18話 食事
討伐の依頼をまた一つ受けた。その足取りは重かった。昨日の討伐依頼が想像を遥かに越えた物だったのだから仕方が無い。
だけどここを乗り越えなくては、この世界を冒険なんて言う大きな事は出来ない。
ヘディガ―を扱いなれていない俺は、二人に左右に並ぶよう見張ってもらっていながら目的地まで進む。
あかりと忠則も会話をしているが、つい先日の様な明るい笑顔には戻ってはいない。
特にあかりは朝ごはんを食べる事が出来ず、体調も良くないようだ。だがどんなに体調が悪くても今回、皮を剥ぐ事を行うのはあかりだ。
俺と忠則が言った訳じゃないく、あかり自身が俺達に申し出たのだ。何度か辛そうにしているあかりを、俺と忠則が皮剥ぎを交代しようかと申し出たが、拒否し続けた。
目的地には昨日より速く着く事が出来たし、俺もヘディガ―の扱いに慣れつつあった。まぁ打撲と内臓へのダメージはあまり減っていないが……。
あかりは自分の頬を叩き気合を入れて俺と忠則に声をかける。
「じゃあ歌うわ、今回もしっかり捕まえてね」
俺と忠則にしっかりと告げる。覚悟を決めたのか、しっかりとした声で生気が感じられた。
あかりは共鳴歌を歌う、昨日とはまた別の曲の様だ。昨日と同様、歌詞の意味は分からなかったが、心が落ち着く。今回の共鳴歌の効果は安らぎを与える力が大きいようだ。前回よりも小動物達が広範囲に渡って、気持ち良さそうに眠っていた。
眠っている動物達が多いので、警戒心が少なくて良いが、前回の様にあかりの周りに集まってはいないので周囲を見渡さないといけなかった。
「見つけた……」
俺は息を吐く様に呟く、タブリブは2匹同時に現れた。俺は忠則の方を見てアイコンタクトを取る。
2匹のタブリブは微妙な距離を置いてあかりの近くで寝転がっていた。
見る限り一人では2匹を一緒に捕まえる事は出来ない位置に居た。片方を捕まえたらもう片方は目を覚まし逃げてしまうだろう。
忠則も2匹のタブリブに気が付いていたようだ。タイミングを見計らい、同時に捕獲しようと何とか意思疎通に成功し、行動を開始する。
この枯葉や枯れ木が無造作に落ちている雑木林で、音を立てずに歩くのは至難の技だが、あかりが歌っている間なら、大きな枝を折る様なミスをしなければ気付かれる事は無いだろう。
一度あかりの方を見ると視線が合った。まだ意識はしっかりしていて、俺達の状況も把握できている様だ。頑張ってとウインクをして、余裕がある事をアピールしてきた。
昨日より俺の負傷が少しだけ減った事や、タブリブを発見するのが早かったからまだ数分の余裕はあるのだろう。
あかりから視線を放すと忠則がタブリブまで一気に接近していた。飛び込んで網を投げればもう捕獲できる距離まで来ている。
俺は急ぎながらも慎重に足元とタブリブを交互に見て、距離を測りながら進む。忠則より少し遅れたがタブリブを捕獲できる一に着く事が出来た。
忠則と視線を合わせ同時に頷く。その時、俺達を見ていたのかあかりが歌うのを止めた。歌が止まった事に気が付いたタブリブは目が覚める。状況を把握できていないタブリブに忠則と二人で同時に網を放った。
逃げ切れる事無く捕まったタブリブは未だに抜け出そうと暴れている。捕まえた時の達成感は昨日と変わらず良かったが、この後の事を考えると素直に喜べなかった。
捕獲に成功したのを確認しにあかりがこちらに向かって走ってくる、顔色は悪くなく目も死んでいなかった、まだ心を消費しきっていないようだ。
「捕まえた?」
「あぁしかも二匹だぜ! 昨日より良い報酬が手に入りそうだ」
忠則は捕まえたタブリブをあかりに見せる。いつもの様に明るくあかりに振る舞う忠則だが、いつもより元気があまりない様に見える。
忠則もこれからの事を考えてしまうのだろう、俺は昨日の事を思い出すと手が震えだしてしまう、出来ればもう二度とあの様な体験はしたくなかった。
忠則が獲物を持ったまま少しの無言が続く。風と小鳥の囀りだけが聞こえてくる状況が、少しの間続いた。俺が何か言おうかと考えていると、最初に口を開いたのは意外にもあかりだった。
「さて川辺に行きましょう、こんな所で時間を潰すより宿で本を読んでいたいわ」
