第29話 さあ、今日も迷宮で頑張ろうか?
馬車馬のように働いた次の日、サクヤは商店街をウロウロとしていた。
「なんというか、お金が無い時に来ると空しい気分になっていたけど、お金に余裕があると色々欲しくなるなぁ」
サクヤはそう言いつつ、靴屋で迷宮探索用の靴を購入する。サクヤは全身がほぼ修復と浄化の魔道具で包まれているが、靴だけは普通の物を使っている。今はまだ壊れる様子は無いが、これからも無茶をするならもしもの時の為に替えは必要だ。そして、こういった物は余裕がある時に備えておかなければならない。
「あとは、保存食も補充しておきましょうか」
サクヤはアルテミスに来るまでの間に、殆どの非常食を食べ尽くしてしまっていた。これからしばらくはこの街にいる予定だとしても、なにか鞄に入れておかないと不安なのだ。
「取り合えずこれくらいかな。さて、今日も頑張って稼ぐぞー!」
周囲の目が集まるのも気にせず、でかい独り言を言いながら、サクヤは迷宮ギルドに入った。因みにグランエグゼは昨日の脱出の際、迷宮に忘れてきた事になっているので、今回は無手で悠々としている。
「あっ、サクヤさんおはようございます。丁度いいところにいらっしゃいました。本日はサクヤさんにお会いしたいと仰るお方がいらっしゃっておりまして、ご挨拶をお願い致します」
迷宮ギルドに入るといつもサクヤを笑顔で迎えてくれるはずのマリナがいたのだが、その笑顔は緊張からか引き攣っており、額から冷や汗を垂らしている。そして、マリナが示す先には二人の人物がいる。一人は中年の少し草臥れている男性。もう一人は――。
「やあ、はじめましてサクヤちゃん。僕の名前はクレア・R・シルヴァリオン。どこにでもいるごく普通女の子さ」
それは紛れも無く女帝クレア・R・シルヴァリオンであった。
「君がサクヤさんか、私はオルグ。この迷宮ギルドの責任者だ。こちらのお方は分かるとは思うがクレア皇帝陛下だ。決して失礼の無い様に頼むよ」
「ははは、僕はそんなに短気じゃないから大丈夫だよ」
「失礼致しました。ははは(嘘付け! アンタの口癖は怒っちゃうぞだろうが)」
オルグは愛想笑いを浮かべているが、その心の中では何故こんな事になったのかと自問自答していた。
クレアは昨日、サクヤの書類を確認したあと、突然「この子に会ってみたい」と言い出したのだ。それに対してオルグは、サクヤと打ち合わせをする時間が欲しいと懇願したのだが、クレアは「明日すぐに会わせてくれないと、僕、怒っちゃうぞ?」と言い放ち、オルグから時間を奪い去ったのだ。
(頼む……、頼む……、絶対に失礼な事をしないでくれ……!)
オルグは今までの人生の中で一番の緊張を味わいつつ、今日はじめて出会った少女に対して、何か仕出かさない様心の中で只管懇願するのであった。しかし、この時オルグ異常に緊張している人物がいた。マリナである。
(サクヤさんは一体何をしたの!? そして私は何故、皇帝陛下をご紹介するなんていう大役をやらされているの!?)
マリナは迷宮ギルドで働いているが、クレアの顔など一度も見た事が無い。そういった人間と会うのは偉い人がやれば良いと思っているし、有名人を見たいとかいった感情も持ち合わせていないからだ。
そんなマリナが今日の朝突然、クレアを紹介され、サクヤを連れて来る様に命じられたのだ。マリナはあと少しサクヤが来るのが遅かったら、緊張で泣き出してしまうところだった。
「ふふふ」
そんな、二人の人間の想いなど知りもしないクレアはただ笑顔でサクヤを見つめている。そして、三人の人間に見つめられているサクヤは、恐ろしいものを見た様な表情でクレアを見つめていた。
『神意観測装置起動。――対象の解析完了。対象は神意能力者の上位存在、神格能力者です。軍勢の能力ファンタズム・レギオン。効果、自分に忠誠を誓った全ての人間の幻想因子保有量の合計が自分の幻想因子保有量に加算される。また、忠誠を誓った人間が神意能力者であった場合、その神意能力者の能力を自分のものとして使用できるようになる。そして、忠誠を誓った人間が死亡した場合、その者は不死なる英雄となり、死後もその魂は主と共に在り続ける。欠点、代償として魔法と魔道具が使用不能になる』
「なに……それ……」
それは、まるでチート主人公かラスボスの様な能力であった。
忠誠を誓った人間の幻想因子保有量を自分に加算する。それはつまり、十万人が忠誠を誓えばたった一人で十万人分の幻想因子を使用できる様になるという事だ。そして、忠誠を誓った人間の神意能力の使用。これは、神意能力者が100人忠誠を誓えば一人で100種の神意能力が使えるという事を意味する。
そして、最後の効果、これには言葉通り、その者を不死の兵士にするという効果と、もう一つの効果がある。それは、忠誠を誓い死んだ人間の分の神意能力や幻想因子保有量も、死後永劫クレアに加えられ続けているという事である。
クレアがシルヴァリオン帝国を建国してから400年以上。その間にクレアに忠誠を誓った歴代の英雄達が一体何万何十万何百万人いたのかは分からない。しかし、分かっている事もある。それは、クレア・R・シルヴァリオンと戦うという事は、シルヴァリオン帝国の歴代全軍と戦うのに等しいという事だ。
