第21話 終焉のアリア
サクヤは疲れた体を引きずって歩いていた。肉体強化の魔道具はサクヤの思っていたよりも幻想因子を消耗するものだったらしく、サクヤは幻想因子の減少により起こる倦怠感に支配されていた。それでも、サクヤは少女との約束を果たす為に歩き続けた。
「おい! 国王が殺されたらしいぞ!」
「クソッ! 国王が死んだらどうせシルヴァリオン帝国が干渉してくる! もう好き勝手できねぇ、ずらかるぞ!」
「待て! 最後に適当な女を抱いてから行こうぜ!」
「うるせぇ置いてくぞ!」
街中からは様々な声が聞こえてくる。早くアリアを連れ出さなければサクヤもアリアも危険だった。
「おい、あいつ境界線から出てるのに爆発しないぞ!」
そんな中、一人のならず者がリンドブルムの国民である少女を国外に連れだそうと国王が定めた魔道具が爆発する境界線を越えた。しかし、少女の魔道具は反応しなかった。
それは、元々その魔道具が偽物だったからという理由だったのだが、国民達は魔道具が国王の死亡を切っ掛けに解除されたのだと信じ込んだ。
「こんな国、もう嫌だ! 逃げるぞ!」
「俺も行く!」
「私も!」
未だ動ける状態だった国民達は我先にと逃げ出す。そんな国民達を見たならず者達は、逃げる前にその国民達を捕まえてそのまま奴隷にしようと考え、国民達を追い回した。
街の至る所で叫び声が聞こえる。その内容は聞いていて気持ちの良いものではない。サクヤは声の上がる場所を避けながら、アリアのいる建物に辿り着いた。
「遅くなった……わ……」
体を引きずってアリアの所に辿り着いたサクヤが見たものは、裸で転がされているアリアと彼女に群がる3人の男達の姿だった。
「なんだてめ……!」
「ブレード・シュート! ブレード・シュート! ブレード・シュート!」
サクヤは男達に光の剣を放つ。光の剣は油断していた男達に次々突き刺さり、男達は動かなくなった。折角少しだけ回復した幻想因子がまた減ってしまうが、サクヤはそんな事を気にするよりもアリアへ駆け寄った。
「大丈夫アリアちゃん!」
「おねぇ……さん……?」
幸いアリアは服を脱がされただけで、何かされる前だったらしく、命に別状も無かった。その事に安堵するサクヤだが、すぐにある疑問に気が付く。
(アレ……ナンデ今カラ殺ス相手ノ心配ヲシテルンダロウ……)
アリアを守りたいと思う感情と、アリアを殺したいと思う感情が交じり合う中、サクヤは吐き気を覚えながらもアリアを連れ出す準備を始める。アリアの服はもう使い物にならないので、鞄にしまい込んでいたエスタシアでサクヤが着ていた服を着させるが、アリアには大き過ぎた。それでも無いよりもマシだと判断し、その状態のアリアを抱きかかえサクヤはリンドブルムから逃亡した。
サクヤとアリアはそのまま誰にも見つかる事無く、アリアの思い出の場所に向かった。
◇◇◇
――その場所は決して綺麗な場所ではなかった。
サクヤとアリアが辿り着いた場所、それは確かにアリアの思い出の泉だった。
しかし、美しかったであろう泉の周囲には、おそらくならず者が放置していったであろうゴミが散乱しており、泉の水も汚れて濁り、泥水の様になっていた。
「ここで……いいの……?」
「うん……ありがとう……おねえさん……」
サクヤには今アリアが何を思っているのか分からない。ただ、悲しそうな表情で汚れた泉を見つめて、「私みたい……」と呟くアリアを見ていると胸が締め付けられる様な想いになった。
「アリアちゃん、こっちにおいで」
