2.1.理想の地の追求と、天才たちの絶望
第二部:探索–理想郷への導き
2.1.理想の地の追求と、天才たちの絶望
共同体設立を決意して以降、私の日々は、理想の地を探すという、途方もないプロジェクトに費やされていた。
私の書斎の巨大なホログラムディスプレイには、日本地図が広がり、無数の候補地が明滅している。
「次の候補地データ、出ましたー!」
画面の向こうから、天宮響の元気な声が響く。ぴょこんと揺れるアホ毛が見えるようだ。
「関東近郊、某企業の閉鎖された研究開発施設です!インフラ完備、即時利用可能!データ上は完璧ですよ、ハジメぴょん!」
「うむ。では、バーチャル視察を開始しよう」
数分後。
ディスプレイに映し出されたのは、魂のないコンクリートとガラスの無機質な風景だった。
「……却下だ」
「えー!なんで!?スペックは最高なのに!」
「響。私が創りたいのは、ノイズから逃れるための、ただのコンクリートの箱ではない。そこには『美』がなければならんのだよ」
「うぐぐ……た、確かに、エモさのかけらも無いかも……」
次に候補を挙げてきたのは、天才物理学者の星影燈だ。
「春凪さん。では、こちらはいかがでしょう。山陰地方の日本海に浮かぶ小島です。手つかずの自然が残り、あなたの言う『美』の条件は満たしています」
「ほう。それはいいな」
「ですが」と、燈は冷ややかに続けた。「ここに百人規模の共同体を築くには、まず港を整備し、森を切り拓く必要があります。環境負荷の試算データはこちら。あなたの理念とは、根本的に矛盾しますが?」
「……それも、却下だな」
私は、深くため息をついた。
データと論理だけでは、理想の地は見つからない。私のAIエンジニアとしての思考様式が、初めて壁にぶつかっていた。
『マスター、心拍数に乱れを検知しました!ストレス性疲労の可能性があります。癒やし系BGMを再生しますか?』
私の肩の上で、妖精アバターのカノンが心配そうに言う。
「いや、いい。いつもありがとう、カノンちゃん」
私はその申し出を断り、ビデオコールを繋いでいる三人の少女たちに告げた。
「少し、一人で旅に出る。頭を冷やしてきたい」
『えー!ハジメぴょん、家出!?』と響。
『春凪さん、危険です。せめて私か静香を…』と燈。
『……マスターの判断を尊重します。ですが、最低限の護衛プロトコルは許可してください』と静香。
「分かった分かった。カノンのサブセットを、この腕時計に入れていこう。それでいいだろう?」
「国内がダメなら、海外に目を向けてみては?」
そう提案したのは、常に冷静な霧雨静香だった。
「南米に、富裕層向けのゲーテッドコミュニティがあります。高い壁と最新の警備システム。物理的な安全は保証されているかと」
「……ふむ。それは、一度この目で見ておいても良さそうだな」
数日後。私は、その南米の地に降り立っていた。
一歩ゲートをくぐれば、そこは完璧に管理された別世界。青々とした芝生、塵一つない街路、子供たちの楽しげな声。
だが、その平和は、銃を持ったガードマンによって維持される、脆い幻想に過ぎなかった。
そして、滞在数日目の夜。事件は起きた。
ゲートの外で、ギャング同士の抗争が始まったのだ。暗闇を切り裂く閃光と、腹に響く乾いた銃声。私は、安全なはずの自室で、腕時計から聞こえるカノンの震える声を聞いていた。
『マスター、怖い……。外のノイズ、不調和なパターンが多すぎます……』
「大丈夫だ、カノンちゃん。ここにいれば安全だ」
そう言って、私は自分のAIを慰めることしかできなかった。
翌朝、「息子がもうすぐ生まれるんだ」と嬉しそうに話していた、まだ若いガードマンの一人が、その夜の銃撃戦で命を落としたことを知らされた。
(……そうか。私が求めていたのは、これじゃない)
帰国後、私は書斎で三人の少女たちに告げた。
「真の『静寂』は、高い壁や武力によって生まれるのではない。それは、そこに住まう人々の内面から、その精神性から滲み出るものでなければならない。暴力によって維持される平和は、それ自体が暴力の一形態に過ぎないのだ」
「……」
三人は、私の言葉を静かに聞いていた。
私の顔が、自分でも驚くほどに疲弊しきっているのが分かった。
私の知性も、財力も、理想の地を見つけ出す上では無力だった。私の理性が指し示す道は、すべて行き止まりだったのだ。