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第3話 到着


午後の陽射しはやわらかく、ヴァレンタイン家の門扉を淡く照らしていた。


馬車がゆっくりと止まり、扉が開く。


エミリは一度、深く息を吸った。

胸の奥にある緊張を、静かに整えるために。


「大丈夫」


小さく、自分に言い聞かせる。


手袋越しに指先を握りしめ、彼女は地面に降り立った。


目の前に広がる屋敷は想像していたよりも静かで、威圧感よりも整然とした落ち着きがあった。

広い庭、整えられた植栽、余計な装飾のない外観。


ここが、カイルの生まれ育った場所。


その事実だけで、胸が少し熱くなる。


門番が丁寧に一礼し、案内を告げる。

エミリは頷き、ゆっくりと歩き出した。


石畳の上を進む一歩一歩が、やけに重く感じる。


玄関扉が開いた。


そこに立っていたのはカイルだった。


いつもと同じ、静かな表情。

けれど、その目はやわらかい。


「来てくれてありがとう」


声は低く、落ち着いている。


エミリはほっとしたように微笑んだ。


「こちらこそ、招いてくれてありがとう」


二人の距離は近い。

だが今日は、少しだけ空気が違う。


カイルは一歩寄り、彼女の様子を確かめるように視線を落とす。


「緊張してる?」


「少しだけ」


正直に答えると、彼は小さく息を吐いた。


「俺もだ」


その一言に、エミリの肩から力が抜けた。


「本当?」


「ああ。父は理知的で冷静だ。だが鋭い」


「怖い?」


「怖くはない。ただ、見抜かれる」


エミリはくすりと笑う。


「隠し事はないわ」


「それでいい」


カイルは真っ直ぐに彼女を見る。


「今日、無理をする必要はない」


「でも、失礼のないようにしたい」


「その気持ちだけで十分だ」


短い沈黙。


屋敷の奥から足音が近づく。


「カイル」


落ち着いた女性の声。


現れたのは、品のある女性だった。

穏やかな微笑みを浮かべ、エミリを見つめている。


「はじめまして。あなたがエミリさんね」


柔らかな声色に、緊張が少しほどける。


「はじめまして。本日はお招きいただきありがとうございます」


丁寧に礼をする。


女性は頷き、やさしく言った。


「そんなにかしこまらなくていいわ。今日は家族として話をしたいの」


家族として。


その言葉が胸に残る。


カイルが静かに紹介する。


「母のイリーナです」


エミリはあらためて頭を下げた。


イリーナは二人を見比べ、少し微笑む。


「カイルがこんな顔をするのは久しぶりね」


「どんな顔ですか」


カイルが眉をわずかに動かす。


「大事なものを守ろうとしている顔」


エミリの頬がほんのり赤くなる。


カイルは否定せず、ただ静かに立っていた。


「中へどうぞ」


イリーナが案内する。


広い廊下を進みながら、エミリは壁に飾られた肖像画や調度品を目にする。

どれも落ち着いていて、華美ではない。


この家の気質が、そのまま空間に現れているようだった。


やがて応接室の前で足が止まる。


「父が待っているわ」


イリーナの声は変わらず穏やかだ。


エミリの心臓が、ひとつ強く打つ。


カイルがそっと視線を向ける。


「大丈夫」


今度は彼が言った。


その言葉は、さきほど自分が口にしたものと同じだった。


エミリは小さく笑い、頷く。


「ええ」


扉がゆっくりと開く。


室内は静かで、窓からの光が床に長く伸びている。


中央に立つ男性が、ゆっくりと振り向いた。


鋭いが冷たくはない視線。

背筋の伸びた姿勢。


カイルによく似ている。


「ようこそ」


低く、落ち着いた声。


「エミリさん、だね」


「はい。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」


言葉を選びながら、はっきりと告げる。


男性は一歩近づいた。


「私はレオニード・ヴァレンタイン」


その名が空気を引き締める。


エミリは目を逸らさずに見つめ返した。


その様子を、カイルは隣で静かに見守っている。


レオニードはわずかに頷いた。


「どうぞ、座ってほしい」


椅子に腰を下ろすまでの時間が、妙に長く感じられる。


しかし、逃げたいとは思わなかった。


ここは、彼の家族の場所。

そして今日、自分もその輪の中に立つ。


レオニードは向かいに座り、ゆっくりと口を開いた。


「まずは、ゆっくり話をしよう」


試すような圧はない。

ただ、見極めようとする静かな眼差し。


エミリは深く息を吸う。


逃げない。


カイルの隣に座り、正面を見つめる。


午後の光が差し込む部屋で、家族としての対話が始まろうとしていた。



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