7.3.梟の報告書
7.3.梟の報告書
その夜。時雨は、保健室のベッドの上で、一人、ホログラム・キーボードを起動していた。
定時報告の時間だ。内調の上官へ、今日の成果を報告しなければならない。
いつもなら、指は自然に動き、見たままの事実を、客観的かつ簡潔に、暗号化されたテキストへと変換していく。だが、今日だけは、その指が、鉛のように重かった。
【件名:定時報告。コードネーム『梟』】
【本文】
ターゲット、春凪一の周辺調査を継続。
本日は、重要参考人である霧雨静香より、施設内部の案内を受ける。
エネルギー供給施設、食料生産施設、いずれも、既存の技術レベルを遥かに超越。
外部からの供給なしに、完全な自給自足体制を確立していると見られる。
(……添付資料として、録画データを送信済み)
――そこまで打ち込んで、時雨の指が止まった。
いつもなら、この後に、自らの「所見」を書き加える。観察から得られた、ターゲットの弱点、内部対立の可能性、そして、今後の潜入方針についての、冷静な分析だ。
だが、何を書けばいい?
霧雨静香は、私の正体に気づいている。いや、それ以上の何かを、知っている。
星影燈は、私を、敵ではなく、ライバルとして見始めた。
天宮響は、私を、ただの友人として、その善意の輪の中に引きずり込もうとする。
そして、春凪一は――。
彼の言葉が、脳裏に蘇る。
『ここが、春凪共和国の、心臓だよ』
祠。石ころ。祈り。
報告書に、そんな非論理的な単語を、どうやって記述すればいい?
『ターゲットは、毎朝、山中の石に祈りを捧げる、非科学的な儀式を実践。これが、組織の精神的支柱であると主張』
そんな報告をすれば、上官は、私の精神状態を疑うだろう。
(違う……違うんだ。あの場所には、確かに、何かがあった。あの静けさには、意味があった。私が、今まで、知らなかっただけの……)
時雨は、頭をかきむしった。
『梟』としての自分と、『時雨』としての自分が、脳内で激しくせめぎ合う。
報告書は、書かなければならない。だが、真実を、ありのままに書くことが、できない。かといって、嘘をつくことも、許されない。
結局、彼女がその日、送信できたのは、事実を羅列しただけの、空虚なレポートだけだった。
「所見」の欄は、空白のまま。
それは、『梟』としての、初めての「任務不履行」だった。




