epi-17:終わらせるべき物語 全てはそこに
――目が覚めた。
――するべきことがなんなのか、すぐに分かった。
0
血に染まった白いカッターシャツを見て、長い眠りから目覚めた大家さんは、すかさずこう言った。
「大丈夫かオメェッ! 何があったんだよッ!」
「そのまま返しますよ、その台詞」
とあるビルのフロア。
グリーン製の睡眠薬を飲まされていた刃渡荘の住民達を、無理矢理起こすのには苦労したが、やはり大家さんを起こすのはもっと苦労した。
殴っても蹴っても起きない彼女は、冬眠以上の眠りをしていたに違いない。
フロアには大きな窓があったが、今ではそれを黒い布で被ってある。
隣のビルが火事であることを知ったら、刃渡荘の住民は黙ってはいないからな。
「おいッ! 病院行くぞ! 何があったか知らねーが、やせ我慢すんじゃねーぞッ!!」
俺の腕を強引に引っ張り、外へ出ようとする大家さんに、笑顔を向ける。
「大丈夫ですって、大家さん。見ての通り、ピンピン!」
両手を上げ、おどける。
「ふざけんなッ! 大丈夫なわけねーだろッ!!」
やはり。
冗談が通じない大家さんだった。
「……」
それほど本気で怒っているのか、それとも心配しているのか。
俺は、これ以上大家さんに迷惑をかけないように、無理矢理に大家さんの肩を掴んで、その場に座らせる。
「なにして――」
「もうこれ以上――借りは作りたくないんですよ」
金も。
住居も。
家族の事も。
「だから――見過ごしてください。俺は大丈夫なんで、助けはいりませんよ」
本当は――痛いさ。
激痛が今でも走る。
立つ事が限界なのに。
でもこの人には――もうこれ以上心配をかけたくなかった。
「ふざけんなバカヤロウ――」
でも。
それでも、彼女は俺を無視して、俺の手を振り払い、ゆっくりと立ち上がっては俺の頭を掴んだ。目線をチラリと彼女に向ければ、憤怒したような表情で、俺を見下ろしていて、――そして大家さんは言った。
「お前がどうだろうと、私が助けるって言ってるんだよ」
助けを求めてなくても――助けるのは当たり前だ。
そうだった。
今の俺が育ったのは、全てこの人のお陰じゃないか。
この人には――勝てない。
「……すいません」
涙は出なかった。
代わりに出たのは――謝罪だった。
「何謝ってんだか」
掴んだ俺の頭をぶるんぶるんと振り、ようやく放してくれた。
ゆっくりと顔を上げ、大家さんを見た瞬間――
「助けてくれて、有難うな」
誰かを救う事の出来る力なのかは定かじゃないが、
この『完全念力』は、確かに今、人を救った。
でも、誰かの命を救っただけで、自分の気持ちに『救った』という思いは生まれないだろう。
初めて「有難う」と言われて――誰かを、助けた事を実感した。
1
壊れたドアが目印の――我が二〇四号室。
直すのに一日もかからん、と言っていた大家さんだったが、壊れてから一週間。未だに我が家の出入り口が開きっ放しなのに変化はなかった。
七時一四分を示す時計を見て、学校へと向かうために外に出る。
鞄を肩に提げて、階段を下りると、思わぬ人物と出遭った。
「よぉ」
身構える。
あの――全身に『KEEP OUT』と書かれたパッキングテープを貼り付けた超能力者が、刃渡荘に入る手前に立っていた。
「おいおい、そんなに怖い顔するなよ。ほれ、今回はやり合いに来たわけじゃない」
と言いながら、両手を上げるキープアウト。
一般道路の中に全身白い衣を羽織り、変なテープを貼り付けた人間を見たら、即刻通報するのは人間の一般常識。もしもここで通報するべきならば、俺は携帯電話を持っていないことに後悔をするしかないのだろうか。
というか感電死事故を引き起こした殺人犯が、こうのこのこアパートにやって来て、治安はどうにもならんのだろうか。
見た目派手なのに、意外にも地味な存在なんだな。
「……ここで話す」
と、階段を下りたが一階段上がり、彼との距離を一〇メートルは離した。
「へ。今でも敵視されてんのか、俺は」
「貴方が敵じゃないなら、誰が敵だってんだよ」
一体誰だ?
