第2話 状況整理、そして
森の中に一人の少女がいる。少女の名はサクヤ。その人格を構成する人物には本名が別に存在するのだが、この体は間違いなくサクヤと呼ばれる存在で、中に入っている異物の名はその姿にそぐわないため、この少女はサクヤと呼称する。
サクヤは突然異世界に放り出され、よくわからないうちにオークと戦う事になり混乱していたが、戦いが終わると落ち着きを取り戻し自分の状況を確認し始めた。
まず、ここがどこなのか、不明。なぜこんなところにいるのか、不明。これは現実なのか夢なのかはたまたゲームの中なのか、不明。この体はどうして少女になってしまったのか、自分で設定したから。
いろいろと考えを巡らせたが、結局わかったことは、自分の体が理想の少女の体になっているという事実だけだった。
「やわらかいし、細かったり大きかったりするし、ついてないし、間違いなく女の子の体だな」
考えても答えが出ないと悟ったサクヤは、理想の少女になった自分の体を調べていた。
オークを殺害した現場からは離れていたが、いつ別のオークに遭遇するかわからないので衣服を脱いだりするのは今夜のお楽しみという事にして、服の上からいろいろと揉んだり持ち上げたりする。
当初は股間の男の象徴が無い事に違和感を感じていたが、元の体の時にもそれほど存在感を主張していなかったので、それはすぐに慣れた。その事実を理解してサクヤは少し悲しくなった。
当面の問題は体が軽すぎて常に浮遊感がある事と、胸に重みが集中している事により、若干バランスが取り難い事だったが、その辺りもすぐに慣れるだろうと自分に言い聞かせていた。
「握力は測ってみないとわからないけど、意外とあるな。腕力は所持品軽量化のせいでどれくらいあるのかわからないけど下手したら元の体より強いかも。足の速さは全力で走ってみないとわからないけど、すごく早く走れそうな気がする」
サクヤは自分の口から出る声が少女のものになっているのが面白くて、ついつい独り言が多くなっていた。まあ、元の体の時も独り言の多い男として気持ち悪がられていたのだが、その事は本人の知らない事実である。
「レベルアップみたいなシステムは無いとしても、普通に鍛えて強くなるなら元の体より断然使いやすいな」
サクヤは元の体に戻れないかもしれないという不安など一切感じておらず、むしろ少女として生きていく事に前向きだった。この体をどう鍛えるか、この体でナニをしていくのか、それを考えるだけでサクヤのテンションは上がっていった。
本来ならそれより前にこの世界が何なのか考えるべきなのだが、サクヤの中ではこの世界が何であろうとサクヤの体を楽しむ事の方が大事、夢だろうがゲームだろうがやることは変わらないという結論が出ていた。行き過ぎた変態というのは恐ろしいものである。
「問題はこっちか」
体について調べ終わったサクヤは、次に調べるべきものを呼び出す事にした。
「形成」
サクヤの声に応える様に黒い粒子が集まり、グランエグゼが顕現する。サクヤはグランエグゼを軽く振り回すと少し緊張しながら、自分の左腕に軽くグランエグゼを叩き付けた。
「いっ、たい……」
当然の様に痛かった。たとえ軽くて刃先が無くても金属の板で殴られればそれなりのダメージはある。頑丈な生物に対してはどの程度効果があるかわからないが、無抵抗な一般市民くらいなら問題なく殴り殺せる威力はありそうだった。
サクヤは攻撃力方面の事はあまり考えないようにして、グランエグゼの良い所を見つけようとする。
まず武器非携帯。これはかなり便利だ。実際に自分が冒険することになって気が付いたのだが、武器を持ち歩くのはとても面倒くさい。オークの棍棒など邪魔になってすぐに捨ててしまった。
それと、武器を持ってくるのを忘れた時に不意打ちされるという展開を防げるのと、体内に戻す時、汚れなどをその場に残して戻るのでいつでもピカピカなのも利点だと考えた。
あとは、永久不変。これは素晴らしい能力だと思った。これがあればオークを倒した時の様な無茶な使い方も出来るし、何より手入れの必要が無い事がありがたい。それに、うまく使えば盾としても優秀だと考えた。
「あとは……」
サクヤはグランエグゼの能力を試すため、一度グランエグゼを放り投げた。
「形成」
サクヤがグランエグゼを体に戻さずに形成と呟くと、地面に転がっていたグランエグゼが黒い粒子になり、右手に集まりまた剣になった。
「ふむ」
グランエグゼは融合していない状態で形成すると、一度分解され再形成を自動で行う事を確認した。多少は時間がかかるが、戦闘中に飛ばされても安心だなとサクヤは思った。後は有効範囲だが、こちらは落ち着いてから確認することにした。
一瞬、これを店に売って呼び戻せば無限金稼ぎが出来るのではないかと思ったが、一般人から見たら模造刀と変わらない剣を買い取ってくれる店など無いだろうと気付き諦めた。
「あともうひとつは……、思考加速」
サクヤは思考加速を発動させる。その瞬間世界は減速し、サクヤの意識だけが通常速度で動いていた。
腕を動かしてグランエグゼを放り投げるとやはり十分の一程度で動いていると確認できる。目を早く動かそうとがんばってもゆっくりとしか動かない事に違和感を感じるが、この辺りは何度も使って慣れるしかないと考えていた。
思考加速を発動してから体感時間で約30秒が経過すると、減速が自動的に解除され、放り投げたグランエグゼが地面に落ちる。
「発動時間は30秒、実際の経過時間は3秒くらいか。3秒じゃ回避とカウンター、あとは攻撃を当てる直前に発動して狙いを定めるくらいにしか使えないな」
