第五章 夜を統べる影の王
世界の西方に広がる巨大都市国家〈ヴァル=ノワール〉は、昼よりも夜が長い街だった。
高層塔が立ち並び、魔導灯が空を照らし、貴族も商人も盗賊も、すべてが同じ夜の帳の下で息をする。表では交易と文化が花開き、裏では血と金が流れる。
その裏社会を、誰よりも深く、静かに支配していた存在がいる。
名を、ルシアン。
だが、その名を知る者は少ない。
彼は孤児だった。路地裏で生まれ、名前も持たず、盗みと喧嘩で生き延びた。生きるためには奪うしかなかった。奪わなければ、奪われる。そんな世界だった。
十歳の冬、彼は裏組織〈黒鴉〉に拾われる。拾われたというより、試された。三日間、何も食べず、何も飲まず、追われ続け、生き延びた者だけが入団を許される。
ルシアンは生き延びた。
彼には特別な力があったわけではない。魔力も少なく、腕力も平凡。だが、彼は“見えない”。気配を消す才能が、異常なほどに高かった。
足音を殺し、呼吸を浅くし、存在そのものを薄くする。暗闇の中で、彼は影と同化した。
十四歳の頃、彼は初めての任務を受ける。標的は、裏社会を牛耳る大物貴族。護衛は一流の騎士団と魔導結界。正面突破は不可能。
だがルシアンは正面から入った。
誰も彼を見なかった。
門番も、騎士も、犬も、魔導装置すら、彼を認識できない。彼はただ歩き、標的の寝室へ辿り着く。短剣を抜き、喉元へ。
「……誰だ?」
貴族は目を開けた。だが、視線は彼を捉えられない。
刃が閃く。
任務は成功した。
その日から、彼は〈影〉と呼ばれるようになる。
だが転機は、十八歳の夜だった。
黒鴉の内部抗争が起きる。幹部同士の権力争い。裏切り、毒、暗殺。組織は崩壊寸前だった。
ルシアンは静観していた。どちらに付くかなど、どうでもよかった。ただ、生き残るだけだと思っていた。
しかし、育ての親とも言える幹部が、裏切りによって殺された。
血に染まった部屋で、彼は初めて感情を爆発させる。
怒り。
影が、膨れ上がる。
部屋の灯りが消えた。いや、消えたのではない。光が、彼の影に飲まれたのだ。
ルシアンの影が、壁を這い、天井を覆い、部屋全体を包み込む。影は実体を持ち、刃となり、槍となり、牙となる。
裏切り者たちは逃げようとするが、遅い。影は音もなく首を刎ね、心臓を貫き、悲鳴すら奪う。
数分後、抗争は終わった。
生き残ったのは、ルシアンただ一人。
彼は理解する。自分は“気配を消す”だけではない。“影を操る”のだと。
光がある限り、影は生まれる。影がある限り、彼の手は届く。
ヴァル=ノワールの裏社会は、静かに彼の支配下に入った。彼は王を名乗らない。だが誰もが知っている。夜の本当の支配者は、彼だと。
ある夜、都市の塔の頂で、彼は黄金の光を見る。
空に浮かぶ塔の幻影。
「八つの最強を集めよ。最後の一人に、願いを与えよう」
願い。
ルシアンは考える。
この街から、争いを消せるなら。
裏社会を、血ではなく秩序で統べられるなら。
それは、悪くない。
彼は外套を翻す。
「退屈しのぎには、丁度いい」
影が足元から伸び、彼の身体を包む。次の瞬間、彼は消えた。
夜そのものを従える男。
光を喰らい、闇を武器にする支配者。
人々は彼をこう呼ぶ。
――夜を統べる影の王。
そして、その異名は定まる。
《冥影支配者》ルシアン・ヴァル=ノワール
彼もまた、最強。
これで五人。
剣、海、銃、拳、影。
それぞれが頂点。
それぞれが譲らない。
全員最強。
全員優勝狙い。
黄金の塔は、静かにその到来を待っている。




