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ルルシアの魂胆、ここに成就せり

作者: 糸真希

 




 五百年の歴史を持つ、ここダイナル王国には、今年で成年を迎える王女がいた。王女の名前はルルシア。見目麗しいルルシアは、ダイナル王国で稀に生まれてくる聖なる力を持つ聖女であった。ルルシアは幼少期からその力を使い、王族であるにも関わらず分け隔てなく国民を助けてきた。

 気高く美しい王女ルルシア。他国の王侯貴族から婚約の打診が来ることも多くなってきたが、ルルシアはそれに首を縦に振ることは無かった。


「姿絵を見て求婚してくるのでしょうけど、実物に会ったら尻尾を巻いて逃げるに決まってるわよね」


 ルルシアは美しいが、背が高く筋肉質だ。王族ならではの圧倒的な存在感とオーラを放つ彼女には、並大抵の令息では相手にならないだろう。


「殿下、そのような事は……」


 ルルシアが鼻で笑うのを、護衛の男が首を振って答えた。護衛の男、イグニスは近衛隊の副隊長を務めている獅子の獣人だ。獣人がこの役職に就いているのは大変珍しい。




 ルルシアが初めてイグニスに出会ったのは、聖女として城下町で癒しの力を使い怪我人を癒していた頃だった。

 ルルシアは今でも覚えている。昼過ぎから絶えずやって来る怪我人を癒し続け、夕方になり城へ戻ろうと教会を出たあの時。

 夕日がオレンジ色に輝き、細長い雲はそのオレンジ色を受け黄金に輝いていた。家々を囲うレンガは夕日に赤く色付き影は濃く色を落として、その中をルルシアは近衛兵に囲まれて歩いていく。

 馬車までの数メートルの距離の中。目に留まったのは、夕陽を受けて輝く濃い黄金色のイグニスの鬣だった。ルルシアは見惚れて立ち止まってしまった。美しい鬣に。精悍なイグニスの顔立ちに。幼いルルシアは一目でイグニスに恋に落ちた。

 イグニスは獣人ながらも騎士団入団後すぐに頭角を現し、近衛隊に配属されるまでになった、有望な騎士だった。しかし近衛隊に配属されたばかりの、しかも獣人という事もあり、ルルシアからは離れた場所での護衛だった。

 ルルシアは城に戻るとすぐに父親である国王の元へ向かった。執務室で難しい顔をしていた国王は、ルルシアが来た事を知ると顔を綻ばせた。


「ルルシア。今日は市井で仕事をしていたんだったね。どうだったんだい?」


 国王は横に来たルルシアを両手を広げて迎える姿勢をとった。ルルシアはその前で、もじもじとしながら口を開いた。


「お父様。今日の護衛に獣人の方がいらっしゃったのだけれど……」


 国王は騎士団長から、今日からルルシアの護衛に獣人が加わる事は聞いていた。向上心があり真面目で信頼出来る者だと報告を受けている。しかしルルシアがこうしてその者について、何かを訴えに来たという事は何かあったのだろう。

 国王は心配するような視線をルルシアに向けた。


「どうかしたのかい……?」


「その人を、私の専属の護衛にしていただきたいのです」


 国王は予想もしていなかった返答に目を丸くした。目の前の可愛いルルシアは、頬をピンク色に染めて真剣な表情で国王を見つめている。


「何か理由があるのかい?」


「えっと……すごく、綺麗だったんです……お父様、お願いです。私、これまで以上に頑張りますから。もう我儘も言いません。ですので、どうか……」


 国王は目を閉じて様々な感情が渦巻くのを胸の内に押し留めた。今までだって、ルルシアは勉強も、聖女としての仕事も頑張ってきた。我儘だって言ってきた事はなかった。これが最後の我儘だと言う可愛い我が娘……。