そのままアリアをしばらく見守っていたサクヤだが、時間を持て余して鞄から鍋型魔道具とリーネ村で貰った茶葉を取り出し、紅茶を入れた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう……。おいしい……」
本当は食べ物も食べさせてあげたかったのだが、手持ちの食料は保存の利く物ばかりで、弱っている人間には与え難い物しかなかった。
よく考えてみればこれから殺す相手に食料を与えたり、健康を気遣ったりする事に意味は無いのだが、サクヤは無意識にそうしていた。
「ねぇ……おねえさん。おねえさんは天使様なの……?」
「えっ……?」
突然のアリアの問いにサクヤは困惑する。これから自分を殺そうとしている相手に何故そんな事が言えるのか理解できなかったからだ。
「なんで……そんな風に思ったの?」
「だって……、あそこで終わるはずだった私に……こんなに優しくしてくれるから……」
その一言にサクヤは殴られた様な衝撃を受ける。サクヤがアリアの為にやった事と言えば、殺すと宣言してから意味も無く暴れ回り、アリアを無理矢理連れ出したくらいだ。感謝される事など何もしていない。少なくともサクヤはそう思っていた。
(殺したくない……)
サクヤは心の底からそう思った。
このままアリアを連れて、どこか静かな場所で休ませてあげたい。この泉より綺麗な場所へ連れて行ってあげたい。おいしい物を食べさせて笑顔になってもらいたい。このままずっと一緒にいたい。
サクヤの心の中に沢山の感情が生まれ、大きくなっていく。
しかし、それを許さない者がいた。
『殺しなさい、殺すのです。殺してください、殺せ。お前に拒否権はない御主人様。早く殺せ、殺すのです。ここまで待ってやった恩を忘れるな。殺せ、殺してください。彼女を救うには殺すしかない。そう殺す事でしか救えない。ならばやる事は一つだけ、殺せ、殺すのです……』
頭の中でずっと響き続ける誰かの声。呼び出した覚えが無いのに何故か握られている刃先が黒く染まったグランエグゼ。そして、アリアの首を切り落としたいという抗えない衝動。
「私は……、悪魔よ……」
サクヤにはその一言を搾り出すのが限界だった。サクヤの中から溢れてくる衝動はサクヤの全身を支配していき、体の自由を奪う。
『――ちっ、こんな所で無駄遣いしたくないのですが、幻想因子を使用し、強制的に殺させます。抵抗するだけ折角稼いだ幻想因子が無駄になり、精神にも悪影響が出ます。そのまま身を任せてください。』
「そっか……、悪魔かぁ……」
アリアは、突然立ち上がり自分に剣を向けるサクヤに精一杯の笑顔を向ける。サクヤはそんなアリアを見つめながらグランエグゼを横薙ぎにする為に構える。
「それじゃあ……」
アリアの声が聞こえてくる。だけど体が、その声をゆっくりと聞く事を許してくれない。サクヤの体はサクヤの意思に反してグランエグゼを振るった。
「ありがとね……、世界一優しい悪魔のおねえさん」
その一言と同時に、グランエグゼは満面の笑みを浮かべるアリアの首を跳ね飛ばした。
「あっ……、ああぁ……」
サクヤにはアリアの最後の言葉が理解出来ない。何故アリアはそんな事が言えたのかサクヤにはわからない。サクヤにわかったのは自分がアリアを殺したという事実だけだった。
アリアは最後の瞬間まで幸せだった。
アリアは始め、サクヤが何を言っているのか理解できなかった。
(この人は私を助けたいのだろうか? 私を殺したいのだろうか? 殺したいとしたら理由は何なのだろうか?)
