第17話 苦しみと言う名の日常
リンドブルム、この国の日常は弱者にとって地獄の様だった。
かつては神意能力者もおり、経済的にも栄えていたこの国だが、その神意能力者がシルヴァリオン帝国に引き抜かれた辺りから歯車が狂いだし、徐々に今の形になっていった。
この国の日常、それは弱者が奪われ、強者が奪う、この二つだけで、殆どの国民は外から来た犯罪者に奪われるだけの存在となり、逃げる事も許されず、奴隷の様に酷使されていた。
「ふむ、なるほどなるほど」
この状況でも国王は何の助け舟も出さずに見ているだけで、兵士達も国民がどれだけ死のうが自分達しか守らない。そして、時には城に近付く一般市民を殺して回る事さえあった。
もう、この国には未来は無い。いっその事滅んでしまった方が、この世の為になるとすら思える惨状だった。
「ありがとう、助かったわ。それで、あなたはどうしたいのかしら?」
「言われた通り、情報を教えただろ! いっ、命だけは助けてくれ……!」
サクヤは四人を黙らせた後、リンドブルムに入ってから、次に話しかけて来た男に誘われるがまま付いて行き、路地裏で襲われそうになったところで反撃。ボコボコにした男からこの国の情報を聞き出していた。
「命だけで良いの? 謙虚ね」
そう言うとサクヤは両手に持った短剣で男の両目を潰した。これで男の希望通り命だけは助かったが、失明した男がこんな国で生き延びるのは不可能だろう。だがそれは、サクヤにはどうでも良い事である。サクヤは短剣に付いた液体を男の服で拭いてその場を去った。
「うーん、やっぱり神意能力者はもういないらしいわね。無駄足だったか……」
サクヤがエスタシアで仕入れた情報では、この国に神意能力者がいる事になっていたのだが、リーネ村で今が何年か聞いた時、その情報は5年前のものだという事が分かり、正直期待はしていなかった。
「しっかし、国民全員に国から出るか外すかしたら爆発する首輪を付けるとは、この国の王様は狂ってるわね」
その首輪の所為で国民は逃げられず、ならず者や、観光感覚でやって来た物好きな旅行者に好き勝手にされているのだった。しかも、この首輪の外し方は国王本人しか知らないという事だった。
「その技術力を他の事に使えば良いのに、王様ってのは目先の利益しか考えないのかしら」
正直目先の利益すら失っている様にも思えるのだが、これ以上はサクヤには関係の無い話だった。
「せめて新しい魔道具でも買えれば良かったけど、無理そうだしもう出て行こうかな」
こんな状況で店など開けば、その瞬間全てを強奪されてしまう。その為、リンドブルムでは現状営業している店が一つもない。その所為で、国民は食料さえ満足に手に入れる事が出来ない有様で、正直言ってリンドブルムは、まだ滅んでいない事の方が奇跡に近かった。
「おい、そこのお前、止まれ!」
「抵抗するなよ」
「はい?」
早速街を出ようとしたサクヤに声をかける二人組みの男がいた。
サクヤはまたかと思ったのだが、男達の服装は先程までのチンピラとは違い、革の鎧に槍というちゃんとした? 装備だった。
因みに、魔道具や魔法が発展し、存在理由が薄れているただの鎧も、一般人や弱い魔物相手には多少役に立つため、衛兵や山賊などが利用している場合がある。
「我々はリンドブルム王国軍の者である。悪いが、何も言わずに付いて来て貰おうか」
「抵抗しなければ痛い目を見ずに済むぞ」
どうやら目の前の男は衛兵らしいのだが、言っている内容は山賊と大して変わらなかった。男の方もその事に自覚があるらしく、嫌そうな表情をしている。
「理由が分からないのですが……、何故とだけ聞いてもよろしいでしょうか?」
「うるさい! だまれ! お前はただ我々に付いて来ればいいのだ!」
本当は捕まる事に心当たりがあったのだが、それを伝えてこない所を見ると、どうやら別件らしい。もう少し待ってもいいが、ここまで拒絶されると、話し合っても無駄なので、サクヤは両手を広げてを頭上に掲げ、無抵抗をアピールした。
「よし、良い子だ」
「ではこちらに……」
「形成」
無抵抗をアピールしたからといって、本当に無抵抗で捕まるとは限らない。魔法もある様な世界で、武器を持っていないという理由で油断するのは愚か者のする事だった。そして、愚か者には死が付き物である。サクヤはその男達にそれを教えてやろうと走る。
「――っな!」
「貴様!」
二人のうち、一人は一瞬で状況を理解し槍を構える。こっちは多少優秀みたいなので、サクヤはもう一人の方を狙った。
「――っふ!」
相手の武器が槍である事を考えて、一瞬で男の懐に入り込んだサクヤは、そこで自分の間違いに気が付く。
(あれ? 接近したらグランエグゼじゃ倒せなくない?)