シグナルかアップルかリーフかエメラルドか大家さんか俺か。
「さあね。敵が誰だろうと俺にはどーでもーんだけどさ。――今日は全く別の件について、お前さんに用があってきたのよ」
そしてキープアウトは、指をパチンと鳴らすと同時に、火花を散らせた。
「ご存知の通り――俺の『焼殺の光』は健在中だ。どういう意味かは、分かるよな?」
「……あ、ああ」
それはつまり、彼はあの四人組から憑依しているアパリッショナル宇宙人を消されては、いないということになるのだろう。
宇宙人狩りを目的としている、と最初に言っていた彼女達だが、それも俺の『完全念力』のための糸口にしか過ぎないと知った今では、驚きはしない。
「結局、あの宇宙人達はお前を手にするために地球にやって来たんだ。お前のその『完全念力』を手にするためにな。だけども、それは失敗に終わった。『完全念力』の反撃と、裏切りによる所為でな」
「ちょっと待て。どうして貴方はそんな詳しい事まで知ってるんだ?」
俺でさえあの時まで認知していなかったが、彼が知っているということに驚いてしまうのが当たり前だろう。
赤の他人――とは言えないが、出遭うまでは見知らぬ仲だったのに。
彼はあの時も――『完全念力』と口にしていた。
「あ、それ聞いちゃう?」
「聞いちゃう」
「ズバリ――ポニーテールの宇宙人から聞いたのさ」
「……」
なるほど。
シグナルか。
「ということはつまり――お前はあの時俺と闘っていた時点で、既にもうエメラルド達を裏切ってたってわけか?」
「エメラルドってのは?」
「あの長い黒髪の――」
「貞子か」
「貞子言うな」
しかし――あの長い黒髪の、だけで誰か分かるというのは、エメラルドも相当印象強い格好をしているんだな、と改めて実感する。
「ああ、まあその通りだな。お前と闘うことは、そのエメラルドって奴から聞く前に――ポニテの宇宙人からざっと聞いてたよ。しかし、いざ本番となるとウズウズしてなぁ、ついつい本気で殺そうとしてたけど……しかしあれが偽者のお前さんって聞いたときは、なるほど合点承知だったよ」
ポンッ、と右手を左手の掌に置くキープアウト。
誰から聞いたのだろうか?
シグナルか、シグナルかシグナルだな。というか、シグナルからとしか考えようがない。
「エメラルドって奴から聞いたときは、知ってたなら先に教えろよッ、って身体で突っ込んだが、一〇メートル離れられたよ」
「そりゃまあ、貴方のその姿な――あ……?」
待て。
エメラルドから聞いただって?
