことなのだ。
水色のリボンがするりと抜ける。慌てて拾い上げて、安堵のため息をついた。よかった、海に落ちないで。
これはお父さんにもらったのだ。五歳のお誕生日、それはお父さんが死んだのと同じ大嵐の日で、近所に住むばあやが一生懸命手を握ってくれていた。
何時間も目を瞑って耐えて、ようやく収まったころにお父さんは帰ってきた。ごめんねと謝りながら、お父さんは大きな薄いハコを持ち出して、ドレスから長いリボンを抜き取り、私に渡した。
『怖かっただろうね。ごめん。このおリボンはね、お母さんのドレスに使われていたんだ。君にあげよう。お母さんが、天国から君を見つけられるように。きっと見守ってくれるはずだから』
あの日以来、私は毎日髪にリボンをつける。それは、お父さんが死んだ後も変わらない。
私は空色のリボンを頭につけ、海岸沿いでお父さんを待ち続ける。
お父さんはいつか、海から舞い戻ってくる。
そう信じて。
ある夜のことだった。風も凪ぎ静かな夏の夜は、唐突な爆撃音で毀された。
大きな音を立てて海に何本もの水柱が上がる。飛行機のエンジン音がやけに遠くから聞こえていた。私は真っ白いネグリジェを着たまま、恍惚と海を眺めた。嗚呼、と冷静な頭が考える。
(狼煙なんだわ)
お嬢さま!と声がして、ばあやが隣の家から飛び込んでくる。部屋にあった私の服と靴を持って、私の手を引いた。私は裸足で駆けだした。
家を出て、ばあやの手を振り切っていつも椅子を置く場所まで走る。ばあやの咎める声が聞こえたが、構いやしない。巨大な水柱はすぐそこまで迫っていた。あと少し飛行機がこちらに来れば、砂浜や家も銃弾でやられてしまうだろう。もちろん、ここにいる私も。
だけど飛行機が来るより先にばあやが来て、私の手を掴んだ。
後で聞いた話。私はそのとき酷く嬉しそうにしていたらしい。
『そりゃあびっくりしましたよ。だって自分の家が燃やされるっていうのに楽しそうに微笑んでいらっしゃるんですもの』
だって、私のとっての夜の水柱は。
お父さんが私に向けたメッセージにしか見えなかったんだもの。
お父さんが会いに来てくれたんだわ。三年間穏やかだった海をこんなに荒れさせて、私に生きているってことを伝えようとしたんだわ。
そんなことないのにね。
お父さん、お父さん。
私はあなたの死に囚われたままです。
きっと、一生。
読んでくださってありがとうございました。
「きっと果てしなく蒼いだろう」シリーズ(ネーミングセンスが来い)たぶんちまちま続きます。
全部海に関連するお話です。