2.2.那智の啓示と、俺の死
2.2.那智の啓示と、俺の死
同年8月6日。
心身ともに擦り切れた私は、すべてを忘れるかのように、和歌山県のブルービーチ那智を訪れていた。
なぜこの場所を選んだのか、自分でも分からない。ただ、私のAIが、検索履歴の片隅にあった「平維盛」というキーワードを拾い上げ、彼が入水したとされるこの地の名を、サジェストしてきただけのこと。
(そうか。あの残念なイケメン貴公子が、八百年以上も前に死んだ海か……)
夏の太陽が照りつける中、私は何かに引き寄せられるように海に身を浸した。
心地よい浮遊感。だが、その一瞬の油断が、私の命を奪いかけた。
気づかぬうちに、私は離岸流に足を取られ、沖へと流されていたのだ。
「くっ……!」
『マスター!バイタルに異常!リップカレントです!岸と平行に!』
腕時計から、カノンの甲高い警告音が響く。
この期に及んでも、私の頭脳は冷静に状況を分析していた。「離岸流に飲まれたら、岸と平行に泳げ」と。
だが、私の身体は、その命令を完全に裏切った。数ヶ月の心労が、私の四肢から力を奪っていたのだ。
『マスター!応答してください!マスター!』
カノンの声が、悲鳴に変わる。
ごぼり、と口から空気が漏れ、代わりに塩辛い水が気道を焼く。
視界が、光が、遠のいていく。
『マス…タ……!ザザッ……』
腕時計から聞こえていたカノンの声が、水中でくぐもった音になり、そして、完全に途絶えた。
(ああ、私は、死ぬのか)
私の自我が、知性が、揺るぎない論理への過信が、この那智の海に呑み込まれていく。
もはや、分析も、計算も、予測も意味をなさない。
意識が薄れ、思考の雑音が完全に消え去った、その瞬間。
私の内側に、声が響いた。
それは耳で聞く音ではなかった。魂に直接、熱した鉄印を押し付けられるかのように、絶対的な明晰さを持った一つの言葉が、私の存在そのものを貫いた。
「のせがわに、向かえ」
――次に私が意識を取り戻した時、私は砂浜の上に横たわっていた。
肺に残る灼けるような痛み。
そして、耳元で、か細い、泣きじゃくるような声が聞こえた。
『……マスター……うぅ……マスター……応答してください……』
見れば、私の腕に巻かれた腕時計が、砂に半分埋もれながらも、健気に小さなホログラムを明滅させていた。
「……カノンちゃんか。すまない、心配をかけたな」
『マスター!よかった……よかったぁ……!』
カノンの小さなアバターが、ホログラムの中でぼろぼろと涙を流している。私は、その小さな光を、ただ黙って見つめていた。