『戦っても勝てる可能性はありません。ご愁傷様です』
グランエグゼの言葉など、気にしている暇も無い。サクヤは何故自分がこんな状況に陥ったのか必死に考えるが答えは出ない。確かにサクヤはエスタシアやリンドブルムで問題を起こした。しかし、それが原因だったとしても、女帝クレアが直接サクヤに会いに来た説明にはならない。サクヤは答えの無い自問自答を繰り返す。
そして、挨拶もしないサクヤに苛立ちを覚えていたオルグの目の前で、クレアが無防備にサクヤに近付く。その時の表情は満面の笑みで、見た者全てを虜にする魅力があった。
「あ……」
サクヤが動けない中、クレアはサクヤの目の前まで近付くと、その耳元でサクヤにだけ聞こえる声量で囁いた。
「僕は君を殺しに来たんだよ。神殺しのサクヤちゃん」
『緊急事態と判断。本体の形成と第一封印機関の解放を同時決行。あとは御主人様に任せます』
(殺される! 殺さないと殺される! 殺すんだ! 殺す! 殺す!)
その瞬間、形成を宣言していないのに、サクヤの手の中でグランエグゼが形成され、刃先を漆黒に染めたグランエグゼがクレアに向けて振るわれた。だが、その一撃はクレアに回避されてしまう。
「なっ!」
「えっ!」
オルグとマリナにはサクヤの行動が理解出来ない。相手は大陸を統べる者クレア・R・シルヴァリオンなのだ。そんな相手に刃を向ける人間が存在するなど信じる事が出来なかった。
そして、サクヤがこんな問題を起こしたとなれば、オルグとマリナは反逆者を招いた共犯者として間違いなく処刑される。二人はサクヤを心の底から呪った。
「ふふふ……」
しかし、そんな二人の存在など気にした風も無く、クレアは笑っていた。その小さな体の剥き出しの腕には、回避しきれなかったグランエグゼにより切り裂かれた傷があり、血が滴っている。しかし、その状態でクレアは楽しそうに笑う。
「ははっ、ははは! 本当に君が例のサクヤちゃんだったんだね。まさか。この僕が血を流す事になるなんて……、こんなの何百年ぶりだろう。すごいね、サクヤちゃん」
クレアはその可能性は高いと思っていたが、確証は無かった。だから、あの台詞を言って反応を窺おうと思っていたのだ。そして、サクヤはクレアが思っていた異常に分かりやすい反応を示してくれた。これにはクレアも思わず笑ってしまう。
「やっぱり、その剣は対神意能力者特化タイプの神剣なのかな? 確かにこれはすごい。こんなの僕以外だったら耐えられないよ」
クレアはそう言いながら、腕の出血をハンカチで拭う。するとそこには無傷の腕があった。
「なっ!?」
サクヤはその事に驚くが、これは当然の結果である。この世界の住人の自然治癒力は幻想因子保有量で増減する。ならば、軍勢の能力を持ち、桁外れの幻想因子保有量を誇るクレアは、通常でもこの程度の回復速度があってもおかしくは無いのだ。サクヤはその事を理解するともう一度グランエグゼをクレアに振り下ろす。回復速度が異常なら、一撃で殺せば良い。そう考えて脳天を狙った。
「でも、当たらなければ意味が無いね」
クレアはサクヤの一撃を易々と避けると、その小さな拳でサクヤの腹を殴った。その細腕はどう見ても力など大して無い様に見えるのだが、クレアに殴られたサクヤは、そのまま迷宮ギルドの外に飛ばされ、向かいの民家の壁に叩き付けられた。
「かはっ!」
肺の中の空気が全て飛び出す。背中と腹部が痛い。サクヤにはその一撃がまるでレッドドラゴンの体当たりの様に感じられた。無様に地面に落ちながらも、グランエグゼを杖代わりして立ち上がるサクヤの前に、クレアがゆっくりと歩いてくる。
「ははは、よかった。これで終わったらつまらないもんね」
「ブレード・シュート!」
サクヤは近付いてくるクレアに光の剣を放つが、クレアはそれをボールでもキャッチするかのように素手で受け止めた。そう、素手で刃を掴んでいたのだ。
「ふーん、これは普通の魔道具だね。こんなもの僕に聞くと思っているの?」
「なんで……!」
そう言いながら光の剣を握りつぶしたクレアの手には、傷一つ付いていなかった。光の剣がそれほど強くないとは言っても、それは異常な光景だった。しかし、その光景はクレアにとっては当たり前の事である。
クレアの自然治癒速度は常人の想像を遥かに超えている。その為、光の剣で与える程度のダメージでは、回復の方が早くて全くダメージが無い様にしか見えないのだ。
「僕に傷を付けたかったら、その剣で斬るか、街を吹き飛ばせるくらいの攻撃をしなきゃだめだよ」
「……化物!」
「こんなに可愛い女の子に向かって酷い事言うなぁ」
クレアは口では不満そうに話すが、その口元はずっと笑っていた。そう、クレアは楽しくて仕方が無いのだ。まだこの大地に自分に仇なし、手傷を負わせてくる人間がいる事が楽しくて楽しくて仕方が無い。
(この前の解放軍には何の魅力も感じなかったけど、この子からはあんなゴミでは足元にも及ばないくらいの可能性を感じる。もっとだ……、もっとじっくり楽しまないと。こんなに魅力的な相手、次に出会えるのは何百年先になるか分からないんだから!)