驚いて何も言えない俺と忠則はそのままあかりの後ろをついて行く。そのあかりの後ろ姿は決意をしたのか堂々と雑木林の中を突き進んでいく。
川辺までの距離は歩いて10分程度の場所にある。その間に忠則はあかりの決意を見て自分が情けなくなっていたのか、悔しそうな顔をしてブツブツと何かを呟いていた。
一人で何かを呟いている姿は気味が悪い、それが忠則となると尚更だ。この大きな図体で顔を歪ませて下を向いている。それだけで迫力のある姿なのに、聞き取れない声で延々と何かを呟き続ける姿はホラーでしか無い。
結局俺は一人で先に進んでいくあかりと気持ちの悪い忠則に何も言えず、居心地の悪い10分間を体験する事になった。
もうすぐ川辺に着くか言う時に、いきなり大声を出す忠則。木に止まっていた小鳥達が数羽飛び立った。
俺とあかりはもう慣れていたが、忠則を知らない奴の9割以上はこいつを不審者だと認識するだろう。ここに俺達以外の人間がいなくて良かった。
大声を出した忠則はその勢いのまま、あかりが持っているタブリブを一匹奪い取った。
「俺もやる、2匹いるだろ? 丁度いいじゃねぇか」
威勢の良い声で話す忠則の手は震えていた。それに対して俺は何も言えない、昨日の俺も似た様な感じだったのだろう。
二人は既に準備を始めていた、俺は何も言えなかった。言える事は無かった。これは自分自身との戦いだ。自らの意思で「生き物を殺す」と言う行為を行わないといけない。
あかりがタブリブに手をかける、大きな鳴き声と共に視界が赤く染まっていく。
あかりは目を背けず、歯を食いしばり必死に手を休めなかった。目には涙が溜まり赤くなっていた。タブリブの鳴き声は直ぐに止み静かになる。あかりの頬に涙が伝う。
忠則もあかりに続きタブリブの息の根を止める。震えている手を必死に動かしていた。タブリブが動かなくなった時、忠則は手を放してしまった。死を自らの手の中でしっかりと感じて恐怖したのだろう。
二人は昨日俺を見て、皮の剥ぎ方や血抜きの方法を事前に勉強していたのだろう。その手はゆっくりとだが迷いなく進んでいく。
先に終わったのはあかりだった。その顔は返り血と涙でグチャグチャになっていた。静かに、顔を洗って来るわと俺に一言つぶやき川の上流へ歩いて行った。
忠則が終わったのはあかりが戻ってきたころだった。無言で俺にタブリブの皮と肉を渡すと少し離れた所で吐いていた。あの忠則が食べた物を吐くと言う事は耐えきれられない事だろう。
吐いた後直ぐには戻ってこなかった、俺とあかりに顔を見せない様に木陰で休んでいた。その姿は見た事の無い悲しげな背中だった。
俺が何度かヘディガ―に突き飛ばされる苦痛を乗り越えて、国に帰還した時には二人の調子は戻って着ていた。少し辛そうな部分も見えたがもう大丈夫だろう。
ギルドで依頼達成報告を行い、報酬を貰う。昨日より討伐対象が増えた分、報酬も多くもらえた。まだ生き物を殺すと言う行為に慣れてはいないが討伐数が増えると言う目に見える成果は俺達の自信になる。
「さぁ飯にしようぜ、俺は昼の分もしっかり食わないといけねぇからな」
忠則が元気よく俺達に話しかける。タブリブの処理の後に吐いた事を、ネタにできる程には調子が戻っているようだ。忠則が元気だと俺とあかりも自然に笑みがこぼれる。
いつもはただうるさく、面倒くさく、鬱陶しいだけの、忠則の軽快な笑い声や一方的なキャッチボールも気分が沈んでいる時は本当に助けられる。
一人で先に飯屋に突き進む忠則を追いかけながらあかりと視線を合わせ笑いあう。
「私達に暗い雰囲気は似合わないわね」
「そうだな」
飯屋に着くと昨日の様に肉を渡し調理をして貰えないかと交渉し、承諾してもらう。昨日の様な暗い雰囲気はそこには無かった。乗り越えたとは言えないが、乗り越えるための心構えは出来た気がした。
料理が運ばれ、手に入れた肉が机に並ぶ。笑みは止み静かになる。決して暗い雰囲気ではなかった。俺達の眼には光が宿っていた。皆真剣になる。
「いただきます」
俺は祈った。生き物を食べると言う行為に謝罪ではない感謝を。今日も食事を出来ると言う感謝を。
生きていると言う実感を食事を一口一口しっかり噛み締める。俺は自然と声が出ていた。
「美味しいな」
「……あぁ美味ぇ」
「そうね美味しいわ」