「そうか……騎士団長と相談してみよう。すぐに返事が出来なくて済まないね」


「いいえ……お忙しいのに、申し訳ございません。それではお父様、失礼いたします」


 ルルシアは国王にハグをすると、カテーシーをして退室して行った。

 可愛い末娘の初恋か……国王はその晩、王妃の胸で少し泣いた。



 イグニスは騎士団長に呼ばれたことで緊張していた。日々の護衛任務に加え鍛錬も生活態度も規律を守り、騎士団員としてあるべき姿であろうと努力を怠らなかった。今回、何故自分が呼ばれたのか、イグニスは心当たりがなかった。いや、一つだけ……やはり、獣人である自分が護衛に居る事を、ルルシア殿下が不快に思われたのか……イグニスは沈む気持ちを無理矢理押し込め、騎士団長が待つ部屋の扉を叩いた。

 すぐに返事があり入室すると、ルキウス騎士団長とマルス近衛隊長の二人がイグニスを待っていた。


「イグニス、お前はこれからルルシア王女殿下の専属護衛となることになった。これはルルシア王女殿下たっての希望だ。王女殿下の期待に恥じぬ働きをするように」


「はっ!……拝命いたします」


 ルキウス騎士団長の言葉に頭を垂れたイグニスだったが、頭の中は疑問符でいっぱいになっていた。自分はルルシア殿下から離れた場所で護衛していて、目覚ましい活躍はしていなかった。そもそも、そのような活躍をするようなトラブルなどなかった。イグニスがルルシア殿下の護衛に就いてからは、至って平和な毎日だった。だからこそ、自分が選ばれた理由が分からない。


「専属となると、今まで入る事のなかった場にも行く事になる。そういった場での立ち振る舞いも学んでもらう。王女殿下の恥にならぬよう、精進するように」


「はっ!精進いたします」


「では、ルルシア王女殿下に挨拶に参る。ついて来なさい」


「はっ!」


 イグニスはマルス近衛隊長の後ろを、気を引き締めて歩いた。ルルシア殿下の深いお心など、自分がいくら考えたところで分かるはずがないのだ。とにかく、自分はルルシア殿下の期待に応えよう。何があっても、ルルシア殿下をお護りする。真面目なイグニスは、そう心に固く誓った。


「ルルシア殿下、失礼いたします」


「あら。マルス隊長、どうなさいましたか?あ……」


 自室で読書中だったらしいルルシアは、顔をあげマルスの方を見て首を傾げた。そしてマルスの後ろの立つイグニスに気が付くと、頬を染めて目を見開いた。

 本を置いて立ち上がったルルシアはマルスの元へ来ると、マルスとイグニスを見上げて微笑んだ。


「私の専属の護衛の許可が下りたのですか?」


「左様でございます。殿下。イグニス、挨拶を」


 マルスに促され、イグニスはルルシアの前に出ると片膝を付き頭を下げた。


「イグニスと申します。身命を賭して、御守りいたします」


「イグニス。そうね……これからよろしく」


 これしてイグニスがルルシアの専属護衛となった。この日から、ルルシアは特に聖女としての力の使い方を学ぶ事により一層励んだ。そして、数年後のある日ルルシアは兄達の剣術の鍛錬を見学しに行った。


「お、ルルシア。珍しいな」


 長兄のオニキスがルルシアに気が付くと、手を止め笑顔を見せた。次兄のエスタスもルルシアの方に顔を向けた。


「えっ?ルルシア、その服は、まさか、鍛錬しに来たのか?」


 ルルシアは普段着用することのないパンツスタイルで、片手に鍛錬用の片手剣を持っている。驚いた顔をしているエスタスに、ルルシアはにっこりと笑顔で答えた。


「ええ。護身術として習いたいと思いまして。お邪魔はいたしません。隅の方でイグニスに習いますので、よろしいですわね?」


「分かった。怪我に気を付けて」


 許諾以外の返答を受け入れないルルシアの言葉に、オニキスは苦笑しながら答えた。


「ありがとうございます」


 聖女らしい微笑みを浮かべたルルシアは、鍛錬場の隅にある打ち込み用台の方へ向かった。イグニスはずっと困惑した表情を浮かべており、イグニスの心労が見て取れるオニキスとエスタスは顔を見合わせ苦笑した。