グランエグゼの主な攻撃方法は突きであり、それは槍と似た攻撃方法だ。つまり懐に入られたら満足に攻撃できない。しかも、サクヤは腕力では一般人と大差が無いため、体格の大きい男に掴まれたら一発で詰む。どうやら、愚か者はサクヤの方だったようだ。
「うひゃあ!」
「なんだこいつは!」
「何がしたいんだよ!」
慌てて男から離れたサクヤはそのまま猛ダッシュで逃げ出した。必要の無い相手と態々戦うほど、サクヤは血に飢えてはいない。こういう時は逃げるに限る。
「はぁ、はぁ、危なかった……」
そのまましばらく走り、余裕を持って逃げ切ったサクヤは近くの建物に入り一息ついた。その時、サクヤは何か嫌な臭いを嗅いでしまい、吐き気を覚える。
「誰ですか……」
「――ん?」
建物はボロボロで、人が住んでいる気配は無かったが、どうやら先客が居たらしい。サクヤが声のした方に目を向けると、そこには汚れた赤髪の少女が居た。
「ごめんなさい、てっきり無人だと思ってたわ。私はサクヤ、あなたは?」
「わたしは……アリア……」
「へぇ、アリアちゃんね……」
目の前にいたのは、サクヤよりも頭一つ分小さいアリアという少女だった。その時サクヤは、この空間が異様な臭いで満たされていると気が付く。
「ここってあなたの家なのかしら? ご両親は?」
「お父さんとお母さんは出かけたまま……ずっと帰ってこないの……」
「ふーん」
話しながらサクヤはアリアの姿を確認する。アリアは腰まで届く赤髪をしたやせ細った少女だった。髪は何か臭くて汚い乾きかけの液体まみれで、顔も体も汚れてボロボロ。衣服は首の爆発の魔道具と薄い布を巻き付けているだけで下着も付けていない。
「あなたは一人でどうやって生活してるの? ご飯は?」
「一人……だけど……たまに……男の人達が……、痛い事する代わりに……ご飯をくれるんだよ……」
「痛い事ねぇ」
この世界では多少の傷ならば簡単に治る。という事は、どんなに痛い事をしようが、殺しさえしなければある程度は治ってしまうのだ。それは、する側にとっては便利な事で、受ける側からすれば終わらない地獄の様だった。
「そのご飯って、それかしら? それはいつ貰ったの?」
「これは今日の朝……貰ったの……」
「そう……」
アリアが今日の朝貰ったと言っているのは、腐って悪臭を放つ残飯だった。その男達は、アリアに会いに来る度にアリアで楽しみ、ついでに残飯を処分していっていた。アリアは男達がゴミとして捨てた物を、貰ったと思い込んでいるだけだったのだ。そして、アリアは水さえも、雨水が溜まったものを飲んでいる状態だった。
「おねえさん……どうしたの……?」
「――何でも無いわ」
目の前にいるアリアは、今のリンドブルムを象徴するような存在だった。正直言って見るに堪えないし、この場限りの偽善的行為以外でサクヤがアリアにしてやれることは無い。だからすぐにこの場から離れるべきだった。
しかし、サクヤはアリアから目が離せなかった。普通に考えればこの状況でのそれは、同情によるものであると思うであろう。だが、サクヤが思っている事は全く違った。
『神意観測装置起動。――対象の解析完了。眼前の対象は未覚醒神意能力者です。転生の能力エンドレス・ライフ。効果、死亡時に記憶と身体能力、その他肉体に宿る特有の力を引き継ぎ、初めから成長している個体で転生する事が出来る。欠点、復活する際の年齢、容姿、場所はランダムになってしまう。また、病死、自殺では発動しない。能力に覚醒してしまうと、死亡時に自動で転生してしまうので神意能力を吸収出来なくなります。覚醒する前に殺してください。いいから今すぐ殺せ!』
(殺したい、殺したい、殺したい、殺したい……)
サクヤは自分の中から湧き上がる殺意を抑えるが、その眼差しはアリアに釘付けとなり、知らず知らずのうちに笑みを浮かべていた。その表情は獲物を前にした獣の様にも見えた。
「おねえさんも……私に痛い事……しに来たの……?」
「えっ、なんで?」
「おねえさん……いつも来る男の人達と……同じ顔してた……」
「――っ!?」
サクヤはそれを聞いて急いで口元を隠した。アリアの言っていた事はある意味間違いではない。サクヤとその男達の違いは、求めているものが命であるか体であるかの違いしかなく、共に等しくアリアを欲しているのだから。
(あれ? 別にバレても困らないよね。どうせ殺しちゃうんだし。いや、それ以前に何で私、この娘を殺すのを躊躇っているのかな?)