少しずつ会話が続いて行く、昨日の様な暗い雰囲気はそこには無かった。まだ空元気でしか無いが、俺は乗り越えられると確信した。俺達なら大丈夫という根拠は無い確信。
今はそれだけで十分だった。前に進む力はまだ俺達にある。足を止めていけないのだ。
最初の討伐依頼の日から15日が経過した。俺達は動物を討伐に対する考え方を変えた。討伐は自らの食糧を手に入れる為の行為だ。その過程で、余すことなく活用する為に毛皮を剥いでギルドに持っていく。
討伐依頼は毎日行った。昼までにタブリブを捕獲できた時は、自分達で調理して食べた。この数日で、食に対する考え方や、生き物を殺すと言う意味が身にしみて分かった。
まだまだかもしれないが、この世界で生き抜く為に一歩一歩成長して行っている感覚がしっかりと感じられた。
そして、タブリブや他の動物の討伐に慣れて、この日も依頼を終えた後、飯屋に来ていた……。
「無理だ! 嫌だ! 出来るか!」
俺は叫んでいた。周りから見れば子供が親に駄々をこねる様な状態だったかもしれない。
だが嫌な物は嫌なのだ、俺はまだ死にたくない。
「大丈夫だって、俺は黒野はやる男だと思ってるぜ!」
「うるせー! 何だよその適当な言葉と鬱陶しい笑みは!」
酒場の様な賑わいがある飯屋に来ていた俺達は、特に注目される事は無かったが、それでも大きな声で必死に抵抗している俺の顔を見ている人はいた。
俺が必死に抵抗している内要は『昇格依頼』だった。名前の通り昇格試験の様な依頼だ。
この依頼を成功すれば、俺達のギルドランクは最低ランクのFからCに一気に昇格出来る。
ギルドランクCに昇格出来ればもっと報酬の高い依頼を受ける事も可能になるし、一度に受けられる依頼の数も増やすことが可能だ。
基本的に昇格すると良い事しかない。更に今回俺達が目指している大会は、参加基準がギルドランクC以上と設定されていたはずだ。どう考えても昇格試験は受けないといけない。そう、受けないといけないのだが……。
「忠則良いのか? ヘディガ―と4日、5日も一緒に寝泊りすると言う事は、俺に死ねって言っているのと同義だぞ!」
昇格試験の内容自体は「薬草の採集」と言うそこまで難しくは無い。だが、問題はその薬草の場所だった。
採集場所はリーディアから遠く離れた山岳地帯。ヘディガ―を乗りこなせたとしても片道2日は掛かってしまうのだ。
そう、この依頼は数日の間国の外で寝泊りをしないといけないのだ。それもヘディガ―と一緒に……。
「大丈夫だって、黒野も結構丈夫になってきたじゃねぇか、今日だってヘディガ―に5メートルくらい突き飛ばされても直ぐに起き上がったじゃねぇか」
「それは大丈夫じゃないんだよ、突き飛ばされた後、更に追撃しようとしてきたヘディガ―から逃げる為に必死だったんだ。誰だって逃げるわ!」
「だけどよー、あんまり時間無いんだぜ? そろそろまずいんじゃないか?」
「うぅ……だけどなぁ……」
忠則の言葉に俺は否定が出来なかった。俺達はもう初めての討伐依頼達成の日から既に10日以上経過しているのだ。日数的にもそろそろ昇格依頼を受けないといけない時期だろう。
だが、それでも俺は死にたくない……、忠則とあかりには分からないだろうが、あの内臓がぐちゃぐちゃになる様な感覚と骨が折れる様な衝撃の痛みは何度体験しても慣れないし辛い。半日で死にそうになるのに5日間とか耐えられる気がしない。1日で死ぬ自信がある。
「諦めなさい、黒野。正直このままどれだけ時間をかけたってヘディガ―は大人しくしてくれないわ」
あかりが俺にトドメを刺してくる。あかりの言っている事は的を射ている、その通りだ。
正直、このまま此処で一カ月、一年とギルドの依頼を受け続けていてもヘディガ―は俺に対して過剰なスキンシップを止める事は無いだろう……。
どう考えたって前に進む為には昇格依頼を受けないといけない…………。
「わかった…………。だけど俺を全力で助けてくれよ。特にあかり、共鳴歌が歌えなくなったら俺は死ぬからな!」
「そんな残念発言を自信満々に言わないでよ……」
結局、あれだけ拒否していたが次の日に依頼を受ける事になってしまった。俺はその日の夜、これから起こるであろう恐怖に怯え、悪夢にうなされながら明日を迎える事になったのだった。