グランエグゼの事、自分が未覚醒神意能力者である事を知らないアリアに本当の理由がわかる訳が無かった。アリアはサクヤの目的を考えた結果、一つの結論を出した。
(この人はきっと、もう永くない私の為に、最後の夢を叶えてくれて、それで、これ以上苦しまない様、私を楽にしてくれようとしているんだ……)
なんて都合の良い解釈なのだろうか。そんな都合の良い話がある訳が無い。しかし、アリアは最後の瞬間までこの考えを信じていた。
アリアはリンドブルムというゴミダメで暮す毎日の中で、いつも前向きに物事を考えていた。
お父さんとお母さんは迷子になっているだけ。知らない人でも誰かが訪ねて来てくれるなら孤独じゃない。痛くてもみんなが喜んでくれるなら幸せ。そこに置き去りにされている腐った食料は男達からのプレゼント。毎日を生き延びられる自分はなんて幸せなのだろう。
そう自分に言い聞かせてアリアは地獄を生きてきたのだ。
(やっぱり、優しい人だ……)
約束を守って自分をリンドブルムから連れ出してくれたサクヤは、泉が汚れていたり、自分と目が合ったりすると悲しそうな表情をした。それはきっとサクヤが優しいからで、申し訳ないと思っているからそういう表情をしてしまうんだとアリアは思った。
(ごめんなさい、そんな顔をさせてしまって……)
アリアにとってサクヤは本当に天使の様な人だった。だから正直にそう伝えた。だけどその所為でサクヤはもっと悲しい顔をしてしまい、自分を悪魔だと言い出してしまった。
(本当に感謝しているんです……)
立ち上がり自分に剣を向けるサクヤに、アリアは精一杯の感謝を込めて笑顔を向ける。それはアリアにとって心からの感謝を表したものだった。その表情を見て、サクヤは瞳から涙を溢れさせながら剣を構える。
(やっぱりそうだ……)
その涙は紛れも無くアリアの為に流されているものだった。だからアリアも、自分の考えが本当に正しくて、サクヤは本当に優しい人なんだと思う事が出来た。
サクヤはきっと最後まで悪者を演じ続け、自分の感謝を拒絶するのだろう。だけど、この想いだけはどうしても伝えたいとアリアは思った。
だからアリアは、サクヤの言葉を否定しないようにしつつ、最大限の感謝を込めて伝えた。
「ありがとね……、世界一優しい悪魔のおねえさん」
アリアは、その一言が最もサクヤを傷つける言葉になるとは、最後の瞬間まで気が付かなかった。
「あ……あぁ……あ……」
サクヤは白い粒子に変わってグランエグゼに吸収されていくアリアを見つめながら、意味の無い声を上げる。
『ふう、余計な手間がかかりましたが、対象神意能力者の殺害を完了。無事覚醒前に殺害できたので、転生の能力エンドレス・ライフを吸収、封印出来ました。おめでとうございます』
場違いに嬉しそうなグランエグゼの声にもサクヤは何の反応も示さない。
『幻想因子の吸収も効率よく行えたので、幻想因子保有量が224%まで上昇。幻想因子保有量100%を二回使用し、外部付属生態魔道具兵装の改良を二回実行。幻想因子回復速度二倍と魔道具使用時幻想因子消費軽減の特殊能力を付与』
サクヤは自分が何故、魔法を宣言せず魔道具も付けずに、思考加速や所持品軽量化が使えているのか深く考えていなかったが、その答えがこれである。サクヤはグランエグゼの為に作られた、外付けの人型生態魔道具であり、自分自身の体に宿っている魔道具としての機能を使用しているだけだったのだ。そして、その機能はグランエグゼが吸収した幻想因子を消費する事により改良も可能だった。
こうして、グランエグゼの主として成長していくサクヤ。しかし、強化されていく体とは違い、元々普通の人間でしかないサクヤの精神はこの状況に耐え切れず押し潰されそうになる。
『ふむ、予想以上に精神にダメージを負ってしまったようですね。仕方がありません。もう一度記憶の消去と人格の再形成を行いますか。なに、次のあなたはもっと素晴らしい活躍をしてくれますよ』
グランエグゼはサクヤの人格を、記憶を、精神を破壊していく。
『あっ……!』
サクヤの記憶を消去していたグランエグゼが焦った様な声を上げた。その瞬間、サクヤの体がピクリと動き地面に倒れる。
『あの少女に関しての記憶は消去出来ましたが、短期間に頭を弄りすぎてしまった所為で、ちょっと精神が壊れてしまいました。う~ん、たぶん大丈夫だとは思いますが、これ以上は記憶の消去も人格の調整も出来そうにありませんね。少し面倒な事になりました』
グランエグゼは、お気に入りのおもちゃを壊してしまったかの様な残念そうな態度でタメ息をつく。しかし、少し考えてから結論を出す。
『まあ、壊れかけで死んでも大して困らないからこそ、大胆な使い方で戦果を上げられる場合もありますし、今後はうまく誘導して死ぬまで酷使すれば良いですよね。どうせもう、死んでも誰も困らない存在なのですから』
グランエグゼは、新しい遊びを思いついた子供の様に楽しそうに笑う。そして、サクヤに向かって優しそうに話しかける。
『今度からは、少しアプローチを変えてお手伝いしますから、一緒に頑張りましょうね? ふふふ』
グランエグゼのその言葉は、サクヤの耳に届いていた筈だが、深遠に沈んだサクヤの意識には届いていなかった。
 




