第0章 第2話 グレムリンは闇夜を覗く…
駐車場は赤色灯の光に溢れていた。
麗羅が、騒ぎに飛び出した来た住民に、取り乱しながらも救急車を呼んでと叫んでいた。
踊りに座り込み三角座りをして茫然自失となっている敏郎が「桃華…桃華…」と繰り返している。
落ちてしまった。間に合わなかった。と何かに取りつかれたように繰り返していた。
ほどなくして、警察官が事情を聴きにやってきた。
麗羅は、桃華が残業続きで疲れていたことを、精神的に追い詰められていたと伝えた。
突発的な衝動があったのかもしれない、と自殺かもしれないとほのめかした。
住民からも最近は桃華を見かけていないと話がでた。
帰りを待つ敏郎が21時には帰っていく姿が見たという話もでた。
警察は、精神的に疲弊しているだろう二人には「大変でしょうが」と夜が明けたら出頭を依頼した。
桃華は意識不明の重体で病院に運ばれ、桃華の両親への連絡は警察がすることになった。
数時間に及ぶ処理をもって、住民たちは部屋へと戻っていった。
「もういいんじゃない?」
麗羅は、桃華のベッドに座り、部屋を見渡しながら敏郎に声をかけた。
桃華の部屋は、驚くほど飾り気がなかった。
白い壁に、木目調のシンプルな家具が並ぶだけ。
雑誌の切り抜きやポスターは一枚もない。
飾り棚もなければ、アクセサリースタンドもない。
見渡せば、生活のために「必要最低限」と思われるものだけが、規則的に並んでいる。
大人の女を演出するための「計算されたミニマル」ではない。
ただ、飾ることに興味がないのだろう。
服もごく少なく、色味は白か紺、グレー。
趣味はと聞かれれば、貯金か、仕事。
友人にそう話すと、「面白味のない女」と失笑されるのが常だった。
それなのに、なぜか麗羅は桃華と一緒にいる。
高校の頃から、ずっと。まわりからは不思議がられた。
「麗羅って、なんで桃華を誘うの?」
そんなこともよく言われた。
思い返せば、高校の教室でもそうだった。
麗羅は笑いの中心にいて、いつも誰かと何かを企んでいた。
桃華は、教室の端の席でひとり本を読んでいた。
話しかける隙もなければ、話しかけたいと思うような雰囲気でもなかった。
でも、それが始まりだったのかもしれない。
彼女は、転勤族の家庭で育ち、祖母の家に身を寄せていた。
高校も、知り合いがいない環境を選ばざるを得なかったらしい。
孤立を選んだわけではない。ただ、彼女には馴染むための手順がなかったのだ。
麗羅が最初に声をかけた。たぶん気まぐれだった。
でも、あの時の彼女の目を、私は今でも覚えている。
怯えているのでも、警戒しているのでもない。
ただ、「ありがとう」と言ったまなざし。
純粋すぎて、眩しかった。純朴、それは、隣にいてくれるだけで麗羅を艶やかにしてくれた。
「そう?」
敏郎は、頭をガシガシとかきながらベッドに寝転んだ。
シーツのしわを指でなぞりながら、麗羅はカーテンの隙間から差し込む街灯の明かりを見つめていた。
隣には、裸の上半身を無防備にさらして眠る天塚敏郎。
手首の内側をじっと眺めていたその視線が、ゆっくりと敏郎に移る。
「……ほんと、単純なんだから」
甘えるように言ったその声に、敏郎が目を細める。
「なにが?」
「べつに」
くすくすと笑いながら、麗羅は体を起こし、サイドテーブルに置かれたスマートフォンを手に取った。
画面に映るのは、高柳桃華の葬儀の案内。
桃華が息を引き取ったのは2日後だった。正確には翌朝には心停止が確認された。
両親の到着を待って、人工呼吸器は止められ、そのまま死亡が確認された。
そして、昨日、葬儀の知らせが届いた。
「準備、できてるんでしょ? 今日が本番なんだから」
「もちろん。あとはご両親にうまく『演じる』だけだよ」
敏郎は伸びをしながらベッドから体を起こし、カーテンを開ける。朝の光が彼の顔を照らした。
「葬式って、もっと重苦しいもんだと思ってたけど……意外と、気が楽になるもんだな」
「そう思えるのは、あなたが愛された側の顔をしてるからよ」
麗羅はそう言って、笑った。けれどその目は笑っていない。暗い影が、言葉の裏に潜んでいる。
葬儀場は白い花で満たされていた。
香の煙がゆらりと立ち昇る中、高柳桃華の写真が静かに微笑んでいる。
黒いスーツに身を包んだ麗羅は、祭壇の前に立っていた。
