7.4.仮面のひび割れ
7.4.仮面のひび割れ
司令室。
私は、時雨が送信した、中身の抜けた報告書のコピーを、静かに読んでいた。
Nagiが、私の知らないところで、彼女の通信を全て傍受し、解析しているのだ。
「……面白いことになったな」
「はい、マスター」
私の隣で、静香が、満足げに紅茶をすする。
「彼女の心は、今、完全に飽和状態ですわ。これ以上、情報を与えても、処理しきれないでしょう。むしろ、少し『何もない時間』を与える方が、効果的かもしれませんわね」
静香の言う通りだ。
水を与えすぎれば、種は、芽を出す前に腐ってしまう。
必要なのは、静かに、待つこと。彼女自身の力で、固い殻を破るのを。
「Nagi。時雨くんの、実家について、何か分かったかね?」
私の問いに、Nagiのホログラムが、優雅に一礼した。
『はい、マスター。彼女の一族は、古くから、国家の暗部で情報収集を担ってきた、特殊な家系のようです。その能力は、血統によって受け継がれ、幼い頃から、徹底した英才教育が施される、と』
「まるで、巫女のようだな」
静香の言葉は、偶然ではない。彼女は、あの時、全てを確信した上で、時雨に揺さぶりをかけたのだ。
『彼女の受けた教育は、感情を完全にコントロールし、あらゆる状況で、最適な論理的判断を下すためのものです。ですが、そのカリキュラムには、一つ、致命的な欠陥がありました』
「欠陥?」
『はい。それは、『純粋な善意』や、『見返りを求めない親切』といった、非論理的な感情への、対処法です。彼女の人生には、今まで、そういったものが、一切存在しなかった。故に、響さんのような存在は、彼女にとって、対処不能な、システムエラーなのです』
「……なるほどな」
私は、深く頷いた。
鉄壁の城も、たった一つの、設計図にない攻撃には、脆いものだ。
ましてや、それが、城の内部から、最も信頼する仲間によって、もたらされたとしたら。
「さて、静香。そろそろ、彼女を家に帰してやろうと思う」
「……よろしいのですか?まだ、泳がせておいた方が……」
「いや。もう、十分に毒は回った。一度、日常に戻し、外の世界の『ノイズ』を、改めて体感させてやる方が、効果的だろう」
私は、チェス盤の、白いキングの駒を、そっと手に取った。
「そして、彼女が、自らの意思で、再びこの場所に戻ってきた時……。その時こそ、この静かなるチェスは、終局を迎えることになる」
私の言葉に、静香は、全てを理解したように、深く、そして美しく、微笑んだ。
時雨の仮面が、完全に砕け散る日は、もう、目前まで迫っていた。