 また打ち合いを始めようと構えた時だ。バキィッという何かが壊れる音が鍛錬場に響いた。オニキスとエスタスはその音がした方に慌てて顔を向けた。あちらはルルシアが歩いて行った方だ。彼女に何かあっては……。


「え……?」


 二人は目を丸くして、ただその光景を見ていた。目に映る光景を理解するのに時間がかかっている。

 それは、この場にいるルルシア以外の者全てがそうであった。

 ルルシアは壊れた打ち込み台の前で片手剣を鞘に仕舞った。その表情は満足そうに微笑んでいる。

 打ち込み台はまるでオーガに引き裂かれたように、斜めに割れていた。


「うまくいったわ。イグニス、見てた?」


「……はっ!しかとこの目で。お見事でございました」


 予想外の出来事を前に呆けていたイグニスは、ルルシアに声を掛けられ我を取り戻し慌てて頭を下げた。ルルシアはにっこりと笑顔をイグニスに向ける。とても満足そうだ。


「ルルシア?何が起こったんだ?」


 オニキスが訳が分からないという表情でルルシアの元へ来た。エスタスもオニキスと全く同じ表情をしている。


「お兄様。ちょっとした実験です。遥か昔の聖女達は、聖なる力で人々を癒すだけでなく、身体強化の術を使い、モンスターを倒す補助の役割を担っていたそうなんです。ですので、私も出来るのではないかと思いまして試してみました。成功ですわ」


 そう言うルルシアは少し得意そうだ。ルルシアは聖力が強く、城下で仕事に出る日も、本来ならば一日かかる仕事をすぐに終わらせてしまう。何なら城下に下りずとも、城下町に居る者全てを癒す事くらい簡単なのだが、聖女である王女殿下が姿を見せる事が重要なのだそうだ。異論も無ければ嫌でもない為、ルルシアは週に一度、城下へと仕事に赴いている。

 それ程までに強い癒しの力を持つルルシアは、力を持て余してした。そして城で保管されている大昔の聖女の手記から、身体強化の術の記述を見付け試してみたのだった。


「こんな事も出来ますのよ」


 得意気なルルシアは、剣を鞘から抜くと自身の左腕目掛けて振り下ろした。迷いの無い動きは早く、イグニスが慌てて腕を伸ばしたが刀身はルルシアの腕に勢いよく叩き付けられた。訓練用のものとはいえ、あの勢いで振り下ろされれば刃はめり込み腕は切れてしまうだろう。

 一同青ざめてルルシアに駆け寄ったが想像していた惨状は無く、嬉しそうな顔をしたルルシアが剣と腕を見比べている姿があるだけだった。


「ルルシア殿下……お怪我は?」


 イグニスが恐々声を掛けると、ルルシアはイグニスにとびきりの笑顔を見せた。


「無いわ!……うん!ちゃんと使えてる。もっと試したい術がいっぱいあるの!」


 こうしてルルシアは戦い癒す、国内最強の聖女となった。イグニスが守るから必要無いと訴えたがルルシアは聞き入れず、兄達と鍛錬し、驚くべきことにモンスター討伐にまで同行するようになってしまった。しかも、ルルシアが同行した討伐は毎回負傷者が出ない。ルルシアの団員からの支持は厚かった。

 ルルシアは体を鍛え討伐に参加するようになってから、か細かった体に筋肉がついた。背も高く迫力のある美しさから、国内に貴族令息からは一歩引かれていた。王家との繋がりを求める貴族達は、息子にルルシアを、と思う者がいなかったわけではないがその目論見が果たされる事はなかった。それは、これからも無いであろう。

 これはルルシアにとっては都合が良かった。ルルシアの思い人は、初めて会ったあの頃から変わっていない。真面目で苦労人なイグニスは、もう結婚の適齢期は過ぎているのだがその気配はない。もちろんそれは、ルルシアが手を回しているからであった。ルルシアの両親も兄弟達も、ルルシアの想いを知っている。ルルシアはずっと準備をしていた。