思わず足が一歩前に進む。
「エメラルドから聞いたって……どういうことだよ?」
「どういうことだよって、ただ待ち合わせ場所で集合した時に聞いたのさ。『終章、最終進化間全体』は失敗に終わりました、お疲れ様でした――って言われてから、エメラルドって奴に全てを聞かされたよ。まあ、その後殺されそうになったから逃げてきたんだけどね」
「全員いたか?」
「全員? 全員って誰だよ?」
キープアウトの反応に、すぐに理解する事が出来た。
そうか。彼はグリーンの暗殺係をあくまで全ては知ってないのか。
「四人だよ。ポニテに、金髪に、散切り頭に、ボッサボサ黒髪の四人セット」
「へいへい」
と、「確かにいたなそいつら」みたいな声を出してきたキープアウト。
「確かにいたぜ、四人共。個人個人が特徴的な四人組だったぜ。――チームワーク抜群のチームってのは、肌で実感したしな」
おいおい。
それってつまり――いや、考えない事にしよう。
あくまで仮説として脳に保留しておく事にする。
こんな時、俺の『完全念力』が上手く発動できればいいのだが、生憎全くといっていいほどその気配を見せないのだから困ったものである。
横の階段の手すりに手をつき、体重を右にかける。
「はあ……」
「朝から溜め息かい。暗い青春送ってんのね」
「ええまあ。物凄く暗い青春送ってます」
「そういう奴がおかしくなって、この世を変な方向に持ってくんだよ」
「貴方が言うな!」
渾身の叫び。
さすがのキープアウトも、これには思わず身体をビクッとさせた。
「おいおい。朝から良い声出すじゃねーか。熱い青春送ってるのね」
「もういい」
これ以上ダラダラと喋る気はなかった。
というか、もうそろそろ刃渡荘を出ないと、学校に遅刻してしまう。
だからといって、彼の横を通り過ぎるというのも、聊か厳しいところではあるのだが。
「……そろそろ学校へ行きたいんで、お引取り願いたいところだったりするんですけど」
恐る恐る訊いてみる。
「ついていってやるよ」
「有難く遠慮するぜ」
「保護責任者として」
「不審者という間違い、ということで」
「不審者というの名の命の護り人という設定で」
「警察に捕まれ」
「警察から逃げ回る不審者という名の命の護り人という過酷な設定で」
「轢かれろ今すぐ」
馬の耳に念仏とはこの事か。
何を言っても無駄じゃねーか。
「あのな玩具の少年――」
と。
不意に、トーンの下がった声を出してきた。
今までの彼のちゃらけた雰囲気が一変したような感じがしたので、すぐに身構えたが、彼がこちらに危害を加えることはないと確信する。腕組をしながらこちらを見つめる『KEEP oUT』の文字を見つめる。相手は、俺を『玩具の少年』と呼んでは、続けてこう言った。
「冗談のつもりで言ったつもりだが――生憎九九%は本気になっちゃうんだぜ、俺の言葉。お前はよ――全宇宙人から狙われてんのよ」
オーマイゴッド、と良い発音をするキープアウト。
Oh my god。
「は……? は?」
呆れて――言葉を詰まらせてしまった。
「『完全念力』を持った人間を、戦力にしたいと欲する輩は、なにもあの四人組だけとは限らない。世界が、宇宙が、お前のその力を狙ってる。我が物にしようとな。これで終わったと思うなよ、玩具の少年。『完全念力』を手にしてしまったことを、後悔しろ」
けけけ、と笑う彼。
「誰かはお前を見てる。お前は――いつ何時何処ででも殺される事が出来る」
殺される――ことができる。
俺自身が求めていない結果を、手にすることが出来る。
皮肉な言い分を聞いても、これといって身震いなどをすることは出来ずにいた。
誰かが俺を見てるという実感がしなかったために、そこまでの恐怖を感じる事は無理だった。
「強大な能力を持つと呼応するように、自分自身は、強大な死を迎える準備をしなければならない。それが、たとえ求めぬ運命であっても、お前さんが『完全念力』を持っている以上、これから先――普通は待っていない」
闘わなければ生き残れん! と最後に言って、キープアウトは刃渡荘の前から颯爽と姿を消した。
なんとも言えないさよならの仕方に、距離を置いていた自分がどうでもよくなってきた。
さすがに彼の言った事に、適応することは不可能だろう。
かといって、彼の言っていることが嘘だとは思わない。
「確かに、狙われてるんだよな……」
今こうやって呟いているが、それさえも誰かに聞かれているのだと考えた時、思わず震えてしまったのは、――誰かが見ているからではなく――宇宙人が本当に存在しているとつい最近知ってしまったからでもなく――ましてや死ぬ準備をしなくちゃいけないという醜い思考を働かせてしまったからでもない。
世も末だな。
そう――思っただけである。
「ホントにそうだよな」
足を進め出す。
向かう先は俺が通う高校。