冷え性なので
「冷え性なんです」
いきなりの告白にポカン、と魔王の目が丸くなった。
ここは魔王の自室である。
寝室である。
そして夜である。
「……………………………それが我にいったいなんの関係が」
ようやく吐き出したのはそんな言葉。
目の前にいるのは職場の鬼、宰相二号機と最近ではすっかり名高い異世界よりの迷い子、化野透子だ。
肩の辺りで綺麗に切りそろえられた黒髪、かっちりとしたスーツを着こなす姿は部下たちからも敏腕美人上司として名高い。
……おかしい。
確か次元の狭間を踏み抜いて、先日魔界の森に迷いこんだこの娘を部下が拾ってきた時には、奴隷として城に置くことが決まったはずではなかったのか。何故いつの間にかしれっと成り上がっているのだ。解せぬ。
思わず半眼で目の前にいる透子を見据えると、透子は理解のよろしくない子供にかんで含めるような口調で言われた。
「だから一緒に寝ましょう」
「すいませんお<s>還り</s>帰りください」
ちょっとうっかり本音が出そうになってしまった。
が、しかし残念なことに魔王の有り余った魔力をもってしても、透子を元の世界に還してやることは叶わなかった。異なる世界同士の接点はそれほど多くはない。幾つもの世界が揺蕩い、交わる中、透子は針の孔を穿つように、小さな接点を踏み抜いてこちらの世界に堕ちてきてしまった。魔王が透子を保護した時には、もうすでにその重なりは解けていて、こちらとあちらを繋ぐ接点はすっかり見えなくなってしまっていたのだ。
『私は……帰れないんですね』
そう言って悄然と項垂れた彼女を放っておくことができなくて、奴隷として城に置くことにした。魔王城には多くの魔族が生活しているが、人を喰らうほど血肉に飢えたものは多くはない。そしていたとしても、『魔王のもの』に手を出すことが許されるほど魔王城は甘くない。
奴隷。それはすなわち魔王である彼の所持品であるのと同じことなのだ。
が、奴隷は奴隷である。
異世界でいきなり奴隷の身分に落とされた彼女からは、さぞかし手酷い反発を受けるだろうと思っていた。だから、なるべく顔を合わせたくはないなーなどと思っていた。魔王は繊細なのだ。面と向かって血も涙もない下衆魔王と罵られでもしたら、MPが尽きて三日は寝込む。
だがまさかその顔を合わせていない間に、気づいたら魔王城の中で中間管理職にまで上り詰めているとは思わなんだ。
やたら宰相の魔王の仕事ぶりに対するチェックが厳しくなったと思っていたら、まさかの透子の暗躍である。それ以来、魔王は透子に仕事でがみがみ言われ、〆切に合わせて書類を取り立てられて……としごかれまくっていた。透子曰く、「ブラック企業の社畜なめんな」らしい。何それ怖い。人間界怖い。
そして、現状だ。
あんまりといえばあんまりな展開に血を吐きそうになりつつ、魔王は退かない。ここで退いたら押し切られる。
なんだってコワい部下にいきなり添い寝を強請られなければいけないのだろう。
「魔王様と一緒に寝ると悪夢を見ないという噂を聞きまして」
「……どこ情報だ」
「宰相です」
「あの野郎」
あの綺麗な顔をメリっと凹ませたい。
「悪夢を散らすだけなら夢魔でも可能だ。部下を使え、部下を」
しっし、と魔王は追い払うように手を振る。
が、彼女はめげなかった。
「仕事で疲れた部下に、プライベートでまで上司に付き合わせるのは可哀想でしょう?」
「………………………」
我はいいのか。我は。
上司ならプライベートに付き合わせていいのか。
というかいつから御前に部下が出来た。
思わず黙りこみつつも、ツッコミを口に出すことは出来なかった魔王である。
嗚呼、無念。
「………」
溜息混じりに、己よりも頭二つ分ほど小柄な彼女を見下ろす。
テキパキと仕事をさばき、場合によっては魔王を小突きまわして書類をとりたてるような彼女も、悪夢に怯えるようなことがあるのかと思うとなんだか不思議な気がした。
彼女にも、何かあるのだろうか。
この存在こそが魔王にとっての悪夢めいた社畜にも、怖いと怯える夢が。
「御前は……て、ちょッ、押し切るな、男の部屋に侵入するな!」
そんなことを考えていたら、気がついたら押し切られていた。
はッと振り返った時には、ちょいと魔王の脇をくぐりぬけた彼女が魔王のベッドで嬉しそうに横になっていた。さすが良いベッドを使ってますね、なんていわれても嬉しくない。包み込むような、背中から沈み込むような柔らかさが癖になる一級品だ。魔王様はベッドにだって拘るのである。
「さ、魔王様」
ぽんぽん、と枕を叩かれた。
枕を叩かれた。
枕 を 叩 か れ た 。
「……立場が逆じゃないか」
「いいんですよ、魔王様甲斐性ないですし」
「御前には魔王を敬おうという気がないのか」
「敬ってますとも。敬愛しておりますから添い寝してください」
…………。
はふり、と深くて重いため息をつく。
コワい部下ではあるし、何を考えているのかも全くわからないが、悪い人間ではないのだ。仕事の外では叱られることもないだろう、と思い直して魔王は自分のベッドへともぐりこむ。何だって自分は自分のベッドにもぐりこむのにこんなに緊張を強いられなければいけないのだろうか。
「……解せぬ」
「あんまり悩みすぎると禿げますよ」
しれりと言葉を返されるものの、彼女の体温でほんのり暖かくなったシーツは優しく魔王を迎える。一人じゃないベッド、というのはぬくもりが心地よい一方触れてしまったらどうしようかとドキドキする。
「………なんで端っこで丸くなってるんですか魔王様」
「御前は我がうっかりでも触れてしまったら速攻裁判に持ち込んでがっぽり慰謝料を持っていきそうだ」
「……貴方私のことをどんな目で見てるんですか」
「こんな目だ」
ごろりと寝返りをうって半眼で見てやる。
失礼な、と頬を膨らませてみせる顔が少し普段職場で見る顔よりも幼げで思わずぱちくりと目を瞬たいた。
「どうしました?」
「御前は――…プライベートだとそれなりに可愛げがあるな」
「―――……それなりとはどういう意味ですか」
ぎゅむ、と鼻をつままれた。
痛い、と呻くと楽しげに笑う振動がシーツごしにも伝わってくる。
「……まったく。我は寝るぞ。で、御前はどんな夢が見たいんだ。なんでも好きな夢を見せてやる」」
「あ、間に合ってます」
「は?」
「魔王様、私の話聞いてなかったんですか?」
「え」
「私、冷え性なんです」
「冷え性なのは我と寝る理由にはならないだろう」
「寒いから魔王様に暖めていただきたいんです」
「……げふッ」
思わず咽た。
――…魔王のベッドは暖かく柔らかで極上で、たまに部下が紛れ込む。
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