不毛地帯
セレミーは師匠を訪ねてバイユ王都から徒歩で二日の距離にある街イセトに来ていた。ここはバイユ王都内では許されない飲み屋街が王都の代わりに繁盛しており、裏通りには第二の街シュビエと並ぶ規模のいかがわしい店が軒を連ねている。黒神の呪いに疲弊した王国にあっても歓楽街は尚栄え、街壁の外には避難民の作るスラム街まで形成されている。
その街中、猥雑な裏路地にある突き当たりの一つにある〝赤い爪〟という名前の掘られた、真っ黒な板に赤い爪痕の看板がぶら下がる小さな店に入ると、重厚なカウンターの奥に目つきの鋭いバーテンが一人で立ち、店の奥には扉が一つだけ見えた。
何かの煙が立ち込める店内で客が数名ギロリと新顔を睨めつける。そして見知った顔だと分かると、興味無さ気に視線を散らした。
相変わらず鬱陶しい客達に不思議と安心感を覚えながら、奥に居るであろう師匠の元へとズンズン進む。
奥にある扉には、セレミーの兄弟子にして、ズカに次ぐ高弟たるズーパンチが張り付いており、彼女の姿を見ると、
「よう! 久しぶりだぜ〜、元気にしてたかい? 子猫ちゃん」
手を上げて陽気に話しかけてくる。暗い店内で黒い肌は闇に溶け込み、真っ白な目と歯だけが浮いた様に際立って見えた。
「ズーさん久しぶり、私は元気よ。師匠は居る?」
気心の知れた相手に声が弾む、一時期裏稼業の教育係として世話になった彼は、きさくな性格で誰からも好かれていた。
数日前に連絡を取っているので居ることは分かっていながらも一応聞く。何せ忙しい師匠の事だ、予定が変更になる事も過去に多々あった。
「ああ、いらっしゃるぜ、朝からお前をお待ちだ」
おかしな敬語も仕方ない、彼はまともな教育など受けたこともない処か、浮浪児だった所を師匠に拾われてから、言葉遣いなどは仲間内から教わった程度の物。これでもマシになったと師匠達は笑って言っていた。
行くとは言っていたが、待ち望まれる様な覚えの無いセレミーは、半分疑問に思いながらも扉をノックした。
「入っとくれ」
ハスキーな女の声がする、久しぶりに会う師匠に少し固くなったセレミーは、
「失礼します」
と言うとドアを開けて中に入った。昼なお暗い窓の無い部屋には、独特な香りをたてるお香が焚かれており、修行時代の様々な記憶を想起させられる。スカウトにとって特定の匂いを体に纏わせる事は決して良い事では無いが、師匠にとっては必要な措置らしい。
真っ暗闇にも猫人族の眼は即座に対応し、長椅子にユッタリと腰掛けた師匠の姿を捉えると、その足元に片膝をついて頭を垂れた。しかし全身黒装束で固めた師匠は、闇に目が慣れてもなお輪郭がボヤける様にしか視認できなかった。
「セレミー、タガル大陸より帰還しました」
最大限に畏まって頭を下げるセレミーに、
「うむ大儀じゃったの、で、話とは何じゃ?」
ハスキーな声の持ち主は、身振りでセレミーに立ち上がる様に指図すると、壁際の椅子を勧めた。
「はい、報告の通り以前より監視の命を受けていた少年に、獅子族の女戦士が同行しているのですが、最近彼女と義姉妹の契りを交わしました。そこで、暫く仕事が無いようでしたら、彼女達に同行したいと思っているのですが、いかがでしょうか?」
壁際の椅子に腰をかけつつも、懇願する様に師匠を見つめる、この人に嘘をついても無駄な事なので、素直に自分の思いをぶつけて見た。
「うむ、そんな事だろうと思ってたよ、いいじゃろ、好きな様にせい」
意外にあっさりと承認されたセレミーが喜んで、
「ありがとうございます!」
と跳び上がりそうになるのを制して、
「ただし私達も一緒だよ」
そう言って完全装備を整えた猫人族の老女は身軽に立ち上がった。
警護兵にシーメンスバイユまで連れて来られたイザ達は、以前の様に入り口での武器の提出を求められた。
しかし、それに応じようとしないラヴィが、警護兵達を威嚇して険悪な雰囲気を作り出す。
王女より授かった大剣べフィーモスを手離せない彼女が、牙を剥き出して提出を拒絶すると、その反抗的態度のせいで入館を断られた。そして元々呼ばれていなかったドゥーとワンジルも一緒に外で待機する事に決める。
おもに主人の心配をしたワンジルが、不穏な気配を纏う建物を嫌い、イザに着いて行きたがるドゥーを止めたのが大きかったが、嫌な思い出しか無い場所に何も知らないドゥーを近づけたくないイザが強固に同意した事で、王都内に宿を取り待機する事に決定した。
冷たい大理石でできた巨大な建造物はなけなしの体温を容赦無く奪う。それはトラウマとなった数々の検査の記憶と共に、実際の温度よりも寒々しくイザの気を沈めた。
『不気味な所ね、苦手になるのも分かるわ』