 そして求婚者達の姿絵を片手に自嘲する現在に戻る。

 自分を否定する言葉を放つルルシアを困ったように見るイグニスに、ルルシアは柔らかく微笑んだ。


「イグニス。私たち、結婚しない?」


 柔らかいビロード張りの椅子に腰掛けたルルシアは、リラックスした様子でイグニスを見上げている。一方イグニスが直立したまま目を見開いて固まっている。


「……はっ!で、殿下!お気を確かに……!なさいませ!私と結婚などと、自暴自棄になってはいけませんっ」


 呼吸さえ忘れていたらしいイグニスは、慌てて息を吸うとルルシアに訴えかけた。


「何故?イグニスは近衛隊副隊長で、侯爵の爵位も領地も与えられた。不相応だなんて思わないわよ?」


「しかし……私は獣人ですし……」


 ルルシアは小首を傾げてイグニスを見上げた。大変可愛らしい仕草であるが、本当に困っていしまっているイグニスはそれどころではなかった。しかしルルシアはイグニスの言葉に眉を寄せた。


「獣人の何が問題だと言うの?貴方は勇敢で誠実で、それでいてとても綺麗な男性じゃない。イグニス、貴方ずっと気付いていなかったでしょうけど、私、貴方の事ずっと好きだったのよ?」


 ルルシアは拗ねたように眉を寄せている。イグニスの胸に様々な感情が押し寄せてくる。言葉が喉の奥から出てこない。


「とりあえず、お父様も賛成してくださっているし、婚約しましょうか」


 根回しは既に済んでいる。ルルシアは笑みを深めてイグニスを見た。断る選択肢など無いに等しい。イグニスは頭が整理出来ないまま、静かに頷いた。



 頭が混乱している時、悩みを抱えている時、物事がうまくいかないと感じた時、そういう時は鍛錬をすると良い。イグニスは夜になると、一人鍛錬場で剣を振っている。筋肉を動かす事だけに集中し、頭の中をクリアにしていく。


「あ、イグニス!やっぱりここだったか!」


 明るく弾んだ声でこちらに向かって来るのは、ルルシアの兄、エスタスだった。


「エスタス殿下。このような夜更けに、どうされたのですか?」


 あの事以外に理由はないであろうが、イグニスは一応エスタスに問い掛けた。エスタスは嬉しそうな満面の笑みでイグニスの肩に腕を回した。


「聞いたぞ~!ルルシアと婚約したんだってな!」


「まだ……正式にはしておりませんが、後日、婚約の申し入れをさせていただきます」


「あれ?正式にはしてない?でもルルシアと父上はもう婚約式の日取りを決めようとしてたぞ?まぁ、ルルシアはお前の事、ずっと好きだったからなぁ。本当に嬉しいんだろうな」


 何故ルルシアが自分を好いているのか分からないままのイグニスは戸惑った表情で、エスタスの言葉に頷けずにいる。イグニスの様子に気が付かないエスタスは上機嫌で話を続けた。


「ルルシアが戦いの場に出るようになった理由知ってるか?イグニスを守りたかったらしいぜ?護衛は自分の命を盾にしてでも主を護るから、主がやられない位強くなれば問題ないからって。ルルシアのやつ、そこらの騎士より強くなっちまったもんなぁ。一緒に討伐に出ている騎士全員に身体強化の術かけて剣振ってる聖女なんて、見た事ないぜ。我が妹ながら、天晴れだよ」


 ——―身命を賭して、御守りします———


 ルルシアの護衛となったあの日、ルルシアに誓った言葉がルルシアを戦場に駆り出す事になってしまったのだと、イグニスはやっと気付いた。しかし、護衛は主を護るものだ。しかも護衛対象は王族だ。命に換えても御守りするのが自分の使命だ。

