十四節
十四、下照彦尊令飼部禦倭都。一日飼部十失。
下照彦尊問之。衛士答曰「在夷。曰『刈部』蓋衛士為夷所虜」下照彦尊命力達尊討之。刈部郷在東四百里於倭地。家粗。食芋。力達尽燬郷而、虜百夷。刈部曰「飼部尽為我所食」下照彦審之曰「若在食人者、必罰之」以罰夷以数七十。残夷皆心服倭。
十四、下照彦尊飼部をして倭都を禦がしむ。一日、飼部の十、失はる。
下照彦尊これを問ふ。衛士、答えて曰く「夷あり。『刈部』と曰ふ。蓋し、衛士は夷の虜するところとならん」と。下照彦尊、力達尊に命じて之を討たしむ。刈部の郷倭地より東四百里にあり。家は粗にして。芋を食ふ。力達、郷を尽く燬ひて、百夷を虜とす。刈部曰はく「飼部尽く我が食するところとなる」と。下照彦之を審りて曰はく「若し人を食ふ者あらば、必ずこれを罰す」と。以て夷を罰すること以て七十を数ふ。残る夷は皆倭に心服す。
十四、下照彦尊は、飼部を衛士として倭都の警備を命じた。ある日、そのうちの十人が消えてしまった。下照彦尊はこれについて問いただした。衛士は「東に『刈部』という蛮族がいます。思うのですが、消えた衛士というのは、この蛮族に捕まったのではないでしょうか」と。下照彦尊は力達尊に刈部の討伐を命じた。刈部の郷は倭地から東に四百里いった場所にあった。家は粗末で、芋を食べる民族である。力達尊は郷をまったく焼き払い、刈部を百人捕虜にした。捕虜が言うには「とらえた飼部は皆われわれに食べられてしまった」とのことであった。下照彦尊はこのことについて審理を行って、「もし人を食べた者があれば、必ずこれを罰する」とした。そうして蛮族のうち七十人が罰せられた。残る蛮族は皆、倭に従った。
夷:東の蛮族
刈部:九馬三族(九馬、希斗、刈部)。このなかでは最も野蛮に描かれる。
里:倭里は日本の里より短く、中国の里に近い。約400メートル。