警戒心を露わにしたスイが先導する男を眺めながら、魔力の漏洩を極力絞って呟く。不穏な気配はしかし、スイの張る感知結界にかすりもしなかった。
「おひさしぶりですね〜、木精の子も今回は元気そうだ」
不意に入り口近くでサイプレス教授がニコニコと後ろ手を組みながら声を掛けてくる。
王立古代魔法院シーメンスバイユの最高責任者たるサイプレス教授が直々にイザを迎え入れた。
建物の最深部に連れて来られたイザは、サイプレス教授の研究チームの面々に囲まれると、早速様々な実験の被験者にされる。
だが、以前の様な血肉を搾り取られる検査は少なく(有りはしたが)主に他の魔力性質を取り込める〝合水〟や摂取した者を操る性質をもつ〝魔水〟を生み出し、それを分析するという地味な実験が魔力の続く限り粘り強く続けられた。
以前の検査後、イザがタガル大陸をめざしてバイユを離れて暫くすると、研究室内に保存された肉水は作用しなくなったらしい。その原因は時間経過のせいでは無く、術者たるイザと肉水の距離であるとの仮説が立てられていたが、今回の実験で事実である事が証明された。
それは肉水のみを抽出し、兵隊達に配備するという当初教授ら立てた計画を狂わせたが、サイプレス教授達は時間を掛けて新たに別の計画を準備していたらしい。
その計画の全容を知りたがったスイ達だったが、サイプレス教授達の口は固くそれは明かされなかった。
唯々「だいじょ〜ぶですよ」と軽薄に繰り返す教授に、今後どの様な計画に参加させられるのか分からない二人は、対策の取れない不安をジワジワと募らせた。
最低限の休息で魔力を搾り取られる二週間程の実験で肉体的にも精神的にも干からびた頃、おもむろに解放されたイザは、その足でバイユ王城に呼び出された。
そしてその場で仲間達と久し振りの再会を果たす。
ドゥー、ワンジル、ラヴィの他に、港で別れたセレミーも居たが、彼女はイザの知らない人物を二人連れていた。
一人はドゥーやワンジルと同じ黒人の男。ワンジルよりも少し背が高く、身のこなしや腰に差した細身の剣から俗に剣士と呼ばれる人物なのでは? と推測された。艶消しの黒い革鎧は所々が複雑な模様の刻まれたプレートで補強されており、剣と合わせて業物である事が感じられる。
もう一人は、セレミーと同じく全身を黒装束で固めた猫人族の老女だった。漆黒の髪と雪白の肌、まなじりにシワを刻む切れ長の大きな瞳や鮮やかな真紅の唇は、自信を表すかの様に微笑を携えており、まるで将来のセレミーを思わせる彼女は老いて尚美しかった。
「お主がイザじゃの、不肖の弟子がお世話になった」
隣に立つセレミーの頭を無理やり下げさせる。普段反抗的なセレミーが為されるがままに無抵抗な事に驚きながらも、お世話になったズカさんの師匠に当たる人物と思い至り、大物を目の前にした緊張で返事も固い物となった。
『この二人、特に女は要注意だね、闇の精霊の力を強く感じる』
スイも警戒心を露わに警告してくる。
「こいつはズーパンチ、儂はハードキィじゃ、ズーとハーと呼ぶがええ。ここの皆とは挨拶済みじゃでの」
ハードキィと名乗った猫人族の老女が挨拶する。笑顔になっても目の奥は見る者を射抜き、油断の無い身のこなしは美しくて引き込まれる程しなやかだった。
慌てて挨拶を返すイザに王の間へと呼び出す近衛兵の声が掛かる。
途端に緊張感がピークを迎えたイザは手足をぎこちなく動かしながら近衛兵に従って生まれて初めて王の間へと足を踏み入れた。
王立古代魔法院シーメンスバイユとは違い、大理石造りの中にも暖かみを感じさせる内装、小国とはいえ国の最高責任者たる王様が鎮座する部屋は、田舎者のイザからすると信じられない程豪華なものだった。後ろには仲間達がゾロゾロとついて来る。彼らも王様に呼ばれたらしい。
事前に教えられた通りに目を伏せて、王を直視しないように歩くと、近衛兵は所定の位置でピタリと止まり、
「イザとその連れの者をご案内致しました」
王に告げるとクルリとイザ達の方に向き合う。自分よりも数段格上の人物を連れと言われ少し引っかかりを覚えながらも跪いて言葉を待った。
「苦しゅうない、表を上げい」
美麗なバリトンボイスで告げられた宣言に許しを得ると、顔を上げて王様を見上げる。そこには英気溢れる、青年期を超えた立派な男の姿があった。
輝くような民族衣装に全く引けを取らないオーラを放つ王は鼻筋の通った精悍な顔付きをしており、毛髪の一本も無い頭部には、独特の紋様を刻む魔法印が薄っすらと光を放っている。
「今日呼び出したのは他でもない、お主の故郷にも関係する話なんだが」
流石の王も少し言葉を躊躇いながら、
「昨日緊急の連絡が入った。シュビエ東北部の地域一帯全てが、黒飛蝗によって全滅した」
苦味を伴う発言に美麗な声を濁らせた王は、信じられない事を宣言した。