 後悔と使命感に苛まれているイグニスだったが、今ここで後悔しても、ルルシアがイグニスに恋に落ちた以上こうなる事は避けられなかっただろう。


「エスタス殿下。守られてばかりいる私ですが、伴侶として、ルルシア殿下を一生御守りいたします。私の全てを掛けて」


「……ルルシアは取り繕ってはいるがじゃじゃ馬だから、これからも苦労を掛けると思うけど、よろしく頼むよ。イグニスなら、任せられる……邪魔したな」


「はい。ありがとうございます」


 国を護る要と言われる程に成長したルルシアだが、彼女を可愛がってきた兄姉達にとってはやはり妹なのだ。大切な妹で、いつでも気に掛けている。

 イグニスはエスタスを見送ると、鍛錬を再開した。



 数日後、イグニスは退勤時間になるとルルシアに声を掛けた。


「ルルシア殿下、本日はこれで退勤させていただきますが、よろしいでしょうか?」


「ええ。今日も一日ご苦労様でした。ゆっくり休んでください」


 いつもならここでイグニスは一礼して部屋を出ていく。しかし今日はルルシアを見つめると意を決したように口を開いた。


「ルルシア殿下。来週の非番の日なのですが、殿下もその日は予定が無かったと思います。もしよろしければ、一緒にリューユスキーに行きませんか?」


 ルルシアはイグニスの顔を見上げた。ルルシアは驚いたように目を見開いている。イグニスから誘われるなんて、夢にも思っていなかった。緊張したような恥ずかしそうな表情でルルシアの返事を待つイグニスを見て、ルルシアは嬉しさが込み上げてきた。


「勿論!行くわ!嬉しい……初デートね。リューユスキーだと少し遠いわね」


「飛竜に乗って行こうと思います。私が操りますので、殿下にお手を煩わせる事はございませんのでご安心ください」


「そうなのね。ふふ、楽しみにしているわね」


 ルルシアは嬉しそうに顔を綻ばせている。イグニスはルルシアに一礼すると退室していった。


「一緒に飛竜に乗るという事は、密着することになるのよね~」


 想像するとにやにや顔が収まらない。ルルシアは初デートに心躍らせながら、それまでの日々を過ごした。




 初デート当日の朝、ルルシアは早くに目覚めると身嗜みを整えた。イグニスに可愛いと思ってもらいたい乙女心はあるのだが、今日は飛竜に乗る予定だ。悩んだ末に、ルルシアはパンツスタイルを選んだ。ルルシア自身も、竜騎士のように飛竜を操り空を駆る技術を持っている。スカートで飛竜に乗るとスカートがはためいて邪魔になる事を知っている。

 もちろんイグニスはそんな事を気にしない事も、ルルシアがスカートを身に着けていようが飛竜の操縦に問題が生じる心配だって皆無だという事もルルシアは知っている。それでもやはり……イグニスの迷惑になる事は減らしたい。


「だって、一番迷惑になる事をしてしまっているのだからね……それに、パンツスタイルの私も最高に素敵だもの!」


 鏡に映った自分の姿を確認し、自分を肯定した。後ろに控えた侍女も手を叩いて頷いている。


「仰る通りでございます。よくお似合いです!それに殿下、イグニス様はルルシア殿下とのご結婚を迷惑に思ってはいないと思いますよ」


「そうですよねぇ。イグニス様は、ルルシア殿下の事を何においてもお考えになる方でいらっしゃいますから。ルルシア殿下、よくお似合いです。デート、楽しんでいらしてください」


「ありがとう。行ってくるわね」


 侍女たちに励まされたルルシアは扉を開けて廊下に出た。廊下には既にイグニスが待っていた。いつもの騎士の隊服ではないイグニスの私服姿に、ルルシアは足を止めた。

 がっしりとした肉体を包む装飾の少ないコートは落ち着いた色だが気品がある。濃い黄金色の鬣は室内だというのに、いつもよりも輝いて見えた。


「ルルシア殿下。おはようございます。本日のお姿も、お、う、美しいです」


 イグニスは言葉に詰まりながらルルシアを賛美した。イグニスがこのように言葉を詰まらせるのは珍しい。耳まで赤くなっているところを見るに、照れているのだろう。

 イグニスに見とれていて動きが止まっていたルルシアは、イグニスの言葉に真っ赤になった。


「ありがとう。イ、イグニス!あなたも、今日もとても素敵だわ」


 初々しい二人のやり取りを、侍女の二人はルルシアの部屋から見ていた。嬉しそうに笑い合う侍女達と目が合ってしまったイグニスは、恥ずかしさで頬を赤らめながらルルシアに手を差し出した。


