7.5.帰郷、そして選択
7.5.帰郷、そして選択
翌日の朝。私は、時雨を司令室に呼び出した。
「時雨くん。君の怪我も、もうすっかり良いようだ。ご両親も、心配しているだろう。……今日、東京へお帰りなさい」
私の言葉に、時雨は、驚いたように顔を上げた。
(……帰る?任務は、まだ終わっていないのに……?これは、罠?それとも……)
「ですが……まだ、皆様には、ご恩を返しきれていません」
「恩、かね。まあ、そう思うなら、一つだけ、お土産を持っていくといい」
私は、彼女に、一枚の小さなチップを手渡した。
「……これは?」
「君が、悩みに悩んで、書けなかった『所見』だよ。私が、代わりに書いておいてやった」
私の言葉に、時雨の呼吸が止まった。
全て、お見通しだったのだ。報告書の内容も、その葛藤も。
「そ、そんな……」
「内容は、君の目で確かめるといい。それを、君の上官に渡すか、あるいは、握りつぶすか。……全て、君が決めなさい」
その日の昼過ぎ。校庭に、一機のヘリコプターが降り立った。
時雨の見送りのために、少女たちが集まっている。
「時雨ちゃん、行っちゃうの……?寂しくなるなあ……。これ、あげる!私が作った、お守り!」
響は、涙ぐみながら、不格好な手作りのお守りを、時雨の手に握らせた。
「……また、会えるわよね?物理学の議論の続き、まだ終わってないんだから……!」
燈は、そっぽを向きながらも、その声には確かな寂しさが滲んでいた。
「道中、お気をつけて。外の世界は、少し、騒々しいかもしれませんから」
静香は、ただ、静かに、意味深な言葉をかけるだけだった。
時雨は、何も言えなかった。
ただ、三人に、そして、少し離れた場所から静かに見守っている私に、深く、深く、頭を下げることしかできなかった。
ヘリに乗り込み、機体は、ゆっくりと上昇していく。
窓から、どんどん小さくなっていく校舎と、手を振る少女たちの姿が見えた。
この数日間が、まるで、夢だったかのように、現実感を失っていく。
(……帰るんだ。私の、いるべき場所に)
そう、自分に言い聞かせた、その時。
時雨の瞳から、一筋、熱いものが、頬を伝った。
それは、彼女が『梟』となって以来、一度も流したことのなかった、感情の雫だった。
東京の、無機質なビル群が見えてくる。
彼女の戦場。彼女の日常。
だが、今の彼女には、その全てが、色褪せた、ノイズに満ちた世界にしか見えなかった。
手の中には、響がくれた、温かいお守りと、私が渡した、冷たいチップが握られている。
温もりか、任務か。
信頼か、裏切りか。
静寂か、ノイズか。
時雨は、そっと、目を閉じた。
彼女の心の中で、二つの心臓の音が、一つに重なろうとしていた。
どちらの音を選ぶのか。その答えは、もう、出ている。
静かなるチェスは、まだ、終わらない。
いや、今、本当の意味で、始まったのだ。
――第七部・完――