サクヤは効果時間が短いと感じていたが、実際にはあまり長い時間減速状態に慣れてしまうと、通常速度に戻った時に世界が高速で動いているように錯覚してしまうため、長時間使用出来ても危険だった。
「思考加速」
サクヤは実験のためにもう一度思考加速と唱えるが、今度は思考加速が発動せず、声だけが虚しく響いた。しかし、サクヤはある程度その事を予想していた。
「思考加速、思考加速、思考加速、思考加速……」
サクヤは壊れたおもちゃの様に同じ言葉を繰り返す。傍から見ると頭がおかしくなった様に見えるが、もちろん考えがあっての行動である。
「思考加速」
何度目かの言葉で思考加速が発動する。それは、一回前の思考加速が発動してから60秒程経過してからの出来事だった。
「なるほどな……」
思考加速が終わった後にサクヤはそう呟いた。一連の流れで、思考加速は一度発動し終わると60秒間は使用が出来ない事がわかった。これは乱戦状態では致命的な欠点だった。
発動時間の3秒ではどうがんばっても一人くらいしか倒せない。一人を倒した直後に攻撃された場合、60秒は思考加速無しで戦う事になる。
しかも、戦闘中にはゆっくり時間を数えている暇など無いため、そろそろ発動できるだろうと思っても、実際には40秒程しか経過していなかったという事態になる可能性もある。
実験の結果、思考加速は戦いの最初と最後くらいにしか使えないという結論になった。思考加速はサクヤにとって奥の手という扱いで、他の方法で強くならないと駄目だと感じていた。
「思考加速についてはこれだけわかれば十分か。あとは所持品軽量化だけど、これはまあ別に調べる必要はないか」
所持品軽量化についてはただものが軽くなるだけなので調べる必要はないと判断した。仮に調べなければいけない事があるとしたら、どの程度軽量化しているかなどだが、それは元々の重さがわかっているものを持ち上げなければわからないため諦めた。
「取り合えず、これだけ分かれば十分か」
自分に与えられたものを確認し終えたサクヤは、ゲームでチュートリアルを終えて冒険の旅に出かける事になる主人公は、こんな気持ちだったのだろうかと考える。
新しい生活、新しい体、新しい能力、そして新しい世界。不安と期待がうまく交じり合って何とも言えない気分になる。しかし、サクヤはあくまでも前向きに人生を楽しもうと思っていた。
「まあ、考えてもどうにもならないし、この体を精一杯楽しむとしますか」
サクヤはいろいろな意味でこの体を精一杯楽しむために、まずは服などを脱いでリラックスして休める場所を探すことを決めた。自分の胸を揉みながら、どうやって楽しもうかと妄想し笑みを浮かべるサクヤの姿は、ただの痴女だった。
近くに町などがあればいいなと考えたところで、サクヤは立ち止まる。
「いやまてよ、この世界の文明ってどれくらい発展してるんだろう。言語とかも日本語で大丈夫なのか」
サクヤは自分の格好や装備から現代風中世くらいの生活をしているだろうと思い込んでいたが、本当にそうなのかはわからない。そして、言語の問題については、もし日本語が通じなければお手上げだと考えていた。元の世界で英語すらまともに聞き取れない知能の自分には、新しい言語を手探りで覚える事など不可能だと思ったからだ。
いろいろ考えた結果、取り合えず第一村人を発見しこっそり会話を盗み聞きして判断しようという結論に達した。
「とりあえずこの世界の常識を知らない事への言い訳を考えながら歩く事にしますか」
何をするにしてもまずは森を出るべきだと考えたサクヤは、歩きながら質問に対する無理の無い言い訳を考える事にした。その姿はとても無防備だったが、幸い誰にも襲われずに歩き続ける事が出来た。
◇◇◇
そして、森の中を歩き続けて約二時間が経過する。
「おっ、あれは」
サクヤは、木の向こう側が広い空間になっており、そこから日が差し込んでいるのに気が付く。森林探索の終わりを確信したサクヤは光の方に駆け出した
「でっぐちだー」
そこは草原と呼ばれるような場所だったが、人が歩くための砂利道の様なものがあり、この道をどちらかに進めば確実に人のいる場所に行けるという安心感がサクヤの中で芽生えた。
「空気がおいしー……?」
草木の匂いばかり嗅いでいたため、開けた場所で深呼吸したくなったサクヤは空気を吸い込むが、思っていたのとは違う臭いを感じて怪訝な顔をする。
「なんだ、これ……」
それは、何かが焼け焦げる臭いと、嗅いだことのない不快な臭いだった。
サクヤが臭いの発生源を探すために周囲を見回すと、その視線がとある場所へ釘付けになった。そして、その視線の先から、怒号が響く。
「きゃぁぁぁぁ!!!」
「マナステア様をお守りする事を最優先にしろ!」
「この化け物が!」
「隊列を乱すな!」
サクヤの視線の先にいたのは、マナステアと呼ばれた少女と、その周囲で少女を守るために戦う武器を持った人達だった。
マナステアと呼ばれた少女は明らかにお嬢様という格好をしているので、周囲の人間は護衛の兵なのだろうと推測できる。
近くには壊れて炎上している馬車があり、駆け回る護衛の兵の足元には、動かない人間らしきものが転がっている。動いている人間の数はマナステアを含めて11人で、動かない人間の数は20人を超えていた。
「うっ……」
サクヤは生まれて初めて嗅いだ死体の臭いに吐き気を覚えるが、それよりも衝撃的な光景を見てしまい、吐き気を忘れてしまう。
それは、この場に20を超える死体の山を築いた張本人。サクヤはソレを様々なゲームの中で見た事があったが、実在するソレは迫力も存在感も桁違いだった。
もしサクヤがソレに名前を付けろと言われたら、すぐにこう名付けただろう。
「グウオォォォォォォォオオオンッ!!!」
レッドドラゴンと。