サクヤは自分の中で生まれている感情が理解出来ない。本来サクヤは例え相手が無力な人間であろうと躊躇無く殺せる様、グランエグゼに調節されているのだから、この少女も息を吸うように殺せる筈なのだ。しかし、心のどこかで、この少女を殺したくないと考えている自分がいた。
だが、それでもサクヤには少女を殺さないという選択肢は選べない。
「……そうよ、アリアちゃん。私はあなたに痛い事をしに来たの。でもね、私は男の人達と違ってあなたが死んじゃうくらい痛い事をするわ」
「死んじゃう……くらい……」
その言葉を聞いて、アリアの暗い顔は更に暗くなる。それを見たサクヤは、胸がズキズキと痛むのを感じた。
「だっ、だけどその代わりに、私は男の人達と違って、あなたの願い事を一つだけ叶えてあげるわ」
「願い事……?」
「そうよ。両親に会いたいとかは無理だけど、私個人に叶えられる事なら、何でも聞いてあげる」
それは、これから少女を殺すサクヤにとっての今出来る最大限の譲歩だった。こんな事に意味は無い、早く殺すべきだと言う声が聞こえる気がするが、サクヤにはどうしてもこのまま殺す事は出来なかった。
「願い事か……」
アリアは考える。まず、この人はなぜこんな事を言うのだろうか。なぜ私を殺そうとするのだろうか。そして、自分に叶えたい願い事などあるのだろうかと。アリアは、このゴミダメでの生活で、他人に好き勝手される事に慣れてしまい、それ以外を考える能力が低下していた為、なかなか考えがまとまらない。
「あっ……」
考え続けたアリアが、たった一つだけ叶えたい願い事を思いついた。
「なにか思いついた?」
「うん……あのね……」
アリアの答えを聞こうとするサクヤは、優しそうな笑みを浮かべており、とてもではないが、この少女を殺そうとしている様には見えなかった。
「私……外の森にある泉で……ピクニックがしたい……」
「外って、リンドブルムの外って事?」
「うん……」
その場所はアリアにとって、両親と最後に出掛けた思い出の場所であり、歩いても一時間で着く場所だった。
「国の外か……」
しかし、アリアの首には爆発の魔道具が付けられており、その場所に連れて行く事は不可能だ。
「だめ……かな……?」
アリアにとってそれは、唯一であり最後の希望だった。恐る恐るといった風に自分の顔を見るアリアに、サクヤは出来ないとは言えなかった。
「わかった。その代わり、そこがあなたの死に場所になるけどいいのかしら?」
「はい……! ありがとうございます……!」
「――っ!」
自分を殺すと宣言した相手に、涙を流しながらありがとうと言った少女の姿を、サクヤは直視する事が出来なかった。
「じゃあ、準備をしてくるから、ここで待ってなさい。必ず迎えに来るから」
「わかりました……」
サクヤは話を終えるとすぐに家を出る。先程から頭の中に警告の様な言葉が響いている気がするが、全てを無視してサクヤは考える。
(どうすれば、あの首輪を無力化できるのかしら……)
色々と考えを巡らせたが、答えは一つしかなかった。
「国王に解除させるしかない……」
そして、サクヤはリンドブルム城へと向かった。
『あぁ、今までで一番うまく調節できたと思ったのに、こんなすぐに裏切られるなんて。私ってなんて可哀想なんでしょう。やっぱり御主人様は、しっかり調整しても御主人様なんですね。本当に悲しいです』