「……ありがとうございます。では殿下。参りましょう」


 飛竜がいる厩舎までは、王族の居住区域からは離れている。十年もの年月を共に過ごしてきたルルシアとイグニスだったが、ルルシアがイグニスにエスコートをしてもらったのは初めての事だった。仕事一筋でいままでやってきたイグニスは、エスコートをすること自体が初めてだ。

 そっと添えた腕から伝わる体温に、ルルシアはいつになく緊張していた。ちらりとイグニスを見上げると、イグニスも緊張しているのが見て取れる。頬と耳が赤くなったままだ。いつもよりも近くでイグニスの顔を見上げている。今日も綺麗だな。そう考えているとイグニスが口を開いた。


「いい天気に恵まれまして、良かったです。殿下が気に入っておられました店が、まだあると良いのですが」


「私が気に入っていたお店……?三年前の、ロノ村の?えぇ~?嬉しい!覚えていてくれたの?海老がいっぱいのパスタが美味しかったのよね」


 ロノ村はリューユスキー地方の小さな村だ。三年前、リューユスキーで魔物討伐に向かった帰りに立ち寄り、そのレストランで食べた隣国料理をルルシアは大変気に入っていた。ルルシアは忘れていた事だったがイグニスはそれを覚えていた。そしてイグニスがルルシアを喜ばせようと考えてくれた事が、ルルシアはとても嬉しかった。

 ワクワクした気持ちとイグニスの気持ちが嬉しく自然と笑みが零れる。ルルシアはイグニスを見上げると、優しい微笑みを湛えたイグニスと目が合った。

 なんという、破壊力のある笑顔なのだろう。そんな素敵な笑顔で見つめられたら、また心臓が正常な動作をしなくなってしまう。顔が熱くなるのを感じたルルシアは進行方向を見る事にした。時々我慢できずにイグニスを見上げると、優しく微笑むイグニスと目が合う。その度にルルシアは体は熱くなるし顔は赤くなってしまうし、この一日体が持つのだろうかと心配になった。


 飛竜舎に着くと、イグニスの飛竜は既に準備されていた。イグニスの飛竜はフィデスという名前で、薄いオレンジ色の鱗の少し大きな飛竜だった。すぐにでも飛べるという表情でフィデスはイグニスを見ている。


「準備、ありがとうございます」


「いえいえ!副隊長様と姫様の初デートですからね!しっかり準備させてもらいましたよ!しかしですね……」


 イグニスが飛竜舎番に声を掛けると飛竜舎番はニコニコと笑顔で答えたが、少し表情を曇らせた。


「どうかしたの?」


 ルルシアが問うと飛竜舎番は困ったような笑顔をルルシアに向けた。


「ああ、姫様。それが……」


 飛竜舎番が話そうとすると飛竜舎から飛竜の怒ったような声が聞こえ、飛竜舎番はまた困ったように笑った。


「アミティも一緒に行きたいそうなんです。今日はデートだからと言い聞かせましたが……最近姫様と飛んでいないので寂しいのかも知れません」


「アミティ……」


 アミティはルルシアの飛竜だ。確かにこのところ遠方に赴く事が無く、アミティの散飛は飛竜舎番や飛竜部隊が行っていた。


「アミティの準備には時間はかかるかしら?」


「いえ、すぐに飛べるようにいたします」


 飛竜舎番はすぐに飛竜舎に向かった。その後ろ姿を薄く微笑んで見送るルルシアに、イグニスは申し訳なさそうに頭を下げた。


「殿下。私の考えが足りず、申し訳ございません。殿下にご苦労をお掛けする事になってしまい……」


「いいえ。アミティに久々に乗れるのは嬉しいのよ。私が飛竜に乗るのが好きなの、知ってるでしょう?それに、ここに来るまでに貴方にときめきすぎて、大変だったんだから。きっと一緒にフィデスに乗ったら、リューユスキーに着く前に倒れちゃうわ」


