第十章 蒼と影、静かなる殺意
舞台は、海へと変わった。
正確には、海の“ようなもの”だ。
無限の水面が広がり、水平線は見えない。空は曇天。風はなく、波もない。ただ静かな水面が、鏡のように広がっている。
中央に立つのは、セレナ。
足元の水が、彼女を支えている。
対するは、ルシアン。
だが姿はない。
水面に揺れる影だけが、彼の存在を示していた。
黄金の存在が告げる。
「開始」
瞬間、海が荒れた。
セレナの周囲から、巨大な水柱が立ち上がる。無数の水刃が空中に展開され、全方位を制圧する。影が潜む余地を与えない圧倒的制圧力。
だが、ルシアンは焦らない。
影は水面を伝い、波紋の中へ溶け込む。水がある限り、そこに影は生まれる。光が曇天にある限り、影は消えない。
セレナが静かに言う。
「出てきなよ」
返答はない。
次の瞬間、彼女の背後から黒い刃が伸びた。
影の槍。
だが、水が弾く。
槍は水膜に阻まれ、届かない。
「……なるほど」
ルシアンの声が、どこからともなく響く。
「完全防御か」
セレナは答えない。
代わりに、海が動く。
水面が盛り上がり、巨大な水竜が形を成す。咆哮とともに、影の気配へ襲いかかる。
だが水竜は途中で裂ける。
影が、水そのものを“飲み込んだ”。
黒が蒼を侵食する。
セレナの瞳が細まる。
「影が……水を?」
「光があれば、影は生まれる。水面も例外じゃない」
影が海底へと潜り込み、セレナの足元を覆う。水面が黒く染まる。
セレナは静かに目を閉じる。
「なら――光を消す」
曇天が裂け、完全な闇が訪れる。
光源が消えた。
影が、消える。
ルシアンの姿が、一瞬だけ露わになる。
その瞬間。
海が割れた。
奈落が口を開ける。圧倒的水圧が中央へと収束し、ルシアンを押し潰そうとする。
常人なら即死。
だが彼は笑う。
「甘い」
足元の“自分自身の影”が膨れ上がる。
完全な闇でも、影は存在する。自分が立つ限り、足元に。
影が巨大な盾となり、水圧を受け止める。
衝撃が空間を震わせる。
観戦席。
ヴァルディウスが低く呟く。「面白い」
エリシアは冷静に分析する。「持久戦になれば、海のほうが有利」
アイリスは無言で銃を撫でる。
戦いは、次の段階へ入る。
セレナの封印が、わずかに軋む。
海神の力が滲み出す。
水が蒼を越え、深淵の黒へと変わる。
ルシアンは察する。
「本気か」
海が、意思を持つ。
巨大な渦が形成される。中心は、奈落。
引力のように、影を引きずり込む。
ルシアンは影を広げ、空間そのものを黒で覆う。海と影が拮抗する。
だが。
ほんの一瞬。
セレナの瞳に、迷いがよぎる。
封印を解けば、戻れないかもしれない。
その刹那。
影が背後に立つ。
刃が喉元に。
止まる。
セレナは、微笑んだ。
「……負け」
水が静まる。
ルシアンは刃を引く。
「なぜだ」
「封印を壊してまで勝つ意味は、今はない」
黄金の存在が告げる。
「勝者――ルシアン・ヴァル=ノワール」
セレナの身体が光に包まれ、観戦席へ。
ルシアンは無表情のまま影へ戻る。
これで、準決勝進出は二人。
レオン。
ルシアン。
残る二試合。
黄金の存在が告げる。
「第三試合」
舞台が変わる。
荒野。
立つのは――
アイリスと、エリシア。
不滅と、永劫。
死ねない少女と、終われない魔女。
全員最強。
全員優勝狙い。
次に進むのは、どちらだ。