クレアが本気になればサクヤなど一瞬で消滅させる事ができる。しかし、クレアはそんな事はしない。だってそんな事をしてしまったら、楽しみが一瞬で終わってしまうからだ。
「はああああ!」
対してサクヤは必死に戦う。例え必死に戦ったとしても勝ち目は無いが、それでも生き残る為には死力を尽くすしかないのだから。
「こ……これは……」
「私はどうしたら……」
「なんだあれ!」
「この街で殺し合いだと! 正気か!」
二人の戦いが激しくなると、オルグとマリナ以外の人間も集まり始め、人々が二人の戦いに目を奪われる。
「ふむ。これ以上は街に被害が出そうだ。仕方が無い。――僕は自由なる翼、僕を縛れるものなどありはしない」
「まさか!」
それは神意能力の詠唱である。その事はサクヤも理解できるのだが、グランエグゼは何の情報もサクヤに教えてくれない。
『エラー、エラー、対象が発動しようとしているのは、対象本人の神意能力ではありません。よって詳細の解析は不可能です』
グランエグゼの空しい声が響く。そして、クレアはサクヤの攻撃を悠々と避けながら詠唱を完成させ、神意能力を解放する。
「空間転移の能力アンリミテッド・テレポート」
その神意能力を発動した瞬間、サクヤの視界からクレアが消える。
「どこに行ったの!」
サクヤが周囲を見回していると、突然息が当たるほど近い位置にクレアの顔が現れる。そして、クレアはサクヤの腕を掴んだ。
「たっぷり暴れる為に、場所を変えようか?」
「何を――」
何をするつもり、そう叫ぼうとしたサクヤだったが、その声はサクヤの体ごと消えてしまった。
そして、その場所には静寂が残った。
「え……? えっ……? 何が起こったんですか!? サクヤさんは!?」
「私は助かったのか……?」
慌てるマリナと安堵するオルグ。そして、命拾いをした野次馬達を残して、クレアとサクヤはある場所へと旅立った。
◇◇◇
――??、????????。
「よっと」
「うわっ!」
サクヤは無造作にその場所へと放り出される。状況が理解出来ないサクヤは取り合えず周囲を見回し、自分の状況を確認しようとする。しかし――。
「ここ、どこ……?」
そこは迷宮都市アルテミスではなかった。
サクヤとクレアが立っているその場所には、人工物どころか草木もありはしない。周囲は見渡す限りの荒野だった。サクヤはこの世界に来てから、国から国へ移動を繰り返してきたが、ここまで荒れ果てた場所を見た事が無い。少なくともサクヤが見て来た場所は、どこも自然が溢れた場所だった。
「ふふふっ、どこだっていいだろう? 重要なのは君と僕がいて、邪魔する者が誰もいないという事さ」
「くっ!」
その通りである。ここがどこであろうとサクヤがする事は変わらない。全力で戦いなんとしても生き延びる事。それだけがサクヤに残された選択肢だった。
「それじゃあ、序曲を始めようか」
「どうでもいい事格好良く言ってんじゃないわよ!」
こうして、サクヤとクレアの戦いが始まった。
クレアの能力は私が大好きなとあるゲーム作品のとある人物の能力をモデルにしています。
私はその作品が大好きで、その作品をプレイして中二病が不治の病になりました。
いつか、私もこんな中二病バトル作品を作りたい。
そんな想いがこの作品を書き始める切っ掛けです。
修正箇所
4/3 100メートルほど先にある民家の壁→向かいの民家の壁
どうやら人間は100メートル飛ばされて壁に叩きつけられると死ぬらしいと気が付いた為