 イグニスの謝罪を遮ったルルシアは、イグニスから目を逸らしながら口を尖らせた。そんなルルシアを見て、イグニスも笑顔になる。


「はは。もしそうなってしまっても、抱き上げてお運びいたしますよ。お任せください」


「もう。イグニスはずっとかっこよくてずるいわ。どうしたら、貴方をときめかせる事が出来るのかしら」


 不満げに眉を寄せるルルシアを、イグニスは熱を帯びた瞳で見つめた。


「私はずっと、貴方様を大切に思っていました。ルルシア殿下と結婚することになるとは、夢にも思っておりませんでしたが……」


 息が止まりそうな思いでルルシアはイグニスを見上げた。それではまるで、以前からイグニスはルルシアに慕情を抱いていたみたいではないか。いや、違うかも知れない。イグニスはルルシアに罪悪感を感じさせない為に、こう言ってくれているのかも知れない。

 ルルシアに注ぐ慈しむような、優しい眼差し……キュンとしたこの胸の痛みは、どちらなのだろう。




 飛竜に跨り上空を飛ぶのは気持ちが良い。地上では運動をしたわけではないのに汗をかいてしまったから尚更だ。少し前を先導するように飛ぶイグニスを見る。風に靡く鬣。微笑んでいるように少し上を向いた口角。遠くを見つめている瞳。思わずうっとりと見つめていると、楽しそうに笑うイグニスがこちらを向いた。


「見えてきました!そろそろ降りましょう!」


「え、ええ!」


 またしてもドキドキと大きな音を立て始めた心臓を落ち付かせながら、ルルシアは地上へと降下した。

 リューユスキーの港町は三年前と変わらず街並みが美しい。白い建物と青い海の色のコントラストに思わず目を細めた。


「ここの街並みは相変わらず綺麗ね」


「ええ。活気がありますし、良い町です」


 港に近い街道には新鮮な魚介類を売る店が並んでいる。屋台に並ぶ魚介の串焼きやクレープを見ながら、石畳をゆっくりと歩いた。

 散歩をしているだけでも楽しい。自然と笑顔になりながら綺麗な街並みを眺めていると、イグニスが手を握ってきた。

 ドキリとしてイグニスを見上げると、イグニスの方もドギマギした表情で赤くなっている。そのまま手を繋いで、海の見える石畳を歩いた。


 午前中を港町で過ごし、二人はまた飛竜に乗りロノ村へ向かった。ロノ村は断崖にある村だ。地上で港町からロノ村まで移動するとなると、一日かかる道程も飛竜ならばすぐだ。

 緑豊かで、眼下に青く輝く海を眺む素朴な村、ロノ村に到着した。標高の高い場所にあるロノ村だが、海岸からの距離は百メートル程という立地の村だ。眼下に広がる海岸線は、他ではなかなか見られない絶景だ。絶景が拝めるロノ村は観光地ではあるのだが、交通の便の悪さから観光客は多くない。地元民の長閑な生活の空気感を感じながら、都会の非日常を楽しむ事ができる。

 手を繋いでの散歩にも慣れてきた。言葉が途切れ、ルルシアがイグニスの顔を見上げると、イグニスの優しい瞳が微笑みながらルルシアを見返す。その微笑みの甘やかさに、今日は一体何回腰が抜けそうになったことか。


「イグニスは私の専属護衛になってから、恋人がいた事はなかったと思うのだけど、今までお付き合いされてる方がいたのかしら?」


 夕食の席で、今日一日ずっと気になっていた事をルルシアはイグニスに問い質した。今食べている、三年前にも食べた海老のパスタはとても美味しく、プリプリの海老は味も塩気も絶妙なのだが、イグニスの過去の恋愛が気になって気になって仕方ない。あの甘やかな視線を、他の誰かに送っていたのか……誰かに甘い囁きを送っていたのか……過去にまで嫉妬するなんてと思うが、このモヤモヤを放置する事は精神的によろしくない。