「どうして…こんなにも早く…(やっと……終わった)」
高校の友人たちに囲まれ、麗羅は吐き出しそうに声をだした。
心の中でそう呟きながらも、その表情は見事なまでに悲しみに染まっている。
涙を拭う仕草も、伏せた目元も、すべてが完璧な演技だった。
でも、本当は――
高校時代から始まった桃華への嫉妬。
誰もが彼女に微笑み、彼女を中心に世界が回っていた。
自分は、その隣にいるだけの存在だった。
そのことに気付いている麗羅の友人はいない。
気付かないようにそう立ち回った。
桃華は、桃華が気づいていないだけで、桃華と友人になりたい同級生は多かった。
何をするにつけても真面目に取り組む。苦手なものでも、真剣に向き合う姿に周りは引き付けられた。
張り出される実力テストの上位者には必ず名前が出ている。
両親が傍にいないからこそ、甘えることもなく、何事にも真摯に取り組んでいた。
だから友達付き合いが少なかった。それが麗羅にとっては都合がよかった。
ひとつひとつ違う噂を流すだけで桃華の周りから人は消えていった。
大学進学でも、結局、桃華のほうが偏差値の高い学校に、学部に進学した。
就職も、彼女は、正規で入社した。
自分は…どこにも内定をもらうことができなかった。
結局、桃華の真似をして勉強して取った資格が派遣会社の採用につながった。
恋人も合コンで手に入れたおかげで、敏郎よりもハイスペックな相手を得れただけ。
そんなことを気にしていない桃華にすればどうでもいい話だった。
つまり張り合うだけ自分が惨めになった。
仕事もそうだ。
同じ会社にたどり着いたものの…ただセクハラ、パワハラを楽しむ伊東に気に入られたからこそ嫌がらせができたに過ぎない。その嫌がらせのおかげで、精神的に病んでいた、ということできたから結果オーライだった。何よりもこれで、気持ちの悪い伊藤は会社から追われるだろう。
正規の空きができたことで、部署、唯一の派遣社員たる自分にお鉢が回ってくるだろう。
「ありがとう…桃華」
つぶやいた言葉とともに涙がこぼれた。
それにつられるようにして、周りの友人が泣き崩れ、早い別れを悲しんでいた。
こうしてみれば、桃華は、大学時代からの友人に囲まれる生活をしていたのがわかる。
自分の知らない世界での桃華。
その世界も侵しておきたい。そんな衝動に駆られる。
でも、それは、勝手に高校時代のクラスメイトが始めてくれる。
知らないところで桃華の評判を落としてくれればよかった。
麗羅にはもう一つすることが残っていた。
高校時代、長期休みのときに会ったことのある桃華の両親と会話をすることだ。
何せ、桃華の家に転がり込んでいるのだから…
そのまま譲り受けるか、無償で借りるかをする必要があった。
計画通りであれば、婚約者である天塚敏郎くんがうまく関係を作れているはずだった。
そして、それは、思いのほかうまく進んでいた。
もしよければ…と桃華の両親は部屋を使ってくれて構わないという。
水光熱費などのインフラについては新たに契約する必要があるが、家賃は不要ともうしでてくれた。
その代わり、固定資産税については住まいに届くことから頼まれた。
それくらい払えよ!と言いたいところだが、それでも都内に住むことを考えれば安いものだった。
敏郎も早く立ち直て新しい相手を見つけてほしいといわれていた。
もしよければ結婚でも決まった際には教えてほしいとまで。
すべてが順風に流れ出していた。
あと目の上のたん瘤になるのは、桃華の直属の上司である安西課長だろう。
彼女には嫌われている自信しかなかった。
葬儀が始まり、しめやかに式は進められていった。
葬儀の終盤、参列者が次々と会場を後にし始めた頃、二人の警察官が静かに入ってきた。
「天塚敏郎さん、下木麗羅さん……お話を伺いたいことがあります」
敏郎が顔をしかめる。
「え? どういうことですか?」
「高柳桃華さんの転落事故に関し、新たな証拠が出ました。お二人には、もう一度お話をお聞かせいただければと」
「任意ですよね? こんな場所で」
麗羅は噛みつくように言った。
「任意…」
警察官は小さく呟くように言った。
明らかに怒り心頭の様子を見せながら「逮捕状は間もなく届くでしょう」と吐き出すように言った。