「いえ、おりません。そのような時間はありませんでした。殿下の専属護衛になるまでは鍛錬ばかりしておりましたし、殿下の専属になってからも勉強する事は沢山ありましたので」


「そうなの……不躾にごめんなさい。気になってしまって」


 ホッとしたルルシアは肩の力が抜け、柔らかく微笑んだ。


「王都に帰る前に、もう少しだけ散歩していきませんか?」


「ええ。名残惜しいもの。少し歩いてから帰りましょう」


 食事を終えてもまだ太陽は沈んでいない。夕日に輝く海は太陽の光を反射して輝き、対してその隣の影は黒く、光と影の隣合う世界は夕方特有のもの寂しさを感じさせた。遠くに見える海も空も、眼下の海岸線も、夕日に包まれ輝いている。


「綺麗」


 王都では見る事の出来ない景色に目を細めたルルシアは、風に吹かれ髪が乱れたのを手で押さえながら呟いた。反対の手はイグニスの手に繋がれている。温かく優しく繋がれていたその手は離され、どうしたのかとルルシアはイグニスを見上げた。見上げた先にはイグニスの姿は無く、イグニスは片膝を付き跪いている。


「ルルシア殿下。これまで十年余り、貴方様にお仕えしてきました。身命を賭してお仕えする事に変わりはありませんが、これからは貴方様を伴侶として愛する事をお許しください」


 イグニスの真剣な瞳に見つめられ、ルルシアの瞳が揺れる。体中を喜びが駆け巡っているかのような感覚が走る。


「許すも何も……こんな、貴方と無理矢理結婚する私を、愛してくれるの……?」


「私はとっくに、貴方様を愛していたようなのです。愛してはいけないお方だと、無意識に気持ちを封印していたのでしょう。貴方様と結婚する事になり、私は心の底から嬉しいと感じてしまいました。尊く美しい貴方様とは釣り合わない事は重々承知しておりますが、私の全てを貴方様に捧げます。この命ある限り、大切にいたします。どうか、貴方様を愛する許可を……」


「ゆる——」


 ルルシアは言い終わる前にイグニスに口付けた。急な口付けに驚いたイグニスは一瞬目を見開いたが、優しく背中に手を回し目を閉じた。長い口付けを交わした二人は名残り惜しそうにゆっくりと離れると、愛しそうにお互いを見つめた。

 イグニスは持っていた小さな箱を開けると、指輪を取り出しルルシアの手を取った。ルルシアは感激の余り涙が溢れそうになりながら、イグニスの指輪を受け入れた。


「ありがとう。いままで生きてきた中で、今日が一番嬉しい日だわ」


「殿下に求婚されてから、毎日が最上の日です。殿下、一つお願いをしても?」


 跪いたままの姿勢で、イグニスはルルシアの両手を包みながらルルシアを見上げた。ルルシアはキラキラした瞳でイグニスを見返し首を傾げた。


「私に守られていただきたいのです」


 真剣な表情のイグニスに対し、ルルシアは愉快そうに笑って返した。


「それはダメよ。私、貴方が力いっぱい抱き締めたって平気な位強くなったんだから」


 イグニスは困惑した表情でルルシアを見上げている。

 獅子の獣人の力は強い。抱き締める事が恐ろしいとイグニスに断られてはいけないと、ルルシアはイグニスの強い力を受け入れる事が出来るように、これまで聖力を高め鍛えてきたのだ。国を護る事は重要な事ではあるが、元々はイグニスの為だった。


 夜空に輝く星々のようにルルシアは微笑んでいる。その笑顔につられてイグニスも困ったように笑った。夜空を掛ける飛竜が二頭、楽しそうに羽ばたいた。ルルシアの魂胆、ここに成就せり。

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