「本当にご友人であるのなら…全てを自らで明らかにされるほうがよろしいかと」
その一言に、会場はざわめきだした。
「どうされますか?」
「何を言っているのかわかりません」
「最近のカメラというのは精度がよろしいですね。貴女が掴んでいた手を放す瞬間が映っています」
麗羅は目を見開き、一瞬固まった。
「私たちが聞きたいのは、手を押し出したように映っている理由です」
「そ…そんなこと」
「事故なのか、事故でないのか…自殺ではない、それだけは事実ですね」
その一言に、麗羅に向けられた視線が冷たくなっていく。
そして、高校時代のクラスメイト達に大学時代の友人がむける視線に怒りが混ざっていた。
死者を冒涜する行為に…その場から逃げ出そうとした女性の手を大学時代の友人が掴んだ。
「さっきの話、偽りなく正しく聞かせてもらえるかしら?」
静まった会場の中でその声だけが冷たくも響いているようだった。
「もうよろしいですね、任意です。そのうえで事情聴取のため署まで同行していただきます」
警察官は静かに言った。
その場に居たくないだろう二人はそれに従うことになる。
両脇を警察官にガードされるように二人は会場の前に横付けされたパトカーへと案内された。
(まさか……あのカメラ……)
敏郎が動揺した声をあげる。
「ちょっと、待ってください!僕たちは……」
「詳細は署でお話を。お願いします」
警察官に促され、二人はゆっくりと立ち上がった。
参列者の視線が一斉に彼らを貫く。
パトカーに押されるようにして乗り込んだ麗羅の耳に何かが聞こえた。
血の気が引いていくのがわかる。
(誰?)
(やっぱり、地獄は静かに始まるのね)
問いかけにこたえる声に聞き覚えがあった。
誰の声でもない、彼女自身の、麗羅の心の声だった。
すべてが終わりを告げている気がした。
何もかもが…破滅、そんな言葉が敏郎の前に浮かんでいるようにも見えた。
あの瞬間、麗羅は間に合わなかった。本当は。
誰に背を押され、落ちるようにしてたどり着いた踊り場。
外に投げ出されそうになった体を支えたのは敏郎だった。
引き留められたからだが、その反動で飛び出した手が、桃華の腕を掴ませた。
彼女の爪は、よく手入れされていた。
ひとさし指の先を少しだけ尖らせたのは、たぶん小さな武器のつもりだったんだろう。
それでも、あの手で人は救えなかった。
指の先から、命はこぼれていった。
男は声を荒げ、女は泣くふりをした。
でもその涙はどこか計算高く、誰にも届かない。
駆けつけた警察官が、救急隊員が彼女を抱き上げ、白い箱に乗せる。
彼女はもう、現実という名の床に、立てない。
(……ふうん)
ずいぶんと派手に転がったねぇ。
あの子が落ちていった先で、何を拾ってくるか、ちょっと楽しみだな。
いくつかのドアが開く音がした。
彼女は咄嗟に叫んだ。
「救急車を呼んで! 友達が落ちたの」
何度も繰り返した。
そしてその場に座り込み、泣き出した。
けれどその涙は、誰にも届かない。
あの手は、最初から救おうとしていなかった。
それとも、最後まで演じきるつもりだったのか。
結局、それを知る者は誰もいない。
いや、ひとつだけ……記録する者は、いる。
見ていた。
……その様子を、誰かが見ていた。
静かに、ただ静かに、
泣きわめく女の嘘と、すり減った男の醜さを、
そして、その先に取り残されたものを。
声もあげず、まばたきもせず、
そこにいることすら気づかれず、
それでも確かに“視て”いた。
それは人ではない。
人の隙間からこぼれた忘れもの。
正義でも悪でもない、ただの観察者。
欲でも嫉妬でもない、けれどそれらを愉しむかたち。
彼らは語り継がれてきた。
名前を変え、姿を変え、時に小さな事故や、不意の災いの顔をして。
彼らは妖精と呼ばれていた。
誰かにやさしく、助けるタイプではない。悪戯に興じるものたち。
古いおとぎ話の、もっと外側にいる、忘れられたものたち。
古い言葉で呼ばれていた名は「グレムリン」。
そしていま、彼らは静かに問いかける。
傍らで一緒に眺めている者に…
「ただの物語だと思っていた?……ねえ、どうする?」
ご意見、ご要望あればうれしいです。
アイデアは随時…物語に加えていければと考えています。
※誤字脱字 慌て者につきご容赦いただけるとゆっくりですが成長